令嬢は、たくましい。
「いやぁそれにしても、スピフィール様が鋭いお方で助かりました」
しみじみ言いながら、ミラは気絶した御者の男も縛り上げる。
会話をしながらだというのにその手つきは淀むこと無く、どこか機械的で。
彼女が、こういった事に慣れている、ということが如実に窺えた。
そんな彼女の姿をどこか惚けたような顔で見ていたマリアンナは、笑いかけられたのに気付くと無意識に背筋を伸ばしてしまう。
「す、鋭いだなんてとんでもない。全く気付かずに、危うく連れ去られるところでしたから……」
首を横に振りながら答え、マリアンナは小さくため息を吐いた。
狙ったようなタイミングでやってきたバーナス家の従者と名乗る者を、簡単に信用しなければ。
道すがらに感じた違和感をもっと考えておけば。
あるいは、もっと前から異変を感じ取って居れば。
そんな、今更どうしようもない『もしも』が頭を占めていく。
「ミラさん、でしたか。あなたの手も煩わせてしまいましたし……」
自分が不用意に動かなければ、こんなことにはならなかったのでは。
そんな彼女の思いは、唐突に響いた笑い声にかき消される。
「あっはは、そんなお気遣いなく。むしろ、ずっと影に潜んで見守っている方が窮屈なんですから、身体を動かした方が遙かに気楽です」
なんて軽く笑いながら、ミラは軽々と男二人を抱え上げ、馬車の中へと放り込んだ。
ついでに扉で何やら細工をしているのは、内側から開かないように、だろうか。
確かに、男顔負け、むしろそれ以上と言っても過言では無い身体能力を持つミラであれば、身体を動かしている方が楽なのかも知れない。
少しだけ心が軽くなったところに、馬車から戻ってきたミラがニコリと笑いかけてくる。
「それに、助かったのは本当なんですよ。
何しろ一緒に歩いていたあの男がボロを出してくれなければ、あそこで止められずに馬車に乗せられてましたからね。
そうなったら、私の足でも馬車についていけたかどうか。振り切られてしまったら、私はお嬢様から大目玉です。
何より、あなたがどんな目に遭ったかわかったものではないですから……あの時、おかしいと気付いて声を上げてくださって、本当に助かりました」
「そ、そんな、頭を上げてください!」
ぺこりと頭を下げるミラへと向かって、マリアンナは慌てて手を振った。
元々家臣でもなんでもない関係。
むしろ、知り合ったばかりのメルツェデスがいつの間にか手配していた護衛なのだ、こちらがありがとうございますと言わねばならないところだ。
だというのに、ミラは恩着せがましいことを言うどころか、限りなく謙虚である。
「いえ、私の判断がもう少し早ければ、あんな風に腕を掴まれて怖い思いをなさることもなかったわけですし、申し訳ございません」
「そ、それは、確かにちょっと怖かったですけど……でもでも、貴族家の使用人に対して、いきなり強硬手段とか取れるわけないですし」
未だ頭を下げたままのミラを何とか押しとどめようと、マリアンナは手を伸ばす。
その気配に気付いたのか、手が触れる直前にミラは顔を上げ、マリアンナへと微笑みかけた。
「そこまで言っていただいて、あまり頑なになるのもいけませんね。
ですが、あなた様のお心に傷痕が残りでもすれば一大事。少しでもご不安などありましたら、遠慮無く仰ってください」
そう言いながら滑るようにマリアンナの前へと跪けば、彼女の右手を両手で取って捧げ持つようにしながら、ミラは自身の額をマリアンナの手の甲にそっと押し当てる。
田舎暮らしが長く、そんなキザな仕草に不慣れなマリアンナは覿面に顔を赤くし、口をパクパクと開いては閉じるだけで返事をすることもできない。
マリアンナの初心な反応に、ミラはついつい調子に乗って、さすりとマリアンナの右手を軽く撫でさすりなどするが、真っ赤な顔でふらふらとし出したのを見て、流石にやり過ぎたかと手を止めた。
「さて、あまりこのような場所にいてもよろしくありませんし、学園の寮へとお送りいたしましょう、スピフィール様」
言いながらミラは立ち上がり、さて歩きで送るか接収した馬車で送るか、としばし考える。
だが、その考えている間にマリアンナからの返答がない。
そのことに気付いたミラがマリアンナを見れば、眉を寄せて思案している姿。
どうしたのだろうと観察していると、マリアンナは顔を上げて口を開いた。
「あの、ミラ様。……私を父の元へという名目でおびき出したあの人達は、恐らく父の居場所を知っていますよね?」
「ええ、恐らくは。……いや、お待ちくださいスピフィール様、だめです、いけません、うちのお嬢様のようなことを考えてはいけません。
あなた様に何かあった日には、お嬢様から何をされるかわかったもんじゃないんですから」
マリアンナの目に浮かんだ光を見て、ミラは慌てて両手を押さえるように突き出しながら首を振る。
その目に宿る意思は、彼女のよく見知ったもの。
主であるメルツェデスが時折見せるそれに、よく似ていた。
だが、メルツェデスは修羅場に首を突っ込んでも自力でなんとかできるだけの腕がある。
というか、実はミラよりも既に上だったりするのだが。
そんなメルツェデスならばまだしも、多少は普通の令嬢よりも鍛えているとはいえ、普通の女子の範疇にあるマリアンナをならず者が待ち受けているであろう場所に連れて行くことなどできるわけもない。
けれども。
困ったことに目の前のマリアンナは、梃子でも動かないような意志の強さを、その瞳に宿してしまっている。
「わかっています、危険だということは。
しかし、こんな手段を使ってくる者達に、お父様は恐らく拉致されてしまっているのでしょう?
でしたら、一刻も早くお助けしなければ、命が無いかも知れません」
そこまで決然とした表情で言って。
不意に、マリアンナは視線を足下へと落とした。
「その、私一人では何も出来ませんし、プレヴァルゴ様の家臣であるミラ様にお願いするのは、大変申し訳ないのですが……」
先程までの勢いはどこへやら、徐々に言葉が尻すぼみになっていくマリアンナ。
その様子をぽかんと見ていたミラは、幾度か瞬きをして。
「ぷっ、ふ、ふふふ、あはははっ!」
堪えきれず吹き出し、カラカラと快活に笑い出した。
突然のそれに、マリアンナは目をぱちくりと瞬かせ、声が出てこない。
と、ひとしきり笑って満足したのか、ふ~、と息を一つ吐き出す。
「あ~、もう、そんなこと言われたら断れないじゃないですか」
そう言うとミラはマリアンナへと向き直り、ぴっと人差し指を立てた。
「一つだけ、条件があります。それが守れるのでしたら、お父様を見つけ出すお手伝いをいたしましょう」
「あ、ありがとうございます、ミラ様! ……そ、それで、その条件とは……?」
思わず反射的に返事をしてから、条件を聞いていなかったことに気付いたマリアンナが、おずおずと問いかける。
その問いに、にっこりとミラは良い笑顔を返して。
「申し訳ありませんが、御者台で我慢してください」
「は、はい? ぎょ、御者台、と言いますと……?」
当然と言えば当然な問いに、ミラは笑みを崩さないままに馬車をちらりと見やる。
「きっちり縛り上げているとはいえ、あの連中を押し込めている車内にお座りいただくわけにはいきませんからね。
私と一緒に御者台にお座りいただけるのであれば、一緒にお父様の元まで参りましょう」
冗談めかした口調で言いながら、しかし恭しく胸に手を当て頭を下げる。
呆気に取られていたマリアンナは、その意味するところを理解して表情が明るくなっていく。
「は、はい、よろしくお願いします!」
そう言いながら勢いよく頭を下げる彼女に、どうしてもミラは笑ってしまう。
なんとも、感じたことのない心の軽さを自覚しながら。
「でしたら、早速連中を問い詰めて、お父上の居場所を聞き出しましょうか」
くるりと振り返り、馬車へとまた歩き出した。
そして、丁度そのころ。
「おっと、そろそろゲスト様のご来場かな?」
スピフィール男爵を拉致、監禁している男達の一人が、近づいてくる足音に気付いたのか下卑た笑みを見せた。
ゲスト、つまりマリアンナが連れて来られたのかと男爵の顔は歪み、男達の笑みが醜悪な色を見せる。
待ちかねたのか、男が一人扉へと近づき、鍵を開けてドアノブに手を掛けようとした、その瞬間。
ドバン! と強烈な音を立てながら扉が蹴り開けられ、近づいていた男は痛烈に顔面を強打され、吹き飛んだ。
「……は?」
突然の出来事に、男達は間抜けな声を出しながら呆けた顔をさらすしかできない。
そんな男達の前に、すっと進み出る、黒を基調としたドレスに身を包んだ一人の令嬢。
「あらあら、随分と貧相なお出迎えですわねぇ。もう少し歓迎してくださってもよろしくてよ?
それとも、あなた方には無理難題でしたかしら、オ~~~ッホッホッホ!」
明らかに、男達からすれば招いていない客、歓迎するなどとんでもない相手。
そして、それをわかっていて、だからこそ当然のように歓迎を要求する女。
メルツェデス・フォン・プレヴァルゴが、高笑いを上げながら、乗り込んできたのだ。




