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兆し。

 その後、若干疲労感の滲むジークフリートをそっとしておきながら、教官による説明が行われた。

 特に、実践を重視した割と容赦ない訓練メニューを聞いて、約三名を除いた彼らはげんなりとした表情を隠しきれない。

 尚、その三名の内二名は実に楽しげであり、一名は悲壮感さえ漂う程に真剣な顔だったりするが。

 そして、真剣だからこそ、不平不満が出そうなところに先んじて注釈を入れた。


「かなりハードな訓練であることは理解してもらえたと思う。

 だが、この訓練は我々が必ず乗り越えなければならない義務でもあるのだ。

 そのため、教官殿には私ですら叱咤し、何なら罵倒も鉄拳制裁も国王陛下から許されていることを伝えておく」


 ジークフリートの発言に令息達は驚きの声を上げ、そして不安や恐怖を滲ませながら互いに顔を見合わせる。

 第二王子である彼にすらそうなのだから、当然それより身分の低い彼らに対しても許されているということ。

 ということは、彼らの太腿ほどもあろうかというあの腕と岩のような拳で殴られる可能性があるわけだ。

 ギュンターはともかく、彼らの内相当な割合でそれは致命傷になりかねない。

 流石にそれは教官とてわかっているのか、さらに補足が入る。


「もちろん皆様の身体能力にはそれぞれ個人差があります。故に、課題がこなせないという理由での鉄拳制裁などはありえません。

 ……ただし!」


 説明にほっとしかけたところで入った強い言葉に、令息達は思わずびくりと背筋を伸ばす。

 ゆっくりと、怯えたような、いや怯えきった彼らの顔を舐めるようにひとしきり眺めた後、教官は重々しい声で後を続けた。


「ただし。あくまでも私の指示に素直に従い、ご自身の出来る限りを尽くしている限りにございます。

 もしも手を抜くなどのいい加減な行動がございましたら、容赦なく振る舞わせていただきますゆえ、お覚悟ください」


 その言葉には冗談のような響きは全く無く、抜き身の刃のごとく喉元に迫り来る圧力に、令息達はこくこくと幾度も頷いてしまう。

 恐らく、万が一があれば『事故』で処理されてしまうであろう、そんな予感も彼らは感じ取っていたし、それは概ね間違いではない。

 一つ彼らが誤解しているとすれば、教官自身はそんな手段は出来る限り使いたくないという真っ当な人物であり、あくまでもこれは脅しということだ。

 だからこそ、最初にどうすべきかを悩んでいたりもしたのだが……それがメルツェデス達によって取り払われた今、迷うこと無く為すべきことを為そうとしている。

 その瞳の力強さは、身分に驕っていた令息達の背筋を伸ばすに十分なものがあった。


「いやぁ、実に楽しみですな。噂に聞く鬼教官ぶりを堪能できるとは」

「いやはやお恥ずかしい。ご期待に添えるとよろしいのですが」


 ギュンターと教官のやりとりに、『そんなことを楽しみにするんじゃない!』と聞いていた令息達は心の中で叫んだりしたが、もちろん声には出せない。

 身分の上下を問わないと掲げる学園の中でも、とりわけ身分がものを言わないこの訓練場において、教官やギュンターに逆らうことの危険性を彼らはもう十二分に察していた。

 ということは、これから3年間、彼らは鬼教官のシゴキに耐えねばならない。

 それも、中身はともかく外見は令嬢であるメルツェデスと肩を並べ、なんなら比較されながら。

 少し想像するだけでもそれは、甘やかされてきた者にとっては死刑宣告にも近しいものだった。




「どうやら、期待以上の訓練が受けられそうですわねぇ」

「それでも、お嬢様でしたら楽々とクリアしてしまいそうですけれども」


 訓練場での説明が終わり解散となって、メルツェデスとハンナは楽しげに会話しながら渡り廊下を歩いていた。

 本来であれば専属メイドのハンナがたしなめたりなどすべきなのだろうが、雪中行軍にも随伴していたハンナに常識は通じない。

 むしろこの訓練にも参加したいくらいなのだが、訓練が終わった後メルツェデスの身支度などの世話があるため、それは自重しているところだ。

 いや、そもそも生徒ではないハンナは参加できないのだが……しれっとした顔で混ざって、終われば何処とも無く消えていそうな気がするのはメルツェデスの気のせいだろうか。


 そんなことを考えながら歩いていると、その先に女生徒がいることにふと気がついた。

 既に新入の女生徒は一連の授業説明も終わって、昼前には帰っている。

 であれば、今こうしてここにいる彼女は。


「もしかして、迷子なのかしら」

「いかにこの学園が広いと言えども、流石にそれは……いえ、絶対にないとは言いませんが。むしろ……」

「……そうね、何やらずっと校門の方を見ているし。となれば」


 うずり、と退屈の虫が騒ぐような感覚。

 いけないいけないと自制しながらも、メルツェデスはその女生徒の元へと向かった。


「もし、どうかなさいましたか?」

「ふわっ!?」


 メルツェデスが声を掛ければ、どうやら全く気がついていなかったらしい彼女は驚いて妙な声を上げてしまう。

 貴族令嬢としては珍しい、日に焼けた肌と顔に浮かぶそばっかす。

 この国では一番多いであろう、長い焦げ茶色の髪を一本の三つ編みにしている彼女は、次の瞬間にかぁっと頬を赤くし同じく焦げ茶色の瞳を潤ませた。

 小動物的で保護欲をそそるその反応に、思わずメルツェデスが一歩踏み出して頭を撫でようとでもしたのか手を伸ばしかけたところに、声がかかった。


「マリアンナさん、こんなところにいらしたの? 寮母さんが心配なさってましたわよ?」


 それは、よく聞き慣れた親友の声。

 声のした方を向けば、淑女としてはしたなくない程度に急ぎながらやってくるフランツィスカがいた。

 もちろんすぐにメルツェデスにも気付いた彼女は、小さくメルツェデスへと手を振る。

 そんな彼女に手を振り返している間に、フランツィスカはマリアンナと呼ばれた少女の元へと歩み寄った。


「昼食の時間を過ぎてもいらっしゃらないからと、寮母の方が心配してらしたので探しに来たのですが……」

「も、申し訳ございません、フランツィスカ様。お手を煩わせてしまいまして……」

「いえ、そんなことは気に為さなくてよろしいのよ。それよりも、こんなところでどうなさったの?」


 問いかけに、マリアンナは言葉に詰まる。

 フランツィスカの顔を窺うように見て、それからちらりと、メルツェデスを横目で確かめた。

 その仕草に、フランツィスカは小さく笑ってみせて。


「ああ、こちらの方は気にしなくていいというか、一緒に話を聞いた方がきっといいわ。

 何しろ彼女こそが、噂に名高いメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ様なのですもの」

「えっ!? こ、こちらの方が、あの!」


 退屈令嬢、と続けそうになったところでマリアンナは言葉を飲み込んだ。

 もっとも、飲み込みきれなかった音で、何を言おうとしていたのかはメルツェデスにもフランツィスカにも伝わってしまったけれども。

 

「どのあのかはわかりませんが、恐らくそのメルツェデス・フォン・プレヴァルゴでございます。どうぞお見知りおきくださいませ?」


 一瞬フランツィスカに呆れたような視線を投げた後にマリアンナへ向き直れば、メルツェデスはどこに出しても恥ずかしくない微笑みを見せながらカーテシーを披露した。

 その微笑みの直撃を受けて少しばかり頬を赤くしたマリアンナも、同じく礼を返しながら頭を下げ挨拶を返す。


「ご、ご丁寧な挨拶、痛み入ります。私はマリアンナ・スピフィールと申します」

「スピフィール……ああ、スピフィール男爵家のご令嬢なのですね。そちらのシルクはとても品質がよろしくて、昨日のドレスにも使わせていただきましたわ」

「えっ、そ、それは光栄です、名高きプレヴァルゴ様にお使いいただいていただなんて……」


 そんなやり取りを横で見ていて、フランツィスカは若干の後悔に苛まれていた。

 これはもしや、偶然とは言えまたライバルを増やしてしまったのではないか、と。

 しかしすぐにそんな邪念は振り払い、改めてマリアンナへと向き直る。


「それで、こんなところで一体どうしたんですの?」


 問いかけに、しかしマリアンナは即答できなかった。

 フランツィスカの顔を見て、また校門の方を見て。

 幾度か視線を彷徨わせた後に、マリアンナはおずおずと口を開いた。


「それが……父が、来ないのです。

 入学式に参列予定で、その後昼食を一緒に取る約束をしていたのですが……」

「……なんですって?」


 思わぬマリアンナの言葉に、フランツィスカは驚きで眉をつり上げた。

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― 新着の感想 ―
[良い点] 作者さん、更新はお疲れ様です、 恐ろしい授業!?自由な武力制裁権とは普通に超恐ろしいです。。。貴族相手に権力が足りなければ教育出来ないとは判りますけど。 メルさんもハンナさんもおかしいです…
[良い点] 地獄の訓練のレベルを更に危険なものへと変貌させる我らがメル様…今後王国に降りかかる嵐を思えばそれくらい鍛えておくべきとは思いますが、ご令息の皆様、合掌…(苦笑) 新キャラ・マリアンナ様登場…
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