それぞれの結果。
それから二週間ばかり。
クララとそれを教えるエレーナはもちろんのこと、フランツィスカとメルツェデスもまた、普段以上に集中して勉強に励んだ。
「てっきり、試験勉強なんて退屈だ、などおっしゃるかと思っていましたが」
「単に試験で良い点数を取るためだけだったら、退屈だったでしょうね。
でも、フランやエレンとの競争って考えたら楽しいものよ?」
「なるほど、目的の違い、ですか。しかしお嬢様方でしたら、皆様満点を取ってしまうのでは?」
ハンナの問いかけへと返される楽しげな答えに、彼女も一度納得したように頷いたが、またすぐに首を傾げてしまう。
彼女の知る限りメルツェデスの学識は相当なものだし、フランツィスカもそれに互するだけのものがある。
そして、いかな王立学園であろうとも第一学年で要求されるであろう知識はそこまでではなく、むしろ彼女達が知らない問題を出してしまっては、他の生徒達が手も足も出ないのとすら思うのだが。
そんなハンナのもっともな疑問を察したのか、しかしメルツェデスはゆるりと首を横に振った。
「それが、そうでもないのよ。
確かに教えられる知識そのものに目新しいものはほとんどないし、初めて教わるものもそこまで難しいものではないのだけれど。
それを使って考える、自分なりに纏めて言葉にするということを要求されることが多いから、満点は中々難しいと思うわ。
特に数学のベルモンド先生なんかは、美しい解き方を導き出せ、みたいな美学があるみたいだから」
「最近はそうなのですね。流石は王立学園、殿下を始めいずれは王国中枢で政策立案に携わるであろう方が多いからこそ、ということでしょうか」
「ええ、そういうことだと思うわ」
ハンナの言う通り、王立学園に通う生徒は大半が貴族の子女であり、いずれはこの国を背負い、獲得した情報を元に様々な場面で次に打つ手を考え実行できるようにならねばらない。
そのため、まだ間違えても許される学生のうちに、誰にも損害を与えることのない机上で論を戦わせ、第三者から吟味されるという経験を積ませたいのだろう。
……同時に、入学前から知識を詰め込まれ、最早学ぶこともないからと学園に通わせることが形骸化していたところへのてこ入れも兼ねていたようだが。
この傾向は、戦争も終わりクラレンスの治世が安定した頃に強まったという。
そんなことを思い返していたメルツェデスは、ふとハンナを振り返った。
「ねえ、ハンナ。あなた、王立学園だとか他の学校だとかに通ったことはないのよね?
どうして昔の学園を知っているような顔でそんなことを言うの?」
問いかけに、ハンナは沈黙し。
それから、にこりと良い笑顔を見せた。
「いえ、笑顔で誤魔化そうとしないで。前もこんなことがあったような……あ、ハンナ、本気で笑顔でごり押しするつもりでしょう!?」
普段であれば的確に、時にツッコミとも言えるような返答をしてくるハンナは、しかしそれでも沈黙を守る。
結局。珍しくメルツェデスが折れて、ハンナの秘密は守られたのだった。
それからまた一週間ほどして、試験が行われた。
メルツェデスの読み通り、ベルモンド教師の数学は頭を使って綺麗な解き方を見つける必要がある問題がいくつかあり、苦手な生徒は手も足もでなかったという。
もっとも、基本的な問題も多くあったので、全く点が取れないというような鬼畜な問題でもなかったのだが。
他にも地理や歴史、国語では考察を答えさせる長文の記述問題があったり、魔術理論では簡単な呪文構築があったりと、暗記だけでは答えられない問題がそこかしこに出されていた。
そのため、いかなメルツェデスといえどもやはり、今回の試験で満点を取ることはできなかった。
できなかったのだが。
「……487点で首位、ね……流石メルだわ……」
張り出された順位表を前に、フランツィスカが悔しさを滲ませながら呟く。
その隣に立つメルツェデスは誇らしげ……ではなく、苦笑を見せていたのだが。
「ありがとう、フラン。でも、多分数学の点数差じゃないかしら。後半の問題、辛かったんじゃない?」
「正直なところ、そこでの失点が大きかったわ……」
「それでも得意科目はしっかりと抑えて、485点で二位なんだから、大したものだと思うけど」
「一位のメルに言われるとちょっと複雑だけれど、ありがとうと言っておくわ」
互いに健闘を称え合う一位と二位が、共に満足をしていないという事実に、周囲の生徒達はあるいは流石と尊敬の視線を向け、あるいは愕然とした顔になっている。
特に、彼女達のことをよく知らなかった男子生徒は、愕然としている生徒が多かった。
もしも彼らが一位など取ってしまえたら、思わずこの場で小躍りして喜んでいただろう。
だというのに、この二人は結果を冷静に受け止め、どこがいけなかったのかと、反省までしているのだから。
実際のところ、フランツィスカはもちろん、メルツェデスも満足はしていなかった。
今回の試験、特に数学が難しかったのだが、そこで点差がついてしまった、とメルツェデスは考えている。
基本的に満遍なくできるメルツェデスとフランツィスカだが、どちらかと言えばメルツェデスは理系寄りで、フランツィスカは文系寄り。
そのため、今回の問題では数学の失点をメルツェデスは抑えることができたから勝てたに過ぎない、と彼女は思っている。
そして、各教科の問題傾向が変わればすぐに逆転されてしまう、とも。
そんな訳でどこかすっきりしない顔で順位表を見ていたメルツェデスとフランツィスカだったのだが、その二人に横合いから呆れたような声が掛けられた。
「ちょっと二人とも、一位と二位がそんな顔してたら、他の人が喜べないじゃない。まして私なんて」
「あらエレン、ごきげんよう。……そうねぇ、色々と反応に困るわよねぇ」
声を掛けてきたエレーナへと返しながら、メルツェデスはもう一度順位表に目を向けた。
エレーナは482点で同率三位。
競争をしていた三人で最下位であり、かつ。
「今この場で言えば、一番どうしたものかと困っているのは私ではないかと思うんだ」
困ったように眉を下げた表情で、ジークフリートがやってきた。
そう。エレーナと同率三位だったのは、第二王子であるジークフリート。
一流の家庭教師から教育を受けてきたはずの、そしてそれに恥じない結果を見せた第二王子と同率三位となったエレーナは、喜ばないのも角が立つ状況となってしまっているのである。
そのジークフリートも、例年であれば首位でもおかしくない成績を取って面目は保っているが、その彼より上位に二人もいる、というのは少々複雑なところだ。
もちろん誰よりも知識がある、などは学者に求められるものであり王族に求められるものではないのだが、様々な場面で知識教養は必要とされるのだから。
そんなジークフリートに対して、メルツェデスが何か思いついたような、悪戯な笑みを浮かべながら答える。
「殿下、僭越ながら申し上げます。この場は、喜んでよろしいのではないでしょうか。王族に忖度する教師などいなかった、公正な採点が行われた結果だ、と」
その言葉に、しばし驚いたように幾度か瞬きをした後、ジークフリートは吹き出し、口元を抑えながら快活な笑い声を零した。
「はっ、ははっ、なるほど、確かにそれはそうだ、メルツェデス嬢。もしも忖度したのであれば、中途半端な順位でしかも同率などとはしないだろうからな。
であれば、次こそ君たちに勝ち、胸を張って首位を誇ろうという気にもなるというものだ」
「あら、簡単に勝てるとお思いにならないでくださいましね、殿下」
「いや、どんな錯誤をすれば簡単に勝てると思うものか……正直、こうやって皆の前で宣言でもして自分を奮い立たせねば歯が立たないのではと思っているよ」
たおやかな口調で釘を刺すフランツィスカへと、ジークフリートは苦笑を見せる。
今回の試験、彼としては相当に頑張り、手応えも十分だった。
しかし、結果は惜敗。
この状況で調子に乗るような思考回路を、彼は持っていない。
もちろんフランツィスカもそれはわかった上での言葉ではあるのだが。
そうやって成績上位者達が盛り上がっている横で。
クララが、順位表をじっと見つめて、小さく身震いをしていた。
その様子に気付いたエレーナが近づき、その視線を追うように順位表を見れば。
「……58位? ちょっとクララ、凄いじゃない!」
エレーナが喜びに声を上げれば、周囲にいた人間が視線を一斉に向けてくる。
58位で? と胡乱げな視線もあれば、負けた、と悔しげな視線もあり。
そして少なからず、平民上がりの彼女が真ん中よりも上の順位を取ったことに驚いている生徒がいた。
その中で一番驚いていたのは、先日64位という基準を提案したメルツェデスだったかも知れない。
何しろ、ゲーム『エタエレ』で設定上取れる最高順位よりも上の成績をクララは取ってきたのだから。
「あ、ありがとうございますエレーナ様! エレーナ様が親身に教えてくださったおかげです!」
「何言ってるの、あなたが頑張った結果よ!」
普段は控えめなクララも、流石にこの時ばかりは声が弾むのを抑えられない。
それに釣られたようにエレーナも気分が高揚したのか、クララの手を取って褒め称える。
しばしそうやって手に手を取って喜び合えば、じわり、クララの目に涙が浮かんできた。
「ほ、本当にありがとうございます、エレーナ様……私、私、こんな順位を取れるだなんて本当に思ってなくて……エレーナ様に少しはご恩返しできたでしょうか……」
「な、何言ってるの、恩返しだなんて……ううん、こんなもので恩返しができたと思わないことね!
もっと上の順位、何なら一桁順位まで登ってきなさい! そうしたら、恩返しされたと認めてあげないこともないわ!」
「はいっ! エレーナ様、私、頑張ります!」
クララの真っ直ぐな言葉に思わず狼狽えたエレーナは、しかし一瞬考えた後、満足するなと叱咤する。
その気持ちが伝わったのか、クララはまだ涙を滲ませたままながら力強い笑みを見せた。
そんな二人の、師弟愛にも似たやり取りを周囲は微笑ましげに見ながら。
「やれやれ、うかうかしていたらクララ嬢にまで抜かれてしまいかねないな……」
とぼやくジークフリートをはじめ、何人もの生徒が危機意識を募らせていた。
ちなみに、リヒターは480点で5位であり、そして。
「おい、ミーナ。なんでお前は80番台なんだ。いや原因はわかってるんだが!」
「だって、魔術理論以外は半分寝てたし」
「ちゃんと起きてろ、落第するつもりか~!」
そんなやり取りが片隅であったとかなかったとか。




