そして、退屈令嬢は軽やかに笑う。
そうこうしている内に、どやどやと屋敷のそこから大勢の人間が来る気配がする。
力無く項垂れていたバーナス子爵も、その音にふらふらと顔を上げて。
「こ、近衛騎士団、だと……」
書斎の扉から入ってきた男達、その胸に刻まれた紋章に、呻くような声を上げる。
近衛騎士団。文字通り国王の身辺を守り、そのために様々な権限を与えられた騎士団。
その権限の中には、貴族の取り締まりや逮捕権限も含まれている。
こうして彼らがやってきた、ということは、つまり。
「バーナス子爵様とお見受けいたします。この度のスピフィール男爵誘拐事件に関してお話を聞かせていただきたく。
大人しくご同行願えますかな?」
「は、はは……もう、どうとでもするがいいさ……」
燃え尽きた灰のようになりながら、バーナス子爵は投げやりな口調で言い放った。
言うまでも無く、近衛騎士の練度は彼の雇っていた兵士達よりも高い。
さらには、数の上でも負けている。
その上、メルツェデスを傀儡とする最後の手段も不発に終わった。
これで完全にチェックメイトなのだと、彼自身もよくわかっていた。
二人の騎士に両腕を持たれて連行されていくバーナス子爵と入れ替わるように、二人の大柄な男が入ってきた。
「ちいとばかり手間取っちまって、申し訳ありやせん、お嬢」
「いえ、丁度良いタイミングでしたわ、ゴンザ。聞くべき事は最低限聞けましたし、ね」
頭を下げるゴンザとサムに対して、メルツェデスはひらひらと軽く手を振って見せる。
もしももっと早いタイミングで近衛騎士団が突入してきていれば、バーナス子爵を問い詰める暇は無かった。
その後調べることもできたかも知れないが、現場保持のために外に出された可能性も低くは無い。
となれば、このクラバットを見つけることもできなかった可能性があるのだ。
そう考えれば、このタイミングは丁度良かった、と言うべきであろう。
実はバーナス子爵邸に連中が逃げ込んだのを確認した後、ゴンザとサムはメルツェデスに報告し、その足でプレヴァルゴ邸へと向かっていた。
そこでジェイムスへと連絡し、彼からガイウス、さらには近衛騎士団へと話を通したのだ。
当然、子爵による男爵誘拐などという大事件に近衛騎士団が動かぬわけもなく、結果こうしてバーナス子爵の身柄を抑えるまでに至るわけだが。
「これはまたこれで、しかるべきところで調べていただくとして、と。
ひとまずはこれにて一件落着、かしら」
「そうねぇ、一件落着、と言っていいと思うから、さっきの疑問に答えてもらおうかしら、メル」
良かった良かった、とばかりに笑みを浮かべたメルツェデスの肩を、がしっとフランツィスカが掴んだ。
その力強さに、思わずメルツェデスもびくっと背筋を震わせ、窺うようにそちらを見やる。
「あらフラン、随分とせっかちさんね?」
「せっかちにもなるわよ、なんであんな魔道具を知っているの? いくらあなたが勉強家だからって、ちょっとおかしいわよ?」
じぃ、と見つめてくるその視線の圧に、流石のメルツェデスも思わずたじろいでしまう。
そして、やはり何か後ろ暗いことがあるのか、とフランツィスカはぐいぐいと迫ってきた。
「近衛騎士団の人達も撤収していったし、そろそろいいんじゃないの?」
「はぁ……仕方ないわね、ここで長居をしてもなんだし、帰りながらでいいかしら」
「ええ、それで勘弁してあげるわ」
観念したように肩を落としながらメルツェデスがそう言えば、してやったりとばかりの笑顔でフランツィスカが頷く。
彼女だけでなく、男爵やマリアンナもそこは気になっていたのか、好奇心が滲むのを隠せないでいる。
「そうねぇ、どこから話したものかしら。きっかけは些細なことだったのよ」
そう、切っ掛けは西門での調査の最中、たまたま目に付いた物流の違和感。
何故か目に付いた『ディアルの染料』『ドボルザの粉薬』『シャピザの光糸』。
普段は然程流通の多くないそれらが、何故か大量に流れ込んできていた。
「普通なら気にも留めないのでしょうけれど……たまたま、以前目にした本の中にあったのよ、それらで作ることができる魔道具が」
流石に、ゲームの知識が、などとは言わないし、言えない。
これがフランツィスカとハンナだけの状況であれば考えもしたが、いくらなんでも人目が多すぎる。
そして、この説明でもそこまで不審には思われていないようだと見れば、明かすという選択肢はない。
「その名も、『奉仕者のローブ』。これを身に着けたものは、本来の所有者の言うことに従順になる、と書いてあったわ」
「何その恐ろしい魔道具……。え、でも待って、さっきのは、クラバットだったわよね?」
「ええ、ここから先は推測でしかないのだけど……恐らく、衣類、身に着けるものであれば同じ効果のものを作ることができるんじゃないかしら。そういった記述もあったしね」
あっさりと言うメルツェデスに、しかし周囲の人間は絶句する。
それが意味することの恐ろしさに、誰よりも先に気付いたのはスピフィール男爵だった。
「お待ちください、ということは……奴が、絹の権利だけでなく、私の販路を手に入れようとしたということは」
「ええ、彼の本当の目的は、スピフィール男爵様がお持ちの、上流階級へのツテ。
そして、もし上級貴族の方々がこの『奉仕者』の衣類を身に着けてしまえば……想像するだに恐ろしいですわね」
例えば、公爵がもしもバーナス子爵の言いなりになれば。最悪の場合、王族がそうなってしまえば。
この国がどうなってしまうのか、考えたくも無い事態になることは間違いないだろう。
「おまけに、精神に関与できるっていうことは……闇属性の魔道具、ということよね……?」
「ええ、そういうことになると思うわ。もっとも、私で抵抗できたのだから、伯爵以上の階級であれば抵抗できる可能性は低くないと思うけれど。
……それか、このクラバットが実は出来損ないだったか」
などと言っては居るが、実際のところメルツェデスの持っている魔力の量は伯爵の家系の中ではむしろ高い方である。
その彼女が抵抗できたからといって、他の上位貴族が抵抗できるかは怪しいところだ。
そして、このクラバットが出来損ないだから大したことはなかったのであれば、それもそれで問題である。
本来の性能であれば、メルツェデスも対抗できなかった、かも知れないのだから。
「実際のところ、これだけ恐ろしい能力がある魔道具だから、それ相応の設備があるところでなければ、きちんとした物は作れないと思うけれどね。
例えば王家直属の工房だとか。後は、学園の工房かしら」
ゲーム内での制作は、学園内にある魔道具工房で行われていた。
王族も通う王立学園とあってその設備は国内トップクラスという設定であり、実際魔王に対抗しうる魔道具も作れたりしたのだから、設定負けもしていない。
そして話に聞く限り、この世界でも学園の工房はかなりの水準にあるようだった。
「はぁ……ということは、効かないだろうという見込みもあった上で、あんな軽率なことをしたわけね?」
「そういうこと。リスクがないわけでもなかったけれど、勝算は十分あったのよ」
呆れたようなフランツィスカの言葉に悪びれない笑顔でメルツェデスは応じるが、それは、フランツィスカのため息を止められない。
リスクがないわけでもなかった。つまりそれは、万が一は十分あり得たということなのだから。
だが、その身を危険に晒した当の本人は、まるでそのことに頓着していない。
「だからって、もうちょっと自重してよね。あなたに万が一のことがあったら、私は……」
「……そうね、心配させてごめんなさい。でも、あの時はああするしかなかったのよ」
咎めるような言葉に、流石に悪いと思ったのかメルツェデスは頭を下げる。
しかし、それでも曲げることができないものもあり、それがわかるから、フランツィスカもそれ以上は言えない。
そして同時に、ある種の決意も固めてしまったのだが。
「あの、プレヴァルゴ様……お話を聞くに、かなり危ない橋を渡っておられたように聞こえます。
ですが、その……私共は今日知り合ったばかりの間柄。
なのに何故、ここまでのことをしていただけたのでしょうか」
話を聞いていたマリアンナが、おずおずと問いかける。
鮮やかに解決して見せたメルツェデスが、その実決してノーリスクではなかったことを痛感させられた。
大立ち回りは元より、『奉仕者』という危険な魔道具までその身を張って突き止め、排除してくれた。
それは、どうにも過分に思えてならない。
問われたメルツェデスは足を止めて。
「あら、簡単なことです」
そう言いながら、クルリとマリアンナ達を振り返る。
「領民思いで実直な男爵様と、健気にそれを支えるご令嬢が悪党の食い物にされる。
そんなありふれて面白くない筋書き、退屈じゃありませんか」
義理でもなく実利でもなく、ただ退屈を厭うがため。
そう言って晴れやかに笑うメルツェデスに、マリアンナとスピフィール男爵は目を瞠り。
答えて身を翻し真っ直ぐに歩き出したメルツェデスの背中へと向かって、二人並んで深々と頭を下げたのだった。




