平穏かも知れない学園生活。
波乱の幕開けとなった入学式の後。
意外なことに。あるいはある意味当然のように。
その後、メルツェデスの周囲で事件などなく、平穏に学生らしい日々が過ぎていった。
もっとも、この辺りはメルツェデスの予想範囲内で、ゲーム『エタエレ』においてもこの時期はさしたるイベントもなく、ちょっとした日常の描写がキャラクターの紹介がてらにあった程度。
それは、今もどうやら大して変わらないらしい。
「メル、次は音楽室に移動よね? 一緒に行きましょう?」
「まってフラン、別に聞かれなくても、大体私達一緒に移動してるわよね?」
「もちろん私も一緒で構わないわよね?」
「エレン、それこそ聞かれるまでもないわよ。というか、どうして一々確認する必要が?」
「あ、待ってくださいエレーナ様、私もご一緒に……」
などと、いつもの三人に加えて、エレーナというかギルキャンス家の後見を受けているクララが共に行動していたり。
「おいミーナ、なんで机に突っ伏して寝てるんだ、お前も移動だろうが」
「え~……眠い、パス。音楽なんて要らない」
「お前ってやつは……」
魔術以外には興味がないとばかりに大体の授業をサボろうとするヘルミーナをリヒターが引っ張り起こそうとしたり。
「あらミーナ、次の音楽の授業は声楽よ? あなたが研究している詠唱関係にも使える技術があったりして」
「くっ……メルは私の痛いところを突いてくる……」
「お前は本当にブレないな……」
メルツェデスの言葉に乗せられて渋々ながら動くヘルミーナにリヒターが呆れたり。
「メルツェデス殿! 次の戦技訓練の時間はジークフリート殿下も出席なさいます!
つまり、私も出席するということでして、是非お手合わせ願いたく!」
「あらギュンター様、構いませんわよ。何でしたら、殿下もいかがです?」
「え。……あ~……うん、じゃあ、訓練ってことで、お願いできるかな?」
機会があればそれを逃すまいとばかりに挑んでくるギュンターと、それに引きずられたジークフリートをボコボコにしたり。
……いや、ゲームのメルツェデスは、入学以降ジークフリートを手ずからボコボコにしたことはなかったが。
「おやおやジーク、随分男前にされたじゃないか」
「ほっといてください兄上!」
そして、ボコボコにされたジークフリートをこんな風に揶揄うエドゥアルドも、それに言い返すジークフリートもいなかったが。
だが、これはこれで良いことなのでは、とメルツェデスなどは思う。
ゲームにおいてはクララ視点だからか、例えばこんな王子二人のやり取りを見る機会はどうしても少なかった。
それでも、今こうして見る二人の関係は、ゲームのそれよりも良好なように思える。
そう考えれば、この状況は決して悪い物ではないのだろう。
などと暢気に過ごしながら、その裏でブランドル一家を使って情報収集をしながら。
一月ばかり経てば、学園内が少々騒がしくもなってきた。
ゲームのヒロインたるクララが騒動を巻き起こし始めたから……ではない。
いや、ある意味今後の騒動の元にはなりそうなのだが。
「いよいよ、最初の定期試験が近づいてきたわね」
「ついに、ねぇ……本当に、面倒だこと」
フランツィスカとメルツェデスの二人が、そんなことを言いながら学園の廊下を歩いて行く。
定期試験。いわゆる、中間試験と言われる物とほぼ同じものと思っていいそれは、ゲーム『エタエレ』においてもそれなりに重要なイベントだった。
文武両道なジークフリートとエドゥアルド、どちらかと言えば頭脳労働担当のリヒターなどは、やはりそれなりの知力が無ければ中々振り向いてはくれない。
そのため定期試験ではそれなり以上の成績を取る必要があり、特に今回の中間試験で手を抜けば、以降の進行に遅れが出てしまう。
ということで、プレイヤー達は最初のテストまでクララを勉強に励ませたものだが。
別に誰かを攻略したいわけでもなく、死亡フラグの回避さえできればいいメルツェデスにとっては、然程重要なものではなかった。
「あら、面倒だなんて随分と余裕なことね。まるで何もしなくても及第点はもらえるみたいな言い方だけれど」
「そこまでは言わないけれど、及第点だけなら普段からちゃんとしていれば取れるんじゃないかしら。……フランだってそうでしょう?」
「そこはまあ、否定しないけれど」
こうは言いながらも、メルツェデスとて元々きちんと教育を受けており、入学してからも勉学には励んでいて油断はしていない。
そしてフランツィスカもまた、同等かそれ以上に努力を重ね、しっかりと知識教養を身につけている。
むしろ入学前から競い合うように励んでいたせいで一年生内容などとっくに学習済みな二人にとっては、何もせずとも及第点どころか上位成績すら余裕で取れてしまうのだが。
メルツェデスに勝つことを目標としているフランツィスカとしては、是非ともこの試験においても全力を出してもらいたい、と密かに思ってもいるのだ。
もっとも、他人の面倒事には首を突っ込む癖に自分のこととなれば無頓着な親友に、どうやったら本気になってもらえるのかはわからないのだが。
などととりとめの無い会話をしながら、二人は図書室にやってきた。
中に入れば、試験前とあってか普段よりも人が多い。
と、その中によく見知った二人がいるのを見かけて、『おや』と互いに顔を見合わせた二人はそちらへと足を向けた。
「ごきげんよう、エレン、クララさん。二人して試験勉強中かしら」
メルツェデスが声を掛ければ、二人は弾かれたように顔を上げた。
……完璧に表情筋を操っているエレーナと違って、驚きの色をそのまま出しているクララ。
これはこれで可愛いな、などと思いながら、メルツェデスはにこにことした笑みを見せている。
「ごきげんようメル、それからフラン。貴女達も試験勉強?」
「いえ、私達は以前借りていた本を返しに来ただけなのだけど……なるほど、エレンはクララさんのお勉強を見がてら復習ってところかしら」
「は、はい、申し訳ないのですけど……」
エレーナの挨拶に返事をしたフランツィスカが、二人の座っている位置、開かれた本のページを見て言えば、どうやら当たりだったらしく、クララが身体を縮こまらせた。
そんなクララの肩をぽんと軽く叩き、エレーナが大したことでもないと言わんばかりに笑って見せる。
「気にすることないわよ。私だって試験範囲を復習したかったところだし。
それに、人に教えると自分の理解も深まるって言うから、丁度いいわ」
「そ、そうなんですか? ……それでも、やっぱりこうして教えていただけるのは本当にありがたいです」
「べ、別にあなたのためだけじゃないんだからね? そ、そう、あなたの後見たる私としては、あなたに下手な成績を取らせられないっていうのもあるし」
真っ直ぐに向けられたクララの視線から逃れるように、ぷいっとエレーナは視線を背け、そっぽを向いた。
……ほんのりと染まった、言葉よりも雄弁な耳や頬を見てメルツェデスやフランツィスカはくすくすと笑い、クララは驚いたように目を瞠る。
男爵家に引き取られてから数ヶ月、何かにつけて世話を焼いてくれているエレーナは、クララから見れば落ち着き払った令嬢の見本だった。
いや、こうしてメルツェデスやフランツィスカと同席した時にはどこか砕けた表情を見せてはいたが。
それでも、ここまで狼狽えた表情は初めてで。
何となくクララは、エレーナとの距離が縮まったようにも感じていた。




