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薄暗い陰謀。

「おん? 男爵様はまだお眠りあそばしてやがるようだぜ」

「へっ、何も知らねぇで暢気なこったなぁ」


 嘲るような男達の言葉に、しかし男爵はゆっくり深く呼吸をしてやり過ごす。

 丁度寝息にも聞こえるその呼吸に騙されたのか、そもそも呼吸の違いなど気付かないのか、それこそ暢気に男達は会話を続けている。


「しっかし、こんだけぐっすり寝込むったぁ、ボスの薬も大したもんだなぁ」

「ほんと、あの人は一体どっからこんな薬を調達してくるんだか。まあ、それが仕事っちゃ仕事のお人だけどよ」


 ボス? 薬を調達してくるのが仕事なのか? と疑問が男爵の脳内で巡る。

 どうやら連中に指示を出している奴がいるらしく、そいつはボスと呼ばれているらしい。

 となると、これは組織的な犯行……ここにいる、足跡や声の数からしてならず者が四人ばかりいるが、それが全てではないらしい。

 何故そんな連中に狙われたのか、男爵には全く心当たりが無いのだが。


「それにしても、まだ起きねぇのか。ちょっと薬を使いすぎたんじゃねぇのか?」

「あ~……ボスが言うには、身体の大きさに応じて量が変わるって話だったろ?

 んで、この馬鹿でかい図体だったからよぉ、つい勢いよく盛っちまって」

「おいこのバカ、使いすぎたら二度と目覚めねぇこともあるって言われたろうが!」


 冗談めかした軽口に、しかし男爵の背中に冷や汗が流れる。

 まかり間違えば自分は死んでいたかも知れないなどと軽く言われているのだ、自分が今置かれている状況の異常さが嫌でも痛感させられた。

 このならず者どもはどこか壊れているし、彼の命など必要とあらば簡単に奪ってしまうだろう。

 いかに刺激せず、やり過ごすか。残念ながら、狸寝入り以外の案が浮かんでこない。

 そして、それで稼げる時間などたかが知れている。


「流石にそろそろ起きてもらわねぇと、時間がまずいぞ」

「おっと、もうそんな時間か。ボスは時間に煩いからなぁ」


 そんなやり取りを聞いて、男爵は疑問に思う。そこまで時間に几帳面な商人がいるのだろうか、と。

 彼らの話から、恐らくボスとやらは流通に携わる商人やその類いなのだろう。

 しかし、この世界ではゼンマイ式の時計だとかは未だ貴重品であり、平民で持っているものはほとんどいないため、待ち合わせ時間などもアバウトなものになりがちだ。

 特に商人などは、何かあれば荷馬車などはすぐ遅れるため、割と時間には寛容であることが多い。


 なのに、彼らのボスは時間に煩いという。それも、怪しい薬をあっさりと入手できるだけの力がある商人でありながら。

 それは、自身も商いに携わっているスピフィール男爵からすれば、どうにも違和感が拭えないものだ。


 だが、残念ながらその違和感を考察する時間はないらしい。

 乱暴な手つきで肩を掴まれ、身体が大きく揺れるほどに揺さぶられた。

 唐突なそれに、流石に耐えられず呻き声を上げてしまえば、どうやら意識を取り戻しかけていると見たか、男の一人が更に頬を平手で打ち据えてくる。

 その屈辱にカッと頭に血が上りそうになるが、それでも何とか男爵は堪え、やっと気がついたとばかりにゆっくりと目を開いた。


「お~、寝ぼすけ男爵様がやっとお目覚めだぜ」

「ご機嫌はいかがですか、男爵閣下?」


 揶揄うような言葉を受けて、激高しそうになる自分を抑え付けるために、冷静になるために、頭を大きく振る。

 まだ頭の熱は冷め切らないが、それでも幾分とましにはなったか。

 大きく息を吸って、吐いて。

 ゆっくりと、男爵は出来る限り冷静さを繕った目で、男達を見やる。


「……何だ、貴様等は。それに、ここはどこだ」


 当然と言えば当然の問いかけに、男達は一瞬静まり、次の瞬間には腹を抱える程に笑い出した。

 その光景に苛立ちも生まれるが、落ち着けと頭の中で何度も念じながら男爵はゆっくりと大きく息を吸い、吐き出す。


「そんな質問に答えるわけねぇだろ? ちょっと頭使えばわかるだろうが、そんなことよぉ」


 と、ひとしきり笑い囃し立てた男達の一人が、顔に嘲笑を浮かべたまま男爵の問いかけに、答えにならない答えを返した。

 もちろん男爵とて、まともな答えが返ってくるとは思っていない。

 ただ、数秒でも時間を稼げば、それが積もり積もって数分に、あるいは数十分になる可能性はある。

 そうすれば、あるいは何か事態が好転する可能性は、ゼロではない。

 そんな一縷の望みに賭けて、男爵は出来る限り冷静に、そして情報が引き出せないかを探りながらやり取りを繰り返していく。


「頭を使えば。なるほど、こんなところに出入りするのだから、表立って名乗れるわけもないか」


 ここまで堪った鬱憤からか、少しばかり毒を滲ませて唇を歪めれば、一瞬だけ男達の表情に苛立ちが滲み、すぐ消えた。

 ……どうやらただのチンピラなどではなく、この手の仕事にある程度慣れている連中のようだ。

 となれば、本当に慎重な対応が要求されることは間違いない。


「……それで、こんな男爵風情に何の用だ。言っておくが、身代金などろくに出せんぞ」


 大きく息を吐き出してから静かに言えば、男達は顔を見合わせ、それからゲラゲラとまた笑い出した。

 アテが外れた、といったマイナスの感情ではなく、どうやら本当に面白がっているらしい。

 男爵、つまり貴族の誘拐などという大それたことをやっておきながら、金目的ではない、とすれば。


「最初から金はたんまりもらってんだよ、俺達は。

 こいつにあんたのサインを頂くっていう至極簡単なお仕事であんだけもらえるんだ、やっぱり貴族って奴は違うねぇ」


 そう言いながら一人の男が、一枚の紙をぴらりと見せた。

 それを一目見て、スピフィール男爵は苦々しげに眉を寄せる。

 

 貴族間、あるいは巨額の金が動く取引でしばしば使われる、魔術による強制力を伴った契約書。

 結んだ契約を違えてしまった場合、それを履行するまで強烈な痛みが身体を襲い、最悪死に至るほどの力を持っている。

 当然扱いは慎重に行われ、特に字が読めず学も無い者が多い庶民が手に入れることは難しい。

 ましてこんなゴロツキが入手するなど、本来あってはならないことだ。

 であれば、貴族からの依頼ということは事実なのだろうし、こんなことをしでかしそうな貴族の心当たりは、一人しかいなかった。


「……冗談じゃない、こんな条件での契約など飲めるものか」


 見せられた契約書に書かれている条件は、昨日、バーナス子爵から提示された条件と同じ、いやそれより酷くなっている条件だった。

 スピフィール領で生産する絹を全てバーナス子爵領へと卸す、その見返りとしてバーナス子爵領から麦を融通する。

 ただしその量は相場などまるで無視したもので、不当な安値で卸せと言っているも同然だった。

 さらには、彼が今まで開拓してきた貴族筋のお得意様も全て譲るだけでなく、引き継ぎと顔つなぎまでしろと来ている。


 一言で言えば、彼の持つ有形無形の財産の美味しいところを全てよこせ、と言っているようなものだ。

 こんな条件を呑んでしまえば、絹の売り上げで生計を立てている領民達の生活はすぐに困窮してしまうことは想像に難くないし、下手をすれば餓死者すら出かねない。

 だから彼は、自身の生命がかかっていようとも、この条件を呑むわけにはいかなかった。


 男爵が絞り出すように苦い声で言えば、男達は……どうやらそれを予想していたのか、未だにヘラヘラと笑っていた。


「この状況で断ってくるったぁ、依頼主の言う通りに頑固な奴だぜ。

 だからこっちも色々準備してるし、あんたに書かせるのも簡単なんだがな。

 どーせなら、俺等も楽しめる方がいいからなぁ」


 ニヤリ、と真正面に立って契約書を見せつけている男の唇が歪む。

 と、その後ろに控えていた男達の顔も下卑た笑みへと変わって。

 それを見た男爵は、嫌な予感が脳裏をよぎった。


「男爵様にゃあ、お嬢様がいらっしゃるんだよなぁ? 今年王立学園に入学なさった、可愛い娘が」

「な、なんだと、貴様等、まさかっ!」

「入学式に来るはずの父親が来ないと心配しているところに、父親からの使いが来たら、どうなるかなぁ」

「卑怯だぞ貴様! 娘は関係ない、巻き込むな!!」


 覿面に狼狽えて叫ぶ男爵を、男達は実に楽しそうに、いやらしい笑みで見下ろしている。

 抵抗できない貴族様を、言葉で嬲る。それは、日陰の世界に住む彼らにとっては何とも愉快で、普段抱えている鬱屈も晴れていくような、普段感じたことのない愉悦を生じさせていた。

 

「ははっ、あんたがさっさとサインしてくれりゃぁ、娘も無事かもなぁ!」

「き、貴様ぁっ!!」


 恐らく、彼らがここにいるということは、既に娘、マリアンナの拉致に人が動いているはずだ。

 となれば、ここで素直に書いたところで、このならず者共が素直にマリアンナを返すとも思えない。

 どうすればいいのか。

 男爵は、彼らを睨むことしかできなかった。





 そして、その頃。


「あのっ、お父様が私を呼んでいるというのは本当ですか!?」


 王立学園の女子寮前で、マリアンナが必死な顔で目の前に居る男性に問いかけていた。

 その男性は貴族の従者だろうか、誂えられた上質な服に身を包み、凜と背筋を伸ばして立って居る。

 

「ええ、左様でございます。お父様、スピフィール男爵様はこちらに向かわれる途中、事故にあってしまいまして……。

 当家にて治療をさせていただいておりますが、お嬢様を呼んできて欲しいとおっしゃっておられまして。

 ご案内させていただきますので、是非いらしていただければと」

「は、はい、今すぐにでも!」


 心配していた父の消息がわかったとあって、マリアンナは今にも飛び出しそうな勢いで頷く。

 そんな彼女を見て、従者らしき男は唇を笑みの形に変えた。

 目には、計算高い色を滲ませながら。

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― 新着の感想 ―
[良い点] ああ、しまった!(メル様は薄々疑っていたとはいえ)この件がヤバい案件だと知ってるのはメル様とフラン様(とゴンザとサム)だけなので、マリアンナ様は放置状態でしたね!?不安にさせてしまうだけの…
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