曝け出された悪意と。
「それにしても、バーナス子爵様のお家で診ていただけているだなんて、本当に不幸中の幸いです。
いつも小麦などでもお世話になっていますし……本当に頭が上がりません」
「いやいやとんでもない。こちらこそ、いつもご贔屓にありがとうございます」
案内されての道すがら、マリアンナが社交辞令的な会話を振れば、従者は悪気の無い顔で返す。
その声の質を聞くに、思わずマリアンナは首を傾げてしまいそうになり、なんとか堪えた。
その紋章が示す通りバーナス子爵領は小麦の生産量が多く、領地が隣接しているスピフィール男爵領は結構な量の小麦を輸入している。
しかしその価格はお得意様価格と言えるようなものではなく、むしろ若干割高な位だ。
ただ、他の領地から仕入れるのに比べれば、通行税がかからない分だけまし、というだけの話で。
逆に言えば、それだけギリギリを狙って設定された、いやらしい価格だとも言える。
それをわかっていれば、とても贔屓のお得意様扱いなどはできなさそうなものだが……彼はわかっていないのか、わかっていて敢えてなのか。
……何となくだが、彼はわかっていて、敢えて言ったように思えてならない。
つまりは、皮肉だとか揶揄だとか、そんな意味を込めて。
もし本当にそうなのだとしたら、何故こんな人を子爵は使いによこしたのか。
それとももしや、子爵家全体がこんな考えを持っているのだろうか。いくら爵位では上だからと言って。
そんなことをもやもやと考えながら歩いていくと、ふと従者が曲がり角を曲がる。
ついて行くことしばし、少し路地を入ったところに、一台の馬車が待っていた。
「ささ、こちらへどうぞ」
「あ、はい。……?」
従者が馬車の傍へと行き、そそくさと扉を開ける。
こくりと頷いて、そちらへと向かったマリアンナは、ふと足を止めた。
「……スピフィール様、どうかなさいましたか?」
振り返った従者が、怪訝そうな顔を作って問いかける。
そう、彼はその表情を、不思議そうな顔を、作っている。
つまりは、何か後ろ暗いことがある証拠。
そして、マリアンナは感じ取っていた。
彼の態度もだが、何かがおかしい、違和感がある、と。
深呼吸して、ゆっくりと視線を動かして。
「……あの、バーナス子爵家からのお迎えなのですよね?」
「はい、左様でございますが」
「でしたら、どうして馬車に、バーナス家の紋章が入っていないのですか?」
その問いかけに、ピクリ、と従者の肩が揺れた。
どうやらマリアンナの直感は、感じた違和感は間違いではなかったらしい。
「……それはですね、折悪しく当家の馬車が出払っておりまして、急ぎ知らせて欲しいとの男爵様の意向を受けて辻馬車をチャーターした次第でして」
「なるほど、父がそう依頼した、と」
「ええ、その通りでございまして」
「それはおかしいですね」
媚びへつらうような笑みでこくこくとくどい程頷く従者へと、マリアンナはきっぱりと言い切った。
それから、きっ、と従者を見据えながら、一言一言、ゆっくりと紡ぎ出していく。
確認するように。焦りを、押さえ込むように。
「父は、私用で馬車を使うことを嫌います。それは父本人だけでなく、私達家族に対しても。
少なくともこの王都の中では、余程の距離でない限り徒歩でと言われていました。
それなのに、父の依頼で、馬車をチャーターしただなんて、考えられません」
マリアンナの言葉に、従者はぐっと息を呑み、言葉を続けることができない。
彼もまた、スピフィール男爵が徒歩で移動することが多いと知っていたのだから。
返事がない、できないことが何よりの返答。少なくともマリアンナは、そう判断した。
「あなた、一体何者ですか? いえ、見せられた紋章は確かにバーナス家のもの……だったら、一体何を企んでいるんですか?」
じり、じり、と少しずつ従者から距離を取りながら、マリアンナが問い詰める。
その問いに、答えは返ってこない。
いや、大げさなくらいのため息が、返された。
「あ~……ったく、なんでどうでもいいとこで鋭いかね、このお嬢さんは」
「や、やっぱりあなたは!?」
急に崩れた口調、忌々しげな表情。
それだけでわかる。この男は、父を助けてくれた味方などではない。むしろ敵と言っていい存在なのだ、と
逃げ出したい。しかし父の居所は聞き出したい。
逃げるべきだと頭ではわかっていても、父を捨て置けない感情が迷いへと変わる。
そして、残念ながら、従者はそんな隙を見逃してはくれなかった。
「俺のことなんてどうでもいいじゃないか。逃がさないよ、お嬢さん?」
いつの間にか、一気に距離を詰められ、腕を掴まれていた。
彼女からすればあまりに非現実的な光景に、一瞬言葉に詰まってしまう。
だが、叩きつけられるような視線と敵意にも似た嫌な気配、掴まれた腕の痛みに我を取り戻した。
「は、離して! 離してください!!」
声を上げながら腕を振り、何とか振り払おうとするも男の手はびくともしない。
ならば誰かに助けをと思って周囲を見回すも、案内される内に随分と裏に入ってしまったのか、人通りはまるでなかった。
そんな、と絶望しそうなところに、さらに追い打ちの声がかかる。
「ははっ、なんでこんなところに馬車を待たせてたと思うんだ、万が一お前さんが抵抗しても人に見られないようにって決まってんだろ?」
「そ、そんな、そんな魂胆で!?」
周到に、はめられた。最初から、こうするつもりだったのだ。
それは、どこからなのだろう。まさか、彼女の父、スピフィール男爵の失踪まで仕組まれた、計画的なものだったのだとしたら。
だとすれば、いわば陰謀に巻き込まれた、その標的にされた、ということであり。
理解した現状は、流石にマリアンナの許容限界を超えていて、冷静な判断などほとんどできなくなってしまう。
「い、いやっ! やめて、離して! だ、誰か、誰かっ!!」
振り払えないとわかっていても足掻くように腕を振り、声を上げる。
それが、何の効果も生まないとわかっていても。それでも、そうするしかなかった。
「ははっ、叫んでも無駄さ、こんなところに来る物好きなどいるものか!」
嗜虐的な笑みを浮かべながら従者がそう言った時だった。
「いますよ、ここに一人ね」
「は?」
唐突に。男の声でもマリアンナの声でもない、凜々しい声が響いた。
やや低めのアルトボイス、女性の声が聞こえたと思った次の瞬間。
すとん、と男の隣に人影が降りてきたと思えば、ゴキ、と鈍い音が従者の腕から響いた。
「うぁっ!? ぎゃぁぁぁぁ!?」
従者が悲鳴を上げながら、マリアンナから手を離し地べたに崩れ落ちて転がれば、その右前腕が、不自然な方向に曲がっている。
そして、転がる従者とマリアンナの間に、すっくと立つ一人の女性。
その右手に握られた、やや細目で金属製の小型棍棒……柄の部分にかぎ爪のついた、十手を思わせるそれが、男の腕をへし折ったのだろう。
長い黒髪が一瞬メルツェデスを連想させるが、首の後ろで一つに縛っているその髪型は、メルツェデスのそれではない。
さらには、冒険者などが好むであろう動きやすそうなパンツスタイル。
外見は、明らかにメルツェデスとは違う。しかし、持っている雰囲気はどこか彼女を思わせる。
それは、ある意味当然であった。
転がる従者の上にのしかかり、手早く縄で従者を拘束すると、彼女はマリアンナを見上げて微笑みを浮かべる。
「状況が状況なので、このような格好で失礼いたします。
メルツェデス・フォン・プレヴァルゴの命にてスピフィール様を密かに護衛しておりました、ミラと申します」
先程の苛烈な動きが嘘だったかのような、爽やかで穏やかな口調。
そして、落ち着いた、どこか安心してしまえる笑顔。
マリアンナの頬は、無意識のうちに赤く染まってしまっていた。
「プ、プレヴァルゴ様が、私を……?」
「ええ、困ったことにあのお嬢様は、こういったことには慣れているあまり、小悪党連中の考えそうなことは大体お見通しでして」
軽く答える彼女こそ、こういった荒事には慣れているのだろう。
手早く従者を縛り上げた彼女は、悠然と後ろを振り返る。
そこには、足音を殺しながら忍び寄っていた、馬車の御者らしき男が棍棒を持って立っていた。
不意に振り向かれて驚いたのか、男はびくっと身を竦ませてそれ以上動くことができない。
「詳しいお話は、この者を片付けてからにいたしますね」
さも当然のように軽く彼女が言った次の瞬間。
一瞬で踏み込まれた御者の男は顎を打ち抜かれ、声もなくその場に崩れ落ちていた。




