クララのご褒美。
そんなこんなで、ヘルミーナの進級に早くも懸念が生じたりしながら。
見事に目標を達成して見せたクララへとご褒美が与えられることになった。
しかし、彼女が望んだご褒美というのが、少々予想外のものだったりもしたのだが。
「ねえクララ、本当にこんなのでいいの?」
「勿論ですエレーナ様。私、ここに来るのが夢だったんですから!」
「そ、そうなの……あなたがそう言うなら、いいのだけど……」
明るい日差しの中、その雰囲気にそぐわぬ潜めた声で聞くエレーナに返ってきたのは、弾むように明るいクララの声。
それを聞いて、エレーナは諦めたように引き下がる。
彼女達が来ているのは、貴族の住む区画から少しだけ離れた場所にある明るい雰囲気のカフェ。
大通りに面するオープンテラスの丸いテーブルに、彼女達は着座していた。
カフェと言ってもエレーナのような上位貴族が来るような店ではなく、下位貴族や裕福な商人などが使うことが多く、平民でも頑張れば来れなくはない程度の価格帯。
そして、来れなくはないからこそ、平民の特に少女達から一度は行ってみたいお店として憧れられている。
元平民であるクララもまた、憧れていた一人だった。
「一度はこのお店でお茶したい、ってずっと思ってたんです。
ただ、皆様にはお付き合いいただいて、申し訳ないとも思いますけれども……」
そう言いながら、申し訳なさそうにちらり、エレーナに、そして一緒に来ているメルツェデスやフランツィスカに目を向ける。
彼女達は、いつも着ているようなドレス姿ではなく、平民の少女が着るようなワンピースを身に纏っていた。
何しろ少々お高いと言っても平民も使う店、となればいかにも貴族令嬢な格好で来るわけにはいかない。
ということで彼女達は今、平民風、でもその中で上質な衣服、という格好をしているのだ。
ちなみに、彼女達のメイドや護衛達は、お忍びということでいつものように傍にはおらず、隣のテーブルなどにそれぞれ座っていたりする。
「まあ、実はわたくし、このお店にはハンナと何度か来ているから問題ないのだけれど」
と、クララに気負わせないようにか、あっけらかんとメルツェデスが言った途端、ピクリと小さく肩を震わせたフランツィスカとエレーナがさっと隣のテーブルに着くハンナに視線を向ければ、素知らぬ顔で座っているハンナの口角が、一瞬だけ上がったのを二人は見逃さなかった。
それを見た二人の脳裏には、同時に『こいつ、油断も隙もない……っ』という思いが走る。
二人きりで、カフェでお茶。
こういうことにはとんと鈍いメルツェデスはともかく、ハンナがちょっとしたデート気分で堪能していたことは間違いない。
それを、何度か、実行している。
このことは由々しき事態でもあり、しかし同時に、メルツェデスの所業を考えれば防ぐことも難しい。
何か対策を考えねば、という内心をぐっと飲み込んで、フランツィスカも笑顔を見せた。
「私としても、こういうのはお忍びみたいで楽しいわよ?」
「……そう言えば、わたくしはともかく、フランもエレンもよくそういう服を持っていたわね?
それも、おろしたての新品という感じでなく、それなりに馴染んでいるものを」
そう言って話を向けられれば、フランツィスカもエレーナも、にっこりと良い笑顔で返してきた。
二人とも、いつかメルツェデスの退屈しのぎに同道してやろうとお忍び用衣装を用意して、時々着て練習までしていたのだが、まさかそんなことを口には出せない。
また、考えることは同じか、とお互いに思ったりもしたものだが、それもまた口には出せなかった。
「まあほら? 私はクララに付き合ってこういう所に来ることもあるかな、って思ってたから?」
「そうなんですか!? エレーナ様、なんてお優しい……その上、そんなことを想定してご準備なさっているだなんて!」
「いや待ってクララ、そんな感激するようなことでもないからね?」
感激したように目を潤ませるクララを宥めるように、エレーナは小さく手を振って見せる。
実際に想定していたことを考えると罪悪感に胸をチクチク刺されてしまうのだが、そのことを正直に顔を出すような鍛え方もしていない。
貴族令嬢である以上、本音と建て前の使い分けは必須技能なのだ。少々後ろめたさはあるが。
そんな後ろめたさを察したのか、フランツィスカがそこに横から入ってきた。
「そういえば、クララさんにとってこのお店は憧れだったということだけど、以前はこの近くに住んでたの?」
「あ、いえ、もっと離れたところだったんですけど……お世話になっていた親戚が一度来たことがあって、その話を聞いたことがありまして。
お茶がこんなに美味しかった、食事はこんなのが出て、凄く美味しかった、とか……当時の私からしたら、それこそ夢のような世界に思えたんです。
それで、入ることはできなかったけど、どんなお店か見に来て……凄く素敵なお店で」
「確かにこのお店、内装も外装も頑張っているわよね。決して華美ではないのだけれど、上品でセンスがいいわ」
クララが語れば、フランツィスカが頷きながら相づちを入れる。
ターゲットとしている客層が客層だからだろうか、彼女が言う通り店全体の雰囲気は良く、流石に公爵家などとは比べものにはならないが、調度品も上質な物。
ちらりと見たメニューの価格などを考えれば、相当に頑張って揃えているように感じられた。
「ですから、大人になって働くようになってからお金を貯めて、いつか来たいなと思っていたんです。
こんな形で叶えていただけるなんて、思ってもいなかったですけど……」
「そう……それなら、胸を張って楽しみなさい。
勿論幸運な面もあるけれど、今回の試験であなたが頑張った、努力した結果なんだから」
「エレーナ様……は、はいっ、ありがとうございます!」
少しだけ、ほんの少しだけクララの表情が陰った。
目敏くそれを見つけたエレーナは、一瞬だけ考えてから、ぽんと軽くクララの肩を叩く。
クララの性格からして、きっと自分で貯めたお金でなく、人に連れてきてもらったことに少しばかり後ろめたさを感じていたのだろう。
けれど、働く、貯金をするのも努力であれば、全く違う環境で試験勉強を頑張って結果を出したこともまた、努力だ。
この言い方で伝わるとエレーナは考えたし、そして実際に伝わったから、クララも笑顔になったのだろう。
そんな二人のやり取りを微笑ましげに見ていたメルツェデスは、ふと気になって、しかししばし考えて。
それでも、確認しようと口を開いた。
「ねえ、クララさん。今少し気になったのだけれど……お世話になっていた親戚、というのは?」
若干口籠もりながらの問いかけに、予想はしていたのかクララは驚かない。
少しばかり笑顔に儚げなものを交えながら、メルツェデスへとコクリ、小さく頷いて見せる。
「はい、実は私、小さい頃に両親を流行病でなくしたみたいでして……その当時の記憶は、朧気にしかないんですけど。
その時に、伯父、父の兄が私を引き取って育ててくれたんです」
「そうだったの……それは、悪いことを聞いてしまったわ」
半分予想していたクララの言葉に、メルツェデスは率直に頭を下げた。
実は、クララの育った環境については『エタエレ』の中でほとんど触れられていない。
ジタサリャス男爵に引き取られて以降についても、本当に最低限の教育しか与えられなかった、くらいのものだ。
そして、彼女が養女として引き取られてから、元の家族との交流らしいものは描写されなかった、となれば、何かあったのだろうと想像もつく。
ゲームとして考えれば触れずとも問題はないのだが、こうして生身の人間として付き合っていくのであれば、そこを無視しておいたらどこでどんな地雷を踏むかわかったものではない。
だから敢えて踏み込んでみたのだが、やはりそれでも悪いことをしてしまったという気持ちは生じてしまう。
だが、そんなメルツェデスへと、クララは笑顔を返した。
「いえ、大丈夫です、メルツェデス様。何しろ、両親が亡くなったのは私が本当に小さいころで、ほとんど何も覚えていないんです。
伯父も、決して余裕があるわけではない中で出来る限りのことはしてくれたと思いますし、決して不幸な身の上だとは思っていませんから」
そう言って笑うクララの笑顔は、色々と内心での計算もあるメルツェデスにはどうにも眩しい。
いや、むしろこの場で計算も何もないのはクララくらいのものだろうから、同席する全員にとってそれは眩しかった。
「こうして男爵様に引き取っていただいて、伯父に負担を掛けずに済むようになったのは、幸いと言えば幸いでして……あまりよろしくない考えかも知れませんけど」
「……クララ、もしかして学園を卒業した後は神殿なり国の機関なりで働きたいって言ってたのは、もしかして」
「はい、その、働いてお金を貯めて、少しでも伯父や男爵様に恩返しができたらな、と。その、恩返しだなんて思い上がりかも知れませんけど……」
エレーナの問いかけに答えたクララは、恥ずかしそうに頬を染めて顔を俯かせ、テーブルへと視線を落とす。
その仕草に、何よりもその言葉にメルツェデスは空を仰ぎ、エレーナとフランツィスカは目元を抑えた。
『良い子過ぎる』
これが、三人共に脳裏に浮かんだ言葉だった。
色々と計算ずくで考え動く彼女達は、貴族として当然であり自然なことではあるのだが、それだけにこうして裏表のない言葉に触れてしまうと少しばかり心が痛い。
同時に、彼女のこの善性を、どうにか少しでも守ってあげたい、とも思ってしまう。
「そうね、今のままのあなたじゃ、恩返しなんて夢のまた夢よ。
もっと上位の成績を取って、国から是非欲しいって言われるくらいの人材にならなきゃ!」
「はいっ、エレーナ様、私頑張ります!」
「ふふ、いいお返事ね。なら、もっと良い成績を取ったら、もっといいご褒美をあげないと」
「え、いえフランツィスカ様、そんなことまでしていただくわけにはっ」
早速エレーナが鞭を入れ、そしてフランツィスカが飴を見せる。
決意の表情を見せたと思えばあわあわと慌て、とくるくる良く動くその表情は、なんとも愛らしい。
さて、では自分はどうしよう、と少しだけ考えたメルツェデスは。
「努力にはちゃんとご褒美があるべきだわ。それに、フランもエレンも、あなたを連れて行きたいお店がたくさんあるでしょうし、ね」
「そんな、メルツェデス様まで……」
もちろん私も、と片目をつぶりながらメルツェデスが飴のダメ押しをすれば、クララは困ったような顔になりながらも、最後は笑って頷いたのだった。




