重なる疑惑。
一方その頃、フランツィスカは、三軒目の宿屋にてスピフィール男爵が宿泊していることを突き止めていた。
「思ったよりも早く見つかって何よりだわ」
「お役に立てたようで何よりでございます」
と、安心したようにフランツィスカが小さく呟けば、和やかに宿の支配人が頷いてみせる。
いくら何でも宿泊記録を大っぴらに見るわけにはいかないため、今は宿の奥にある支配人室で記録を見せてもらっていた。
主に貴族が宿泊する高級宿は、主人が受け付けか調理場に陣取っているような平民向けのそれと違い、記録や帳簿などが管理されている部屋が別途存在していることが多い。
この宿も、子爵や男爵など下級貴族の利用が比較的多いとはいえ、その辺りはしっかりしていたようだ。
何より支配人自身が、その身のこなしや受け答えから十分な教育を受けている人間だと伝わってくる。
スピフィール男爵はどうやらこの宿を定宿としていたらしく、この宿を選ぶならばやはり見る目を持っている人物なのだろう、などとフランツィスカは思ったりしながら、年配の支配人へと頭を下げた。
「ええ、とても助かりました、ありがとうございます」
「いえいえ、こちらこそエルタウルス様のお役に立てたのであれば何よりでございます」
公爵家の令嬢であるフランツィスカが頭を下げた。
そのことに対して、これで貸しを作ったとばかりに厚かましくなることも、ご機嫌を伺おうと卑屈になることもない。
あくまでも穏やかに、分別のある態度を一貫するこの支配人に対して、フランツィスカは好感を抱く。
もしエルタウルス家の寄子の家が王都に宿泊する場合には、この宿を紹介しようと思う程に。
そこまで考えての態度だとすれば、この支配人は中々大したものだ。
などと思いながら、出されたお茶に手を伸ばしかけたフランツィスカの手が、続く支配人の言葉に止まった。
「しかし、エルタウルス様もこうして訪ねていらっしゃるとは、やはりスピフィール様の扱われている絹の評価は高いのですねぇ」
「……私も? ということは、他にもスピフィール様を訪ねてらした方がいらしたのですか?」
「ええ、むしろご逗留中に数人ばかりいらっしゃるのはいつものことです。
昨日もお一人いらっしゃいましたし……ああ、その方は珍しく先触れもなしでしたねぇ」
支配人の言葉に、フランツィスカは眉を寄せて思案する。
普通、貴族の間では突然の訪問は酷く無礼なこととされ、本来であれば数日前に手紙で約束を取り付けてから会うのが正式であり、急な用件でも先触れを出して相手に受け入れ準備をする時間を与えるものだ。
本当に突然来られた場合、受け入れる準備が出来てない家はみっともないところを見せてしまうこともあり得るわけだから、体面を大事とする貴族社会においてそれは、重大なマナー違反と言える。
公爵家であるフランツィスカですら、相当に格下の家が経営する宿に、警護が薄くなることを承知で護衛の一人を先触れとして派遣した上で訪問していることを考えれば、どれだけ非常識なことかわかるだろうか。
「ということは、先触れを出すことも知らない平民の方が?」
「いえ、これが貴族の家だったのです。……ああ、何故か急に、麦の穂と茨が脳裏に浮かんでまいりましたが、歳のせいでしょうか」
「まあまあ、とんでもない。まだまだお若くいらっしゃいますわ?」
どこか冗談めかした支配人の返事に笑って応じながら、フランツィスカは思考を巡らせる。
麦の穂と茨を紋章に使っている貴族。
貴族名鑑を完全に網羅している彼女にとってその答えは簡単であり、そうであろうと読んだ上で、流石に直接漏らすわけにはいかない支配人は、こんな言い方をしたのだろう。
そしてフランツィスカの記憶に拠れば、その紋章は西方に領地を持つバーナス子爵家のもの。
貴族派であり、その領地はスピフィール男爵領に隣接している。
そのバーナス子爵、あるいはその代理の者が、スピフィール男爵が逗留する宿に先触れもなしにやってきた。
この情報だけでも、何ともきな臭い。
だがもちろん、何某かの結論を出せるような情報でも無い。
「流石に、どのようなお話をなさっていたかなどはわかりませんわよね?」
「ええ、それは流石に。ただ、スピフィール様は歓迎している様子ではなく、少しばかり押し問答もございましたね」
となるとやはり、歓迎できない相手だったということだろう。
ただでさえ失礼な突然の訪問をしているのだ、当然話が上手いこと進んだわけがない。
話が物別れに終わった後に、子爵が考えるであろうことは?
だが、フランツィスカは頭を小さく振ってその考えを押しとどめた。
とにかく今はまだ、新たに浮かび上がった事態に関する情報が少なすぎる。
「ありがとうございます、とても有意義なお話を聞かせていただきました」
「はは、少々おしゃべりが過ぎてしまいました。どうぞここで聞いたことはご内密に」
「ええ、もちろんですわ。ご迷惑をおかけするわけにはいきませんもの」
これ以上ない淑女の笑みを返しながら、フランツィスカは内心で支配人に詫びる。
何しろ、これから早速メルツェデスにはこの話をしないといけないからだ。
彼女一人でこの後動くわけもないことは支配人も恐らくわかっているだろうし、それ以外に漏れないように気をつけてくれという意味だということもわかっている。
それでも、フランツィスカはますます自分が悪い子になっていくような気がして、少しばかり胸を痛めた。
……同時に、それでもやらなければいけないことに、若干の高揚感を感じていたりもしたのだが。
ともあれ。現時点で得られそうな情報を集めたフランツィスカはメルツェデスとの待ち合わせ場所へと向かい、落ち合った。
『奉仕者シリーズ』のことは伏せた上で互いに得た情報を交換し、沈黙することしばし。
「……ねえ、これってもしかして、大事になりそうな気がしない?」
「奇遇ねフラン、わたくしも同じ事を考えていたわ」
「できれば気のせいであって欲しかったわ……」
メルツェデスの返答に、フランツィスカは額を押さえた。
西門近くにある噴水広場、そこの一角にあるカフェ。
メルツェデスの顔が利くらしく、奥まったところにある個室の中で彼女達は額を付き合わせるようにして話している。
普段であればフランツィスカの胸が高鳴り頬も染まるシチュエーションだが、残念ながら今はそんな場合ではないし、彼女自身もそんな気はまるでない。
純朴な少女マリアンナの父、謹厳実直で国王派貴族のスピフィール男爵が、陰謀めいたものに巻き込まれた可能性が高いのだから。
「まだ確証が持てないから、公爵家の影は動かせないし……そもそもお父様の裁可が必要だし」
「それは我が家も同じ事、だけれど……ねえ、フラン。ということは、スピフィール男爵は今朝確かに宿を出たのよね?」
「ええ、それも確認したわ。上客ということもあって、支配人自ら見送ったそうだし」
フランツィスカは、宿泊記録を調べただけでなく、出来る限りの行動も聞き出していた。
それによれば、今朝は確かに、入学式のために朝早く宿を出たらしい。
男爵位ではあるものの、金払いも良く無理難題や我が儘も言わずに気持ちよく宿泊していくスピフィール男爵に対して支配人は相当好意的であったし、気も遣っていたようだ。
「となると……宿と学園を結ぶ、この辺りで誘拐されるなり何かがあった、ということになるわね」
手早く王都の地図を広げたメルツェデスが指でくるりと円を描くと、フランツィスカもこくりと頷いて同意した。
……と同時に、何故彼女がこんなにも精密な王都の地図を持っているのか、とも思ったりしているが。
この時代、まだまだ測量技術などは十分に発達しておらず、精度の良い地図などは国の機密情報になってもおかしくない。
だというのに、何気なくメルツェデスが取り出した地図は、フランツィスカの感覚にも合致する程度には精度の高いもの。
何故こんな物を、伯爵家の令嬢が所持できているのか。
……彼女だから、プレヴァルゴだから、で説明されてしまいそうで、フランツィスカは言葉を飲み込んだ。
「丁度、ここに来る途中でブランドル一家の人達に声を掛けて、探ってもらっている範囲の一つだわ。
今から行って人を増やしてもらったら、程なく見つかるかも知れないわね」
「……ほんっと手慣れてるわね……でも、確かにメルの打ってくれた手で何とかなりそうな気がしてくるわ」
もしかしなくても、彼女一人であっさりと見つけてしまったのではないか、などと思えばため息も出そうになってしまう。
だが、直ぐにフランツィスカはその息を飲み込むことになった。
「……ねえ、フラン。丁度ここに、バーナス子爵家のタウンハウスがあるのだけれど」
「なんですって?」
そう言いながらメルツェデスがくるりと、先程描いた円の外縁に、小さな円を描く。
そこには確かに、先程支配人との話で出てきた、そしてフランツィスカの感覚に引っかかったバーナス子爵の、タウンハウスがあった。
「……まさか?」
「思い込みは危険よ、別の場所に監禁する程度の知恵は回ってもおかしくないし。でも、その近くを当たる価値はあるんじゃないかしら。
……ハンナ」
「はい、かしこまりました」
メルツェデスが声を掛ければ、後ろに控えていたハンナが一瞬で姿を消した。
その素早い動きを追いきれなかったフランツィスカに付いている護衛の面々が、パチクリと幾度も目を瞬かせる。
メルツェデスで鍛えられているフランツィスカですら何とか視界に捉えられた程の動きを、それが日常であるメルツェデスだけが変わらぬ表情で話を進めていく。
「さ、段取りはハンナが上手くやってくれるでしょうから、私達も行きましょう?」
その笑顔に。熟れた態度に。
やはり自分などまだまだなのだ、とフランツィスカは小さくため息を零しながらも、メルツェデスの言葉に頷いて返した。




