店に歴史あり。
「ということが昨日あったのだけれど……何か知っているかしら、ブランドル」
クララへのご褒美のはずが、ちょっとしたトラブルに巻き込まれて、翌日。
この手の話を聞くなら、と早速ブランドルを呼び出したメルツェデスは、西区域にある噴水広場で落ち合っていた。
噴水の傍、噴水の縁に腰掛けているブランドルとその近くにハンナを伴って立つメルツェデスは互いに視線を合わせることなく言葉を交わす。
「ふむ……あのカフェですかい。あっしからすりゃぁ、ついにと言うか、やっぱりと言うか……まあ、驚きはねぇですなぁ」
メルツェデスの話を聞き終わったブランドルは、がしがしと手入れのあまり良くない髪をかき回す。
その仕草に、何やら面倒事の匂いを感じ取ったメルツェデスは……僅かばかりその目を輝かせかけ、しかし自重しようと瞬きを幾度か。
ついでに一つ呼吸を入れると、ブランドルへと問いを重ねた。
「やっぱりって、あのカフェはそちらでは有名なの? 普通の、むしろ上品なくらいのお店だけれど」
「そうでやすねぇ、一見上品ってのがまた曲者でして。ああいや、今の店は普通の、まっとうな店なんですがね」
そこまで言うと、ブランドルは少しだけ声を落とし、噴水の音に紛れさせながら言葉を続ける。
「あの店は、その昔もそれなりのレストランを装ってやしたが、その実は、ギーズって頭目が率いる『夜狐』って盗賊一味の盗人宿だったって話でして」
「待って、盗人宿? 何ですの、それは……いえ、何となくはわかるのだけれど」
「へぇ、盗人宿なんてもんを使う盗賊連中も今時そうはいねぇですからねぇ。
お察しの通り、盗賊連中がたまり場のように使う宿のことでやすが、脛に傷持つ連中がただ集まってちゃぁ、すぐに手入れが入りやすよね」
「ええ、ましてあの店の立地からしたら、胡散臭い連中がたむろしてたら目立つでしょう?」
確かにそういう場所があるであろうことはわかるが、しかし貴族の居住区も近いあの場所で盗賊連中がうろついていたら、違和感は甚だしいだろう。
ブランドルの言う通りすぐに手入れが入るだろうし、そもそも集まる前に捕まる可能性すら否定できない。
しかし彼が嘘を吐くとも思えず、だが納得もいかず、メルツェデスは首を傾げるばかりだ。
「そこを上手くやったと言いやすか、逆手に取ったと言いやすか……まず親分であるギーズ本人が身綺麗な、ちょっとした商人でございって風体の奴でしてね。
更に普段身近に置いておく手下も、こざっぱりとした連中ばかり。で、荒事が得意な連中は食材を納品する業者を装っていやして」
「なるほど、あの立地で営業していても不思議ではない体裁は取っていたわけね。食材の振りをして盗んだ物を別の場所に運ぶことも容易だし、と。
それができてしまえば、確かにあの場所は拠点として便利でしょうねぇ」
「へい、おっしゃる通りで。なんせ、標的となる商会や貴族の家も程近く、下調べもしやすければ、事が終わった後に駆け込むのも容易ってわけでやすから」
ブランドルの説明に、納得したようにメルツェデスも頷いて見せる。
こうして考えていけば、あの店を盗みの拠点とするメリットも確かに大きい。
だが、デメリットも当然小さくもないのだが。
「そこまで考えているわけね……でも、あくまでも上手くいけば、よね?
執拗に嗅ぎ回られたら、いずれボロが出たと思うのだけれど」
窃盗の犯罪捜査は、被害現場から放射状に範囲を広げていくのが基本だ。
であれば、現場からそれなりに近い場所にあるあの店であれば、そう比較的早い内に捜査の手が伸びたはず。
盗んだ金品を運ぶ前に踏み込まれれば、流石に逃れようもないだろうにと不思議に思うメルツェデスへ、ブランドルは視線を合わせないまま小さく首を横に振った。
「これがまた上手いことやってたんですよ、ギーズの親分ってなぁ。
連中が盗みに入る時にゃぁ、殺さず、犯さず、取り過ぎずってのを徹底させてたらしくてですね。
するってぇと、誰が殺されたわけでもねえ、酷い目にあったのもいねぇ、商売にもさして障りがねぇってんで、盗まれた方も衛兵も、そこまで執拗に捜査しようとしなかったみたいなんですよ。
中には『ついに俺も、狐に目を付けられるところまで来たか』なんて喜んだ商人もいたってくらいでして」
「あらまあ……何とも、暢気というかのどかというか……盗賊とその被害者なんて、殺伐とした関係だと思っていたのだけれど」
「普通はおっしゃる通りでやすよ。死人に口なしとやっちまうのが大半、こんなことをやってのけてたのは、あっしが知る限りギーズの一味、『夜狐』だけですからねぇ」
「でしょうねぇ……それだけ手間暇掛けて、節度を持って、更には子分達を養うだけの稼ぎも出して、となると並大抵ではないでしょうし」
しみじみと、どこか懐かしむように、あるいは羨むようにブランドルが呟けば、メルツェデスも頷き返すしかない。
この辺りを束ねる彼は、裏社会の人間としては随分と『真っ当』な人間だ。
そんな彼からすれば、そのギーズとやらは先達のようなものであり、手本にしたい人物でもあったのだろう。
少しばかり、沈黙が落ちて。
それからまた、ブランドルが口を開いた。
「そんな『夜狐』の連中も、10年前いきなり解散しちまいやした。
いや、恐らく解散した、と言うべきでやしょうか……なんせある日を境にギーズの姿が見えなくなって、店もしばらくはやっていやしたが、こっちも突然夜逃げのように店仕舞いしちまいやしたからね。
あっしも直接知っているわけじゃねぇですが、どうも盗みに入ろうとして失敗しちまい、足が付かねぇようにと店にも寄らず逃げ出したんじゃねぇかってのが大方の意見でしたが」
「それはまた、思わぬ結末ねぇ……義賊物語でもないのだから、現実はそんなものかも知れないけれど」
「残念ながら、そんな話はゴロゴロしてやすからねぇ……あっしも明日は我が身と気をつけてやす」
「むしろあなたの場合、やたらと首を差し出すのを何とかなさいな」
「へぇ、そいつはまた、ごもっともで」
ぴしゃんとブランドルが己の首を叩けば、思わずメルツェデスも吹き出してしまう。
その『首出し』が繋いだ縁でもあるのだから、思えば奇妙で、面白いものだ。
そんな感慨を胸の内にしまいながら、メルツェデスは一つ首肯する。
「うん、これで色々と見えてきましたわね。あのならず者達は恐らく元『夜狐』の一味なのでしょう。
であれば、わたくしの向こう傷を知らなかったのも納得がいくわ。
それでいてプレヴァルゴの名は知っていたのだから、何も知らないお上りさんというわけでもないのだし」
「なるほど、連中が三々五々に逃げ散ったのが10年前、それから王都に近づいていなかったのなら、お嬢様が『勝手振る舞い』のお許しをいただいた事を知らないのも無理はない、と」
メルツェデスの言葉に、ブランドルもうんうんと幾度か頷いて返す。
さらに考えれば、他にもあった違和感にも納得がいく。
「最初は居丈高だったのに、まずいと見てから争わずにすぐ逃げたのも、『夜狐』のやり方を考えたら納得だわ」
「確かに連中なら、下手に留まって衛兵だなんだが来る前に逃げることを選択するでやしょうね。
となると、かつての拠点に何でまた今頃、しかも次の人間が店を開いてるところに顔を出したのかって話でやすが」
「そうねぇ……」
その疑問に、メルツェデスは口元に手を当ててしばし沈黙する。
こういった時に考えられるのは……と、前世の知識なども動員して考えを巡らせて。
「まず、もう一度あの店を拠点にするために退去させようと脅しを掛けに来た、という線はないでしょうね。
そんな目立つことをすれば、さっきあなたが教えてくれたあの店のメリットがなくなってしまうし」
「おっしゃる通りで。となると……いくつか考えつくところはありやすが」
「そうねぇ……ちなみに、そのギーズという親分さんは当時いくつくらいだったの?」
「へぇ、当時60に手が掛かろうという年齢でやした」
「となると、今健在ならば70前後。……健在であれば、だけれど」
ぽつりと最後に呟いた言葉に、ブランドルも小さく頷いてみせる。
この世界では、現代日本に比べて医療は発達しておらず、庶民は60でも長生きな方、70などそれこそ古来希なりというものだ。
であれば、脛に傷を持つ身のギーズがそこまで長生きをできるかと言われれば、疑わしい。
そして親分の死を契機に、かつての手下達が動き出した可能性は十分に考えられる。
「いずれにせよ、これ以上は推測の域を出ないわね。ブランドル、裏取りを頼めるかしら」
「もちろんでやす、お嬢様。このブランドルにお任せを」
そう言って深く頷いたブランドルは、景気づけとばかりにぴしゃりとまたその首を打って見せ。
それから勢いよく立ち上がると、メルツェデスの方を見ることなく人混みの中へと消えていった。
「……だから、首出しは控えなさいと言っているのに、まったく。
さ、私達も行きましょうか、ハンナ」
「はい、お嬢様」
呆れたようにちらりと一瞬だけブランドルの背中へ視線を向けたメルツェデスは、傍で静かに佇んでいたハンナへと呼びかける。
そして彼女もまた、ブランドルとは反対方向へと歩き出していった。




