退屈なパーティ。
「な、なんだ!? なんだお前は!?」
扉を蹴り開けてきた令嬢。
その常識外れな存在を、彼の頭は理解することを拒否した。
確かに、この家の扉は、内側に向かって開くタイプのものだ。
外側に向かって開くタイプの場合、蝶番が外に剥き出しになるため、それを破壊しての侵入を許してしまうことがありえる。
だから治安の悪いこの辺りは、内側に向かって開く扉が多い。
もちろんそれは、外から衝撃を加えられれば押し入られやすいというデメリットも持つことになるが、丈夫な鍵を掛けていればほとんど無視することができるものだ。
そして、鍵は掛けていた、はずだった。
だというのに、あっさりと蹴破られた扉。
それも、どうやら目の前に居る、身長こそ170cmに近くはあるが、どちらかと言えば細身である令嬢がやらかしたらしい。
何をどうすればそんなことができるのか、男には理解できなかった。
そして、男が理解できようができまいが、彼女が意に介することはない。
「なんだとはご挨拶ですわね。もう少し淑女に対する作法を身に着けられた方がよろしくてよ?」
「お前みたいな淑女がいるか!!」
彼らの叫びもごもっともではある。
あるのだが、むしろその反応を楽しんですら居るメルツェデスには、全く堪えた様子も当然無い。
「ここにこうして居るのですから、仕方ありませんわ?
それとも、わたくしの振る舞いに、どこか淑女として不足があるとでも?」
挑発的に言いながら、さらに一歩、二歩、前に進み出る。
ずかずか、とも言える程の厚かましさで、しかしその歩みや立ち振る舞いは優雅に。
ある意味慇懃無礼とも言えるその所作に、男達はまた言葉を失う。
確かに、彼女の身のこなしは令嬢と呼ぶにふさわしい優雅なもの。
だが同時に、優雅に歩むその足で、扉ごと大の大人を蹴り飛ばしたのもまた事実。
だから彼らは事実が飲み込めず、混乱し硬直して。
メルツェデスの背後からするりと忍び込んだ疾風のごとき速さの何かに、反応できなかった。
「お嬢様、スピフィール男爵様の身柄、確保致しました」
急に背後から聞こえた声に、男達は慌てて振り返る。
そこにいたのは、一人のメイド。清楚な装い、上品な仕草はまさに絵に描いたようなメイドなのだが。
その手が優雅に翻れば、キラリキラリと幾度か踊る、輝く白刃。
次の瞬間には、男爵を拘束していた縄が切り裂かれ、ぱたりと地面に落ちていた。
「流石、良い仕事をしますわね、ハンナ」
「はっ、お褒めに預かり恐悦至極でございます」
神業とすら言ってもいい程のその動きを、この主従二人だけがさも当然のように受け止め、当たり前のように会話をしている。
けれど、助けられた男爵ですら、まして痛烈な先制攻撃からの追撃で目論見が崩れ去った男達は言葉を口にすることができない。
いや、そもそも頭がまともに働いておらず、意味を成すような言葉が脳裏になかった。
そんな彼らに対して、メルツェデスはにこやかな笑みを浮かべながらまた一歩踏み込みながら問いかける。
「さて。これであなた方の企みは潰えたわけですが。
このまま大人しくお縄に付けばよし、そうでなければ……少々痛い目を見ていただきますわよ?」
そう言いながらメルツェデスは、つい、と右手に持った白扇を男達に突きつける。
彼らとてそれなりに裏の世界に身を置いていたのだ、修羅場も幾度となく味わってきた。
そして、その彼らの感覚が告げている。この令嬢は、危険だ、と。
しかしこの逃げ場の無い状況、どうすればいいのかと問われて、彼らに案はない。
となれば、取れる手段はただ一つ。
「くそっ、やっちまえ! 相手は一人だ、同時にかかれば!」
「お、おうっ!」
リーダー格なのか、一人の男が声を上げれば残りの二人もそれに応じ、三人がかりでメルツェデスへと殺到する。
だがその動きはメルツェデスの目には緩慢にしか見えないものであり、更には事前の打ち合わせなど何も無い、連携の欠片も感じさせないものだった。
つまりは。
「全く、本当に歓迎の仕方もわかってらっしゃらない、退屈な方達ねぇ」
呆れたような気怠げな声。
しかし、迫り来る男達に見せた動きは、それとは裏腹な鋭いものだった。
一瞬で向かって右側の男の前に踏み込めば、鉄芯の入った白扇が一閃、男の頬を張り飛ばし、もんどりを打って男は転がり倒れる。
倒れる男に目もくれず残り二人へと向き直れば、勢い込んだところをかわされた形になって蹈鞴を踏んでいた。
男達がなんとか体勢を立て直したところにまた踏み込むと、今度は真ん中の男、リーダー格らしい彼の顎先を白扇で撃ち抜けば、ぐにゃり、糸が切れた人形のように崩れ落ちる。
瞬く間に仲間二人を倒された残る一人は、慌てふためきながらナイフを取り出しメルツェデスに突きつけるように構えたが、その構えはどうにもおぼつかない。
へっぴり腰とも言えるその格好にため息を一つ。
それが消えるより先に男の目の前に現れたメルツェデスは、ナイフを持つ右手を強かに打ち据え、その反動で振り上げた白扇を、男の脳天へと打ち下ろした。
「ぐぎゃっ!?」
悲鳴を上げて床へと転がる男を退屈そうに見やると、興味を無くしたのかメルツェデスは男爵の方へと歩み寄る。
当の男爵は、あっという間に床に転がった男三人と、それを為したメルツェデスをどこか呆然とした顔で交互に見比べ言葉も無い。
彼とてかつては学園で訓練を受け、今も折を見て鍛錬をしている人間だが、その彼でもメルツェデスの動きを目で追うのがやっと。
そしてその令嬢は今目の前で、息を切らすこともなく平然とした顔で立って居るのだから、言葉がなくなるのも仕方のないところかも知れない。
そんな動揺しまくっている男爵の内心に気付くこともなく、メルツェデスはすっとドレスの裾を摘まみ、頭を下げて見せる。
「お初にお目にかかります、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴと申します。お見苦しいところをお見せしまして失礼いたしました。
スピフィール男爵様かと存じますが、間違いございませんでしょうか」
「あ、ああ、あなたがあの……こちらこそ情けないところをお見せして申し訳ない」
伯爵家、つまり彼より家格が上であるメルツェデスに挨拶をされ、スピフィール男爵は即座に立ち上がるとピシッと音がしそうな程折り目良く頭を下げた。
その所作に、メルツェデスは嬉しそうに目を細める。
どうやらこの男爵様も、マリアンナと同じく好感の持てる御仁のようだ、と。
「お嬢様」
などと考えていたところに、ハンナから声が掛かる。
おや、と振り返ってみれば、先程打ち据えた男達が、気を失っている一人を置いたままヨロヨロとした足取りで逃げ出していくところだった。
「あ、あいつら!」
と追いかけそうになった男爵をメルツェデスが軽く手で制して、しばし。
開いたままの扉からゴンザとサムが顔を出せば、メルツェデスは小さく頷いて見せる。
ゴンザとサムはそれに頷き返すと、そのでかい図体には似合わない静かな足取りで男達を追跡しはじめた。
「わたくしの手の者に追わせましたので、ご心配なさらず。
連中のアジトか、上手くいけばさらに上を突き止めることもできるやも知れません」
「なるほど、だから先程は手加減をしていたのですね」
「ええ、男爵様が誘拐された証拠として、一人は気絶させて確保いたしましたしね」
男爵の目には、メルツェデスの腕であれば致命的な一撃で命を奪うことすらできたはず、と見ている。
しかし敢えて弱く、気絶すらしないように打ち据えていたのはこういうことだったのか、と納得しつつ、同時に末恐ろしいものも感じていた。
デビューしたての、聞けば彼の娘マリアンナと同学年であるという少女。
その少女が、こうも荒事に慣れていて前後の手はずも考えられている、ということに。
そんな感慨を胸にメルツェデスの背中を見ていたところに、また扉から別の顔が覗いた。
「メル、もう終わった? 大丈夫?」
「ええフラン、もう大丈夫、入ってきてもいいわよ」
「……は?」
メルツェデスと気軽に会話し、慎重な足取りで、しかしキョロキョロとあちこちを興味津々で見回す少女。
その姿は、お茶会などで幾度か見たことがあり、挨拶をしたこともある少女だった。
「フ、フランツィスカ様!? な、なぜエルタウルス家のご令嬢がこのようなところに!?」
男爵が取り乱すのも仕方のないこと。
何しろここがどこかはわからないが、明らかに庶民の住む地域の中でも更に裏手なところにあるのは間違いないであろう寂れた場所。
そこに貴族の中でも最上位である公爵家の娘が、少ない供のみで顔を出したのだ、驚くのも無理はない。
しかしそんな反応を予想していたのか、フランツィスカは慌てる様子も無くにこりと笑って返した。
「スピフィール男爵様、ご無沙汰しております。
いえ、マリアンナさんが、あなたがいらっしゃらないとご心配なさっているところをお見かけしまして。
お話を聞いた上で友人であるメルツェデス嬢と協力してお探ししていたところ、こちらに行き着いてしまったのです」
「な、なんとそんなお手間をおかけしたとは、面目次第もございません……いや、そういうことでしたら人を使うべきではございませんか!?
御自ら動かれるなど、なんと危険なことを!」
「ええ、それは本当におっしゃる通りなのですけれど、状況から、時間との勝負、と見まして。
どうやらそれは、正解だったようですし」
「それは……確かに、その通りでございますが……」
それは、結果論で上手くいっただけ、と言えばそうだ。
しかし結果として上手くいったことでもあるのだから、公爵令嬢であるフランツィスカにこれ以上言い募ることは憚られた。
と、少しばかり沈黙が落ちたところに、カッポカッポと馬の蹄の音、更には車輪の音が聞こえてきた。
「……こんなところで馬車の音?」
メルツェデスの呟きに、男爵がハッとした顔になる。
「きっと、連中の仲間です! やつら、卑劣にもマリアンナまで掠おうとしていたらしく!」
取り乱す男爵に、しかしメルツェデス達は驚いた様子もなく。
むしろフランツィスカなどは呆れたような顔でメルツェデスを見たりなどしている。
「……本当にメルの読み通りになったわね……」
「ああいった手合いが考えることなんて、大体似通ったものなのよ」
ぼやくようなフランツィスカに、朗らかに返すメルツェデス。
その二人の会話が意味するところを、男爵はすぐには理解できない。
だが。
「あ、ドアが開いてると思ったら、流石お嬢、もう突き止めてたんですねぇ」
メルツェデスの言葉を証明するかのように、ミラがマリアンナを連れて、ヘラリと笑いながら顔を出したのを見て、彼もまた、理解した。
彼ら親子に襲いかかった危機は去ったのだと。




