悪あがき。
「さて、どうやらあちらも終わったようですね」
床に転がり悶える子爵から意識を完全には外さないようにしながら、メルツェデスはちらりと横目で廊下の方を見やる。
そちらからも呻き声こそ聞こえるが、最早剣戟の音はしていなかった。
と、メルツェデスの推測を裏付けるように、すっとハンナが姿を現した。
「お嬢様、抵抗してきた連中は全員打ち倒した後、拘束いたしました。また、命に関わる負傷をした者はおりません」
「ご苦労様、流石ハンナとミラね。よくやってくれました」
「はっ、勿体ないお言葉にございます。それでは、この者達も同様に」
「ええ、お願いね」
メルツェデスが頷けば、ハンナは慣れた手つきで男達の手足を細い紐で縛り、拘束していく。
ちなみに、ハンナ曰く彼女であっても縄抜けできない上に、足掻くほどに食い込んでいく特殊な結び方だとか。
そんな特殊な結び方を、目にも留まらぬ速さでハンナは施していく。
「さ、これで全員拘束いたしました。ミラ、もう入ってきていただいて大丈夫よ」
「りょ~かい、いい加減廊下で睨み利かせ続けてるのも疲れるし、助かったよ」
ハンナの声にミラが応じれば、制圧の終わった廊下で待っていたフランツィスカ達が書斎へと入ってきた。
周囲を警戒しながら最後に入ってきたミラは、そのまま扉付近で待機する。
いくらメルツェデスがしっかりと気絶させたとはいえ、万が一もないわけではない。
そのため、フランツィスカ達にはミラが護衛について、ハンナが拘束し終わるまで部屋に入らずに待っていたわけである。
部屋に入ってきた一同はあるいは恐る恐る、あるいは疎ましげに床に転がる男達を見やり。
そしてただ一人、男爵は憎々しげに目を光らせ、目当ての男を見つけると、その傍にずかずかと歩み寄り、がしっとその胸元を掴んだ。
「バーナス子爵、貴様、よくもこんなことを!
私だけならともかく、娘まで巻き込むことはなかっただろうが!」
そのまま締め殺さんばかりに襟元を締め上げられ、バーナス子爵は苦しげに呻き声を上げる。
だがそんな反応で手が緩むわけもなく、子爵は命の危険を感じ取った。
「ま、待てっ! 私はまずお前を連れてくるように言ったんだ、娘はもしもの保険に後からと!」
「前後しただけで指示は出したということではないか、何の言い訳にもならんわぁ!」
叫びと共に怒りの鉄拳が、子爵の顔に叩き込まれる。
その筋骨隆々とした見た目通りの重く力強い一撃に、子爵は鈍い音を立てながら床に顔面を打ち付けられたのだが、同情する者は誰もいない。
そもそも、彼がこんなことを企まなければ良かったのだから。
勿論娘があわやという目にあった怒りはその程度収まらず、もう一発、と男爵が拳を振り上げたところで、そっとその手が抑えられる。
「男爵様、お気持ちはお察しいたします。ですが、今はまだやることがございますから」
「プ、プレヴァルゴ様……左様ですね、申し訳ございません」
諭されて、はっと我に返ったスピフィール男爵は頭を下げながら引き下がった。
未だ握られた拳は震えていたが、それでも顔には出さない辺りに、彼の理性の強さと貴族としての矜持を窺わせる。
そんな彼に労るような目を向けたメルツェデスは、直ぐに冷え冷えとした顔でバーナス子爵へと向き直った。
「さて、バーナス子爵様。あなたには是非お聞きしたいことがございます」
「はっ……一体何を聞こうと言うのだね、今更」
「確かに、男爵様もマリアンナ様もこうして無事、あなた様の企みは失敗に終わったと言ってよいでしょうけれど」
子爵の言葉に頷いて見せたメルツェデスだが、一度言葉を切るとすぅっと目を細める。
その射貫くような視線に子爵は背筋を震わせるが、直ぐに気を取り直し、顔に出さないよう意識する。
失敗した、それで終わらせなければならない。気付かれてはいけない、気付かれるわけにはいかない。
そんな彼の内心を知ってか知らずか、じぃ、とメルツェデスは子爵の顔を見つめ。
「それとは別に。男爵様に無理矢理サインをさせるための手段、が気になります」
「なっ!?」
メルツェデスの問いに、子爵の顔が崩れた。
気付かれる、どころかいきなりそこを突いてきたのだ、動揺するなという方が無理である。
当たりだったと見れば、メルツェデスの口角がニィ、と緩やかに上がる。
「この連中は、男爵様にサインをさせる手段はいくつもあると言っていました。
そしてあなた様ご自身、マリアンナ様を拉致しようとしたのはもしもの保険でしかなかった、とも。
となれば、もっと効果的な手段があったのではないですか?
例えば……相手に無理矢理言うことを聞かせる魔道具とか」
「なぜそのことを!? き、貴様一体何者だ!?」
思わず声を上げてしまうバーナス子爵だが、驚いて居るのは彼だけではなかった。
スピフィール男爵やマリアンナはもちろん、ここまで共に調査をしてきたフランツィスカも驚愕の顔を隠せない。
「メ、メル? 一体、どうしてそんなことがわかったの?」
「それについては、ちょっと後で説明するわね。私も確証があったわけではないし。
ただ、引っかかった間抜けは見つかったみたいだけれど」
くすくすと微笑むメルツェデスに、バーナス子爵の顔がかっと赤くなる。
しかし、実際ブラフに引っかかったのだから、反論のしようもない。
そんな子爵の元へと、メルツェデスはずいっと近づいて。
「さ、そんな物騒な魔道具、どこに隠しておいでです?」
「くっ、誰が……」
と口答えをしようとしたところで、子爵の言葉が止まる。
彼の目の前には、先程腹部に叩き込まれた、今も悶絶しそうな痛みを生み出した白扇。
さらにはメルツェデスだけでなく、手勢を圧倒したらしいメイドも背後に控えている。
それを見て言葉が止まり、そして、目が泳ぐ。
沈黙すること、しばし。
「……私の机の、引き出しだ。一番上の引き出しが、二重底になっていて、その中に入っている」
「あら、案外潔いのですね。面倒がなくてよろしいのですが」
少しばかり訝しげにしながらも、メルツェデスは言われた通りに子爵の机を漁り、引き出しの二重底を取り外した。
そこに入っていたのは。
「これは……クラバット?」
中に入っていたのは、男性貴族の胸元につけられるクラバット。
呟きながらメルツェデスは真っ白なそれを手にして、目の高さまで持ち上げた。
その瞬間。
「私の言うことに従え! 私を解放しろ、こいつら全員を殺せぇぇぇぇ!!」
子爵が声高に叫べば、クラバットが薄暗い魔力の光を帯びる。
と思えば、その光がメルツェデスへと襲いかかり、その身体を覆うように纏って。
パチン。
シャボン玉が爆ぜるような淡い音を立てて、それらの光は弾き飛ばされた。
「……ふむ、なるほど。少なくとも警戒していれば私程度の魔力でも抵抗できるようですね」
「なっ、え、な、何……? 何故、だ……?」
「何故って、布製品であろうことはわかっていましたからね、元から警戒していたのですよ」
ブルブルと震えながら絞り出した子爵の言葉に、殊更軽くメルツェデスは返す。
恐らく、子爵は『奉仕者シリーズ』の何かを持っている。
さらにゲームの知識から、往々にして衣類やその類いであろうこともわかっていた。
そしてそこに、何故か机の引き出し、その二重底の中という人目につかない場所に入っていたクラバット。
これがそうであろうことは、すぐに推測できた。
当然、精神に影響を与えるものであろうことは予測していたため、抵抗すべく魔力をひっそり高めていたのである。
その結果、メルツェデスはこの魔道具の影響に抵抗できたわけだ。
「そこに、素直に口を割ってくるのですから、これは何かあると思うに決まってるじゃないですか。
わたくしは、敢えて魔道具としか表現していませんでした。
まさかこんな、普通の衣類に見えるものだとは思っていないだろう……そう考えていませんでしたか?」
そんなメルツェデスの言葉に、子爵は呆然とした顔で見上げることしかできない。
いや、ゲーム知識のないフランツィスカ達は、実際に魔道具と聞いて、何か仰々しい道具だと考えていた。
まさかこんな普通のクラバットに見えるものが、とすら、今でも思っている。
しかし、子爵の反応を見るに、間違いはないのだろう。
「そして、わたくしが触れたところで支配下におくことができれば、と考えた。残念ですが、その程度はお見通しなのですよ」
さらりと何でも無いことのように告げるメルツェデスの顔を見て。
これ以上の抵抗は無駄だと悟ったバーナス子爵は、ついにぐったりと床に身を沈めた。
 




