足跡と虫の知らせ。
「ということで、通行管理記録を見せて欲しいのですけれど」
「何が『ということ』なんですか、プレヴァルゴ様……」
太陽が中天を過ぎて、昼食も終わりそろそろ移動を始める人々が増えだした王都西門の、十人以上が詰める大きく堅牢な番兵詰め所。
そこにいきなりやってきて、割とグレーなことを堂々と言うメルツェデスを前に、西門の守備兵を束ねる隊長はこれ見よがしにため息を吐いて見せた。
何しろ、メルツェデスがこうして押しかけて来て、あれやこれやと職務的にグレーなお願いをしてきたことは一度や二度ではない。
その度に彼の胃は痛くなり、若干頭髪が気になるようになってしまうのだ、ため息の一つや二つ許して欲しいところだ。
困ったことに、メルツェデスのこうしたお願いは大体の場合何某かの事件の解決に繋がってしまうため、王都の治安を守る立場にある彼としては有り難くもあり、自身の至らなさを突きつけられるようでもあり、複雑な気持ちになってしまう。
そしてお願いと来られる度にいつも自身のプライドと王都の安全を秤に掛けて、結局は負けてしまうのだが。
ちなみに、本来通行管理記録は一般人が閲覧などできないものだが、プレヴァルゴ家の者であり『勝手振る舞い』持ちであるメルツェデスが閲覧することを止められる法や規則がないため、仕方なしに見せているという形だ。
「全く、ほんとはこうやって軽々しく見せられる物じゃないんですからね? 上司に見つかったら何て言われるか、わかりゃしない」
「あら、そんな時のためにこれがあるんじゃないですの」
「それこそ軽々しく使っちゃいけないもんじゃないですかね、俺もよく知らないですけど」
天下の大将軍、ガイウス・フォン・プレヴァルゴをはじめ、数少ない者にのみに許された『勝手振る舞い』のことはもちろん知っているが、実際にどう使われてるのかは彼も知らない。
強い権限があることはわかるが、それが必要となるのは往々にしてプレヴァルゴ伯爵家当主ガイウスが、それより上の家に対して物申す場面。
そんな場面に、彼のような末端の兵士がいることなどないからだ。
だというのに、メルツェデスはさも不思議そうな顔で小首を傾げる。
「何をおっしゃってますの。いつも色々と協力してくださる隊長さんや皆さんの立場ですとか名誉を守るために使うことは、軽々しいことではなく、むしろそう使うべきものだと思いますわよ?」
その言葉に、隊長はもちろん傍で聞いていた兵士達も振り返り、メルツェデスをまじまじと見つめてしまった。
仕事柄、嘘を吐いている人間や何かを誤魔化そうとする人間を見抜くことに長けている彼らの目は、メルツェデスの顔から虚飾や欺瞞の色を見つけられない。
つまり、どうやら彼女は本心から言っているらしいし、恐らく今までの付き合いからもその通りだ。
だから、困ってしまうのだが。
「まったくそんなこと言って、何かあったらまた上手いこと俺らを使うつもりでしょ」
「使うだなんて人聞きの悪い。わたくしはあくまでもお願いしているだけですわ?」
「だからなおのこと質が悪いってんですよ、まったく……仕方のないお嬢様ですなぁ」
ぼやくように言いながら、そそくさと通行管理記録を持ってこさせる隊長。
その顔は、仕方ないと言いつつ面倒そうな顔を作ろうとして、失敗している。
残念ながら、こんなことを言われて心が浮き立たない程枯れても捻くれてもいない。
だから結局、またメルツェデスの『お願い』通りに動いてしまうのだから、本当に困ったものだ。
「へい、とりあえずここ一週間の記録がこちらになりますよ」
「ありがとう、いつも助かります」
「どういたしまして。……その『いつも』なんざ起こらないのが一番なんですがねぇ」
「ええ、そこに関しては全く同意です」
ぼやく隊長に、メルツェデスも真面目な声音で応じる。
彼女がこうして調べ物に来るということは、それだけ面倒事が起こっているということ。
であれば、彼女がここに来ることなど無いに越したことはない。
残念ながら、そんな日はまだまだ来ないようだが。
若干硬くなった空気の中、メルツェデスが管理記録をめくる紙の音だけがしばらく響く。
一日に下手をすると数千人も通行する記録だ、商隊などは代表者だけが記名するとはいえ、その量は当然膨大なもの。
だが、山のような記録をメルツェデスは怯むことなく、淀みなくペラペラとめくり続けていき。
不意に、その手を止めた。
「……ありましたわね、スピフィール男爵の通行記録。商取引目的、荷物の量はこちら、と……」
メルツェデスがそう呟けば、後ろに控えていたハンナがささっとメモを取る。
もう何度も見た以心伝心な主従の動きに、隊長は感心して良いのかそれとも底知れないと思うべきか、未だ決めあぐねていた。
もちろん業務として考えれば、この二人の動きは極めて効率的なのだが……何故そんなことができてしまうのか、理解ができないのだ。
そんな隊長の苦悶をよそにメルツェデスは調べ物を終えて一息吐いた、ように見えたのだが、急にまたパラパラとページをめくり始める。
「プレヴァルゴ様、どうかなさいましたか? お目当ての記録は見つかったんですよね?」
「ええ、見つかったのですけど……他にもちょっと気になることが出てきてしまいまして」
訝しげな隊長に歯切れ悪く答えながら、数日分をざっと眺めただろうか。
メルツェデスはしばし考え込むと、隊長へと顔を向けた。
「少しお聞きしたいのですが……この『ディアルの染料』ですとか『ドボルザの粉薬』、『シャピザの光糸』などはこうも頻繁に入ってくるものですか?」
「はい? ……いやぁ、あんまり聞き覚えのない品ですな、そりゃ。危険物指定されてるわけでもないですから、気にもしてませんでしたが……何かあるんですか?」
「いえ、まだはっきりとは言えないのですが……偶然かも知れませんし」
そう返しておきながら、メルツェデスの表情は冴えない。
なぜなら、彼女の第六感が警鐘を強く鳴らしているのだ、これを見過ごしてはいけない、と。
『ディアルの染料』『ドボルザの粉薬』『シャピザの光糸』は、それぞれ一つ一つは危険なものではない。
むしろ『ドボルザの粉薬』などは解熱鎮痛剤として有用なくらいだ。
だから、これらが流通すること自体に問題はない。少々量が多いか、と普通は思うくらいの量ではあるのだし。
だが、これらがもし関係しているのであれば……見過ごせない事態になってしまう。
「考えるにしても、これだけでは材料が足りませんわね……それに、今は男爵様を優先しなければ」
パタリ、メルツェデスは記録を閉じて、小さくため息を一つ。
もし彼女の想像が当たっているならこちらも捨て置けないが、しかし今優先すべきは男爵の安否。
これで誰かに調べを任せることができればまだましだが、もう一つの懸念はハンナにすら任せることが躊躇われる案件ときているのだから、気も重くなろうというものだ。
だがしかし、ふるり、と小さく首を振った後、いつもの笑顔を作って隊長へと管理記録を返却する。
「隊長さん、ありがとうございました。また今度差し入れでも持ってきますわ」
「そりゃぁ願ってもないことで。俺も含めてここの連中は甘党が多いんで、プレヴァルゴ様の差し入れはいつも奪い合いですわ」
「あら、でしたらもっと沢山持ってこないといけませんわね」
笑って返しながら、隊長の表情を読み取れば……恐らく、今のやり取りで何か隠し事をしたことは気付かれた、とメルツェデスは内心でため息を吐く。
できる限り彼とはオープンな協力関係でいたいところだが、この件ばかりは仕方ない。
そんなことを考えながら詰め所を辞して待ち合わせ場所に向かっていると、後ろに控えるハンナから恐る恐ると声が掛けられた。
「お嬢様、やはり何かお気になさっておられますよね?」
「やっぱり、あなたにはわかってしまいますわよね……でもごめんなさい、まだ話せる段階にないわ。
いざとなれば必ずあなたを頼るから、もう少し待ってもらえるかしら」
「かしこまりました、その代わり、必ず私をお使いくださいますよう」
「そうね、その時はお願いするわ」
そう言いながらも、願わくば彼女の力を借りるような事態にならないといいのに、と思ってしまう。
『ディアルの染料』『ドボルザの粉薬』『シャピザの光糸』、これに後は衣類系のアイテムを一つ。
ゲームの『エタエレ』において、この組み合わせで作られるアイテムがあった。
作成にケープを使えば『奉仕者のケープ』という装備品になる、『奉仕者シリーズ』と呼ばれる装備。
戦闘シーンでは基本的に主人公であるクララ以外の仲間はAIで自動的に動くのだが、これを装備させると仲間にコマンドで指示を出すことができるようになるというアイテムだ。
言い方を変えれば、相手に言うことを聞かせることができるようになるアイテム。
そう解釈すれば、途端にあれらの荷物が危険を孕んだものに見えてくる。
「気のせいであればいいのですが……」
呟いたその願望に、誰よりもメルツェデス自身が懐疑的だった。




