常在戦場。
「なぁ!? い、いきなりなんだお前は!?」
唐突に、あまりに唐突に予想外の嘲りを受けた令息は、思わず声を上擦らせながらも、なんとか声を絞り出しメルツェデスへと視線を向ける。
恐らく睨んでいるつもりなのだろうが、あまりに弱々しいそれは、ガイウスと立ち会ったこともあるメルツェデスからしてみれば子犬のそれにも等しい。
ふ、と鼻先で笑うはしたない真似を敢えてしながら、取り出した白扇をばっと広げ口元を隠す。
ちなみに、軽々と優雅に扱っているが、もちろんいつもの鉄芯入りだ。
「あらあら、女だてらにこんな場所に顔を出す、それだけでおわかりになりませんの?
ああ申し訳ございません、頭の回りもお粗末でらしたのですねぇ」
滑らかに回る舌から繰り出される直球の嘲りを受けた令息は、ぱくぱくと口を開いては閉じるだけで、何も反論することができない。
流石に彼とて伯爵令息、それなりの教育は受けてそれなりに頭も回り、何より己の利益不利益になり得る人を見る目がそれなりにあった。
その彼の目に映る彼女は、踏んではいけない虎の尾をこれ見よがしに見せているようにしか見えない。
彼女の発した嘲りも合わせて考えれば、目の前に居る彼女の正体はただ一つ。
「メ、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ嬢、か……?」
「はい、左様でございます。どうぞお見知りおきくださいませ」
震える声を絞り出した令息に向けて、メルツェデスが微笑みながらいつも以上に端正なカーテシーを見せつければ、また令息は言葉を失った。
何しろ元々武門の家として伯爵の中でも上位と目されている家の令嬢で、昨夜のデビュタントでも公爵家と縁深く、王子殿下からの覚えもめでたいところを見せていた彼女だ、彼が権威的な意味で勝てるわけがない。
しかし同時に、同じ伯爵位にある令嬢を見ただけで口を噤んでしまうなど、それはそれで彼の面子が丸つぶれである。
だから彼は、飲まれそうになりながらも何とか口を開く。
「ふ、ふん! いかにプレヴァルゴ家の人間といえど、粗末なものを粗末と言って咎められるいわれはないぞ!」
「ですから、そう見えるその目と頭がお粗末だと申し上げておりますのに。
確認いたしますが、あなた様が粗末だとおっしゃったのは、この訓練場のことですわよね?」
メルツェデスの確認の言葉に、「ああ、そうだ」と令息は頷いて見せた。
それに対して一つ頷いて返せば、メルツェデスはゆっくりと訓練場を見渡す。
四方を壁に囲われた訓練場は200m四方以上はあるだろうか。
むき出しの地面を良く見れば、あちこちがデコボコとしており、石ころも転がり放題。
それらを確認したメルツェデスは朗らかな笑顔を見せて。
「実に素晴らしい環境ではありませんか」
「どこをどう見たらそうなるんだ!?」
楽しげに言われ、令息は思わず食ってかかった。
彼だけで無く、その周囲にも同じような顔をしている人間が幾人もいる。
着ている服の質を見るに、皆それなりの家の出のようだ。
だからと言って、メルツェデスの言葉が鈍るわけもないのだが。
「全てを見た上で、ですけれども。
そもそも。わたくし達が戦うことになるであろう相手は大体魔物である、ということはおわかりですわよね?」
「そ、それはもちろんわかっているが……?」
以前も述べたが、この国では軍に所属する者は最高位で伯爵まで、つまり人間を相手にするのは伯爵以下の者である。
しかしそういった者は魔力が低い事が多く、数よりも質が必要とされる強力な魔物相手には通じないことが多い。
それ故に、高い魔力を持つ者が多い高位貴族も戦闘訓練を受け、軍隊で対応できない魔物が出た時にはこれに対処する貴族としての責務がある。
当然そのことは、彼とて知ってはいるのだが。
「人間相手であれば、雨天の視界の悪さや手元足下の悪さを嫌って攻めてこないこともありましょう。
ですが魔物は天候などお構いなしと聞きますし、そもそも都市への被害を減らすため屋外での迎撃がほとんど。
そんな場所での戦闘において、雨を知らず濡れて滑ることのない床でしか訓練をしたことのない人間が、まともに戦えるとお思いですか?」
「え、いや、それは、その……」
問いかけに、令息は口籠もる。
どう考えても正論な上に、そもそも彼はそんな想定をしていなかった。
当然、実際の戦闘を考えた上でのメルツェデスの意見に対する反論も考えつかず、さりとていい加減なことを言えば墓穴を掘るだけ、ということは理解できてしまう。
中途半端に回る頭は、ならばと矛先をずらすことを考えついた。
「そ、それを言うなら、君のその格好はどうなんだ!? そんな格好でむき出しの地面の上などろくに動けまいに!」
流石にその返しは予想外だったのか、メルツェデスも一瞬ぽかんとした表情になってしまう。
今の彼女の服装は、お茶会などの時と比べれば簡素ではあるものの、裾の長いドレス姿。
確かにデコボコのある地面の上を歩くには向いていないが、訓練の時に着替えてくるのは間違いない。
もちろん、彼もこれが暴論であることはわかっている。
だが、もしもそのように反論されれば、プレヴァルゴ家の家訓である『常在戦場』の教えを盾に言い募るつもりだった。
常に戦場にあるかのような気構えはないのか、と。
そんな彼の思惑は、メルツェデスの高笑いで打ち砕かれた。
「オ~~~ッホッホッホ! これはこれは、なんとも面白いことをおっしゃいますわねぇ」
そうひとしきり笑ったと思えば、メルツェデスはパチン、と白扇を閉じる。
と。
次の瞬間には数mの距離を一瞬で詰めて、とん、と彼の胸板に白扇を軽く突きつけていた。
その動きに令息も、周囲で見ていた人間も息を呑み、一人後ろで見ていた教官だけが「お見事」と感心したように頷いている。
「この程度には動けますが……さてこれは、『ろくに動けない』内に入りますでしょうか?」
余裕の笑みでそう告げるメルツェデスに、今度こそ令息は絶句した。
ブーツにズボンという格好の彼だが、同じ動きをしろと言われても無理と言わざるを得ないし、そもそも、ああまで素早く動くような身体能力が備わっていない。
言葉でなく実践というこれ以上ない証拠を見せつけられて、最早彼に言い返す術はなかった。
「では、ご納得いただけたということでよろしいですわね?」
確認するように言われた令息が呆然とした顔でコクコクと頷くのを見たメルツェデスはまた微笑みを浮かべ、白扇を引く。
そこへ、パンパン、とさながらこれで幕引き、とばかりに手が打ち鳴らされる音がする。
おや、とそちらへ視線を向ければ、騎士服を着た大柄な一人の護衛を伴いながらジークフリートが別の入り口から入ってくるところだった。
それに気付くや否や、その場に居た全員が頭を下げそれぞれに礼の姿勢を取る。
「皆、頭を上げてくれ。というか、この学園内においては基本的に王族への礼は不要だ。
廊下ですれ違う度にされていては、お互い時間の無駄遣いになるだろう?」
ジークフリートが冗談めかして言えば、皆頭を上げて彼を見た。
気を悪くした様子も見受けられない辺り、学園の理念からの体裁・形式としてではなく、本心からそう言っているのだろう。
そんな周囲の視線や思惑を気にした様子もなく、ジークフリートはメルツェデスへと目を向ける。
「ありがとうメルツェデス嬢。教官殿に代わってこの施設の意義を説明してくれて」
「差し出がましいかとも思いましたが、勿体ないお言葉、恐縮でございます」
感謝の言葉を、メルツェデスは頭を下げて受け入れる。
そして頭を上げれば……ジークフリートは、少しばかり困ったような顔を見せていた。
「ところで、それだけ戦技に通じている君に、一つお願いしたいことがあるのだけど……」
言い淀む様に、メルツェデスは幾度か目を瞬かせる。
昨夜の様子といい、幼い頃の俺様な態度から随分変わったものだという驚きも感じながら。
それでもやはり彼女も人間だ、こういう姿勢で来られて悪い気はしない。
「はい、なんでございましょうか」
そう答えながら、恭しくまた頭を下げた。




