求められたのは。
あっさりと返ってきた「話は聞く」との返事に、ジークフリートはもう少しだけ申し訳なさを深めながら言葉を続ける。
「ありがとう。実は、女性の君がこの武術訓練に参加することに対して、一部から『ついてこれるのか』という疑念の声が出ていてね。
その疑念を払拭するために、一度彼と手合わせを願いたかったのだけど……」
そこまで言って、ジークフリートは言い淀む。
今目の前で披露された彼女の動きを見て、それでもなお異議のある者はいないだろう。
ジークフリートもわかっているであろうに、なおこの場で提案するということは、どうやら他の目論見もある、どころか、ちらりとジークフリートの顔を窺うにそちらの方が大きいようだ。
「なるほど、彼、とおっしゃるのはそちらのお方ですか?」
ジークフリートの斜め後ろに控える大柄でがっしりとした、焦げ茶色で短く刈り込んだ髪と同じ色のやや細い目をした朴訥そうな青年……いや、彼女の予想が当たっているなら少年であろうその姿を見やりながら、メルツェデスは問いかける。
どうにも言いにくそうなジークフリートを慮ってかの言葉に、若干ほっとしたような顔のジークフリートが目だけで礼を告げてくる。
こういう芸当も出来るようになったのだなぁ、とどこか母親目線なことを思いながら、メルツェデスは小さく頷いて返した。
少しばかり別の複雑さを交えながら、ジークフリートはこほんと咳払いを一つしてから、件の彼へと目を向ける。
「うん、彼はギュンター・カプリコア。もしかしたら、聞いたことがあるかも知れないけれど」
「ああ、こちらの方が。もちろん、クリストファーから色々と伺っております。
なんでも、クリストファーをよく鍛えてくださっているとか。姉としてお礼申し上げます」
にこりと笑いながら、メルツェデスは頭を下げた。
実際のところ、彼のことは薄々と察していたのだが、そのことは流石に口にも顔にも出さない。
ギュンター・カプリコア。
やはり『エタエレ』に出てくるキャラクターだが、男爵家の次男な上に同年齢でありクララと身分的な問題がないため、障害となる令嬢が出てこないサブ攻略対象と称される、どちらかといえばゲーム攻略のための補助戦力的側面が大きいキャラである。
能力的には物理特化、特に物理防御に優れているが、代わりに魔術はほとんど使えない上に魔術防御も低く、魔術攻撃を食らえば中々痛いが高いHPで大体なんとかできなくもないという性能。ただしヘルミーナは除く。
回復やステータス上昇魔術が得意なクララが主人公であるため入れておいて損はない上に、何故かゲームではジークフリートの護衛を離れて同行してくれるため、パーティの壁役として重宝されていた。
そして、設定の上では主要キャラの中で剣術においてダントツトップであり、ゲームのメルツェデスはその後塵を拝して二位に甘んじているのだが。
「とんでもございません、こちらこそクリストファー様には良い刺激を頂いており、語弊を恐れずに言えば切磋琢磨させていただいております」
ニッカリとした笑みを見せながらの答えに微笑みで頷き返しながら、メルツェデスは「やはりか」と内心で戸惑いを感じていた。
先述の通り、ギュンターは本来剣の腕では比類無きものを持つ、はずだった。
だが時折クリストファーから聞くに、どうもクリストファーとほとんど五分、戦績では僅かにクリストファーが負け越している程度。
いかにクリストファーが父であるガイウスから猛烈に扱かれているとはいえ、そこまで剣の腕が伸びているのは驚きである。
そして何より。
「そのクリストファー様が一度も勝てない、むしろ全く及ばないとおっしゃっておられるメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ様の剣技を、もしよろしければ是非とも体験させていただきたく!」
ギュンターの溌剌とした言葉に、メルツェデスは苦笑を返し、周囲で聞いていた令息達はどよめいた。
第二王子であるジークフリートの護衛に任じられた、同年代の中でも傑出した腕を持つギュンターと互角の腕を持つクリストファー。
その彼が全く及ばないメルツェデスの腕はいかほどのものか、想像も付かない。
そしてメルツェデスからすれば、確かに今でもクリストファーから一本も取られたことがないため、彼が及ばないのは事実であるという認識はある。
だが、そのクリストファーがギュンターとほぼ互角である、ということがどうにも飲み込めない。
ということは、今や彼女こそが剣術においてトップであるらしい、ということだから。
考えてみれば、ろくに努力をしていなかったらしいゲームのメルツェデスで二位だったのだ、現代的なトレーニングまで取り入れて研鑽を積んでいるメルツェデスであれば、首位を奪ってもおかしくないと言えばない。
だがそれでも、それで簡単に覆るものだろうか、という疑念もある。
もう一つ、何故そこまでクリストファーが伸びているのか、ということも。
しかしそう考えると、これもまたいい機会かも知れない、とメルツェデスは思い直した。
「わかりました、ご満足いただけるかはわかりませんが、お受けさせていただきます」
あからさまにほっとした表情になるジークフリートを見るに、相当ギュンターから熱望されていたのだろう。
ゲームでの彼も剣術に思い入れが強かった上に、思い込んだら一直線なところがあった。
ある程度の分別もあるため脳筋とまでは言えないのだが、クレバーとも言いがたい。
不快でない実直さと朴訥さが地味に人気を獲得していたキャラではあるのだが、剣術馬鹿な側面はこうしてみると中々に厄介だし、それでグイグイこられていたジークフリートからすれば堪ったものではなかったのだろう。
であれば、少しばかりその負担を軽くする、という貸しを作ったついでにギュンターの腕を確かめられるとなれば、メリットもそれなりにあると言える。
そんなメルツェデスの計算を知ることもなく、快諾されたギュンターは朗らかな笑みを見せた。
「それではお二人とも、準備はよろしいですか?」
審判というか見届け役を買って出た教官が声をかければ、メルツェデスもギュンターもこくりと頷いてみせる。
互いに訓練用の木剣を手にし、訓練場の中央、令息達が見守る中へと二人進み出る。
「……こちらから不躾なお願いをしておきながらなんですが、お召し替えせずともよろしいのですか?」
「ええ、もちろん。こう見えて、動きを阻害しないように誂えておりますから」
「なるほど、失礼いたしました」
ドレスを纏ったメルツェデスへの、ある意味当然とも言えるギュンターの問いかけに、彼女は笑って応じる。
それはつまり、常に心構えをしている、ということ。
であればこれ以上言葉を重ねるのは、気遣いを越えて失礼というものだろう。
そんなことを考えていたギュンターの前で、メルツェデスが一歩進み出る。
「ギュンター様は、確か騎士としての訓練も受けてらっしゃるのですよね?」
「はい、その通りです。……なるほど、ということは」
メルツェデスの問いかけを理解したのか、ギュンターは左足を前にしながら両手で持った剣を右腰の辺りで寝かせた構えを取った。
それを見てふわりと微笑みを見せたメルツェデスも、同じ構えを取る。
つまりは、以前ジルベルトとやった剣合わせをやろうというのだ。
互いに一歩ずつ踏み出せば、途端に空気が変わり、唐突に生まれた背筋が冷たくなるような緊迫感に、見ていた令息達は思わず身震いをしてしまう。
だが、互いに向き合う二人は涼しい顔で。
「では、参りますわよ?」
「ええ、いつでも!」
問いかけと、応じる声と。
そして、もう一歩、にじり寄り。
次の瞬間、互いに大きく右足を踏み出し、身体の軸を回しながら木剣を横に、全力で払った。
訓練場の壁を揺るがす程に響き渡る、金属同士をぶつけたかのような甲高い音。
次いで聞こえる、カランカランという乾いた音。
「ぐっ、ぬぅ……」
くぐもった声を出しながら、ギュンターが空になった右手を戦慄かせつつ片膝を衝いた。
その意味するところが浸透していくにつれて、重く冷たいどよめきが場を支配していく。
この学年において、間違いなく男子最強の剣士であるギュンター。
その彼が、剣合わせにおいて完全に打ち負けた。
おまけに打ち負かしたメルツェデスは涼しい顔……いや、こんなものかと、きょとんとした顔ですらある。
それがかえって、彼女の底知れ無さを思わせた。
「あらあら、これはこれは……」
そのメルツェデスは、仮説が確かめられたというのに呆気に取られていた。
ギュンターには申し訳ないが、差がありすぎる。
格が違いすぎると言ってもいい程に、彼とメルツェデスの間には差があった。
身体の軸がブレていて、その回転を上手く力に変えられていない。
剣の握りが甘く、腕の振りにも無駄がある。
もちろん普通の人間から比べたら十分熟れているものだったが、ガイウスの剣を見慣れているメルツェデスが見れば、直すべきところが多々あった。
その結果が、これ。
ちなみにメルツェデスの腕には痺れどころか、さしたる衝撃も無く木剣を振り抜けていた。
勿論まだまだ修行を積まねばとは思うが、現時点においてメルツェデスとギュンターの間にはそれだけの差があったらしい。
元より素質だけでギュンターに次ぐ腕だったのだ、そこに真っ当な修練が加われば、こうもなってしまうのだろう。
若干納得はしきれないが。
「殿下、ギュンター様、手合わせは一先ずこれでよろしかったでしょうか?」
メルツェデスの問いかけに、ジークフリートは困ったような苦笑を浮かべながら頷き、ギュンターは苦いものを飲み下すような顔を一瞬だけ見せてから、決然とした顔で頷いて見せた。




