学ぶ者として。
ジークフリートの新入生代表挨拶の熱気が冷めやらぬ内に入学式は終わり、新入生達はそれぞれの教室へと移動を始めた。
クラスは、まず学ぶ内容が違うため男性と女性で分かれている。
男性が学ぶのは文学や数学地理歴史といった基礎学問に加えて、政治経済に礼儀作法やダンス、軍事戦略、魔物討伐のための魔術や武術の訓練。
これらを、1年では総合的に、2年以降は自分で比率を決めてで学んでいくことになる。
対して女性は、基礎学問は同様だが、政治経済、軍事戦略は一部の上級貴族令嬢しか学ばない。
その分礼儀作法を厳しく仕込まれると共に、魔物討伐の際に後方支援として振る舞うための様々な技能、後衛としての魔術などを学んでいくことが多い。
メルツェデスのように前衛としての技能を学ぼうとするのは、極めて例外的だ。
そのため彼女は今、一人だけ職員に案内されて武技訓練場へと向かっていた。
「いやぁ、私もこの学園に勤めて二十年になりますが、初年度のご令嬢をご案内するのは初めてですよ」
四十代前後と思しき男性が、笑いながらメルツェデスの前を歩く。
一見すれば普通の中年男性で、表情に締まりも無い。
だが、その無造作に歩く足取りは滑らかで隙がなく、この男性が武術技官として十分に武を修めた者であることを物語っていた。
その背中を見て生じた「手合わせ願いたい」という衝動をぐっと堪えながら、メルツェデスは小さく笑って返す。
「やはり、わたくしのような酔狂者は滅多にいない、ということなのですねぇ」
「はは、そのお言葉に『そうですね』と返すのは、差し障りがありそうですが」
と、メルツェデスの問いかけに、男性は遠回しに肯定を返した。
なんとなれば後方での治療活動どころか食事の準備、はては備品整理すら嫌がる令嬢すらいたくらいだ、まさか最前線で身体を張ろうなどという物好きがいるとは露とも思わなかった。
しかし、とちらり、男性は後方についてきているメルツェデスを一瞬見る。
その足取りは、彼に勝るとも劣らない磨かれたもの。
流石、ガイウス・フォン・プレヴァルゴが手塩に掛けて育てた愛娘だけのことはある、と一人納得する。
そして同時に、きっと武術を学ぶ者達への良い刺激になるだろう、とも。
「さ、こちらが武技訓練場になります。既にご令息方もいらしていますので……」
そう言いながら彼が扉を開ければ、さっと差し込んでくる眩しい光。
彼女が案内された訓練場は、四方を壁に囲われているが天井はなく、うららかな昼下がりの日差しをたっぷりとむき出しの地面に降り注がせていた。
それを見てメルツェデスは、なるほどと小さく頷く。
「教官殿。カリキュラムによれば、雨天であっても武技訓練の授業は行われる、と書いてあったと思いますが」
「ええ、その通りです」
「なるほど、本当に実戦的なのですねぇ」
「流石、おわかりになりますか」
感心したようなメルツェデスの言葉に、教官と呼ばれた男性は嬉しそうに頷いて見せる。
前述の通り、貴族は魔物の襲来に対して迎撃する責務を負う。
例えば人間の軍隊であれば、視界が不良で手元も足下も悪く、体力の損耗が激しい上に不慮の事故が起こりやすい雨天時には攻撃をしてこない判断もありえる。
だが魔物相手であれば、天候などお構いなしに襲撃してくることは想像に難くない。
その時に、雨天時の訓練をしていなければどうなるか、も自明のことだ。
それに備える為のこの施設であり、多少なりと実戦を知るメルツェデスにはそのこともよくわかった。
……だが、ということは、知らない人間の中には、わからない者もいる、ということでもある。
「なんだこのお粗末な施設は! こんなところで、高貴なこの僕に訓練をしろと言うのか!?」
その声に、つい先程まで上機嫌だった教官の顔が顰められる。
見れば、それなりに身なりの良い一人の少年が、大げさな身振りで彼曰くの不遇を主張していた。
恐らくは上級伯爵か侯爵の令息だろう。残念ながら、男性のいるお茶会にとんと参加したことのないメルツェデスには見知らぬ顔だが。
そして、彼が何者か、担当教官である男性にはよくわかっているらしく、注意の言葉が即座に出てこない。
「もしやあのお方、伯爵以上のお家の?」
「……ええ、お察しの通りです……」
言い淀む教官に、なるほど、とメルツェデスは頷いて返した。
武官の最高位であるプレヴァルゴ家は上級伯爵。
当然、学園の教官として配置される武官はそれ以下の身分であり、例えばこの教官は男爵であったはずだ。
であれば、上級伯爵、あるいはそれ以上の令息に物申すのは躊躇われるのも仕方が無い。
もちろんこんなことは毎年のようにあることだろうし、最終的には注意しているのだろうが、それは何とも無駄に神経を使うことだろう。
となれば。
「でしたら、わたくしが物申せば、大して問題にはなりませんわね」
そう言いながら、前髪に隠れている己の額をちょんと突いて、くすりと笑って見せる。
その仕草、その表情に目を奪われて一瞬ぽかんとした教官は、しかし即座に首を横に振った。
「い、いけませんプレヴァルゴ様、これは私の仕事ですから!」
「ええ、教官殿がとてもお仕事に熱心な方であることは、とてもよくわかります」
身のこなし一つを見ても、実に習熟していることがわかるだけの技量を持っている。
だがそれだけでなく、こうして案内している間に見せた、メルツェデスに合わせた歩調や目の配り方、話の振り方などからも、彼がこの教官という仕事に対して誠実であることがよくわかった。
そんな彼が、あんな奔放な令息の機嫌を損ねた程度で進退が危うくなるなど、あってはならないとメルツェデスは思う。
「だからこそ、教官殿に余計な迷惑がかからないようお力になりたいのですわ」
「そんな……なんと勿体ない……」
微笑みとともに向けられたメルツェデスの言葉に、教官はそれ以上言葉が紡げない。
思えば、彼女の父であるガイウスもまた、苛烈ながらも公正な人柄だった。
共に戦場を駆けた時も、彼の判断に何度助けられたことだろう。
そして今、彼の娘であるメルツェデスも、公正な苛烈さを振る舞おうとしている。
その姿は、なんとも眩しいものだった。
「とんでもございません。教官殿には今後とも存分にお力を振るっていただかねばなりませんから。
今年だけでなく、わたくしの弟が入学してくる来年も、そのまた先も。
あなた様には、戦場の武のなんたるかを語り継いでいただかねばならないのですから」
彼は、戦場を知っている。
綺麗事では済まない、だからこそ綺麗事を張り通さねば崩れてしまう修羅場を。
その経験は、きっとこれからを背負う貴族の卵達に語っていかねばならないことだから。
「ですから、こういったある意味汚れ仕事と言えるものは、いくら汚れても簡単に落とせるわたくしにお任せくださいな」
笑ってそう告げれば、すい、と前に進み出た。
『勝手振る舞い』の許しを持つ彼女を咎められる者など、この学園にはいない。
強いて言えば、二人の王子はある程度物申すことはできようが、きっとこの場面で文句を付けるほど愚鈍ではないはずだ。
そんな計算よりも先に、彼女の奥底から口を衝き、言葉が飛び出す。
「オ~~~ッホッホッホ! 何やらお粗末な方があれこれと喚いてらっしゃいますわね!
あまりにお粗末すぎて、思わず笑ってしまいましたわ!」
叫んでいるわけでもないのによく通り、その場に居た全員の耳を引きつけるように響く声。
一斉に振り返りこちらを見つめる視線へと、メルツェデスは悠然とした微笑みを返した。




