ゲーム本編開始、のはずが。
そして、翌日。
「いよいよ、本編スタートね……」と学園に向かう馬車の中、メルツェデスは心の中で呟く。
うっかり口に出してしまえばハンナに聞きとがめられることも早々誤魔化されてはくれないこともわかっているから、慎重に。
記憶を取り戻してからもう幾度も繰り返してきたせいか、無意識のうちに内心でだけため息を吐く、などという器用なことができるようになっていた。
……そうでもしなければ、聞きとがめたハンナが「お慰めいたします!」などと言いながら過剰なスキンシップを取ろうとすることは想像に難くない。
もちろんハンナの事が嫌いなどということはないし、普通の主従よりは打ち解けている自覚もある。
だが、10歳程度の頃ならまだしも、この国での成人を迎えた今となっては、どうにも気恥ずかしい。
そんなメルツェデスの気持ちを知ってか知らずか、ハンナは向かいの席で静かに控えている。
そう、タガが外れさえしなければ、控えめで職務に忠実なメイドなのだ、ハンナは。
などと愚にも付かないことを考えている内に、一際高い塀が目に入ってきた。
「どうやら、学園の敷地に入ったようね」
「ええ、この辺りのでこれだけの塀を備えているのは、王立学園だけでございますから」
メルツェデスの呟きに、ハンナは小さく頷き、答える。
比較的王都の端に位置し、魔術訓練やある程度の運動訓練も行えるだけの広大な敷地を持つ王立学園。
周囲に然程大きな家がないというだけでなく、高位貴族も含めた令嬢令息が通うとあって、その警備は厳重なものがある。
当然外敵が簡単に入れないよう塀は高く、王家の威を誇るかのように意匠を凝らされていた。
その囲いの中で、これから三年間を過ごすことになる。と言っても、寮生活ではないのだが。
正確には、領地が離れていてタウンハウスの整備が十分でない中級~下級貴族向けの寮はある。
だが、王都内に家族とその使用人達とで住むメルツェデスには関係のないことだった。
「……少し、寮生活というものに憧れたりもしたのだけれど」
「ふふ、お気持ちはわかりますけれど、その場合は私がお供いたしますからね?」
「そうねぇ、規則でメイドは一人まで。そうなったら、ハンナになるわよね」
冗談めかして言えば、ハンナも軽く、しかし冗談では済まない熱量でこちらを見てくる。
あくまでも仮の話、といなしてしまえば、目に見えてしょぼんとしてしまうのだから可愛いものだ。
実際のところ、親馬鹿であるガイウスと重度のシスコンであるクリストファーが寮生活など許してくれるわけもなく、これはあり得ない仮定でしかないのだが。
「寮生活は無理としても……この学園生活、退屈しないものにしたいわね」
今の平穏で順風満帆な生活が続けば、あるいは退屈と感じるかも知れないが。
残念ながら、恐らくそうはならないだろう、とメルツェデスは確信にも似たものを感じつつ、馬車に揺られ正門を潜った。
学園内の馬車停まりで馬車を降りれば、そのまま入学式の会場である講堂へと案内される。
案内されたのは、伯爵令嬢が座る席でも前の方。
途中で男爵令嬢の末席に座るクララを見かけたし、座って待っていればヘルミーナが、そしてフランツィスカとエレーナもやってきて、それぞれの席に座った。
理念として学園は身分の差なく平等、と言われてはいる。いるが、現実との兼ね合いで、どうしても爵位順に座席を配置せざるをえない。
互いに気付いて小さく手を振り合って挨拶をしたりしながらも、流石に言葉を交わすのは憚られるのか、ヘルミーナすら黙って席に着いた。そのことに、彼女の成長を感じてちょっとほろりとしたりしつつ。
そんなことを考えていていると、ざわりと会場が騒がしくなり、皆の視線が一点に集中する。
新入生の一番最後に、ジークフリートが入場してきたのだ。
昨夜直接目にした者が大半だが、それでもやはり、改めて昼の光の中で見る彼の存在感は一際大きい。
その姿に、幾人もの令嬢達が胸をときめかせ、あるいは目を潤ませているところへ微笑みながら手を振るジークフリート。
黄色い悲鳴を上げそうになって何人もの令嬢達が口元を抑える様を見ながら、「罪作りな王子様ね……」などとメルツェデスは小さく零す。
その罪作りな王子様の気持ちが全く届いていない、自分こそが罪作りな女だとは全く気付くこともなく。
そうこうしている内に入学式が始まり、まずは学園長が挨拶に立った。
流石はクラレンスの肝いりである王立学園の学園長、威厳がありながらも巧みな話術で飽きさせず、かつ、適度な短さで話を纏めきったのは見事なもの。
それが終わった後に在校生代表として挨拶に立ったのは。
「諸君、入学おめでとう。知っている者も多いだろうが、私はこの国の第一王子、エドゥアルド・フォン・エデュラウム。
生徒会長も務めさせてもらっているため、在校生代表として挨拶をさせてもらうことになった。
……まあ、可愛い弟も入学してくることだし、尚更張り切ってしまっているところもあるのだが」
そう言って笑いかければ、女子生徒からのため息があちらこちらで漏れ聞こえる。
中にはそれだけで失神しそうになっている者もいるくらいだ。
その中で、引き合いに出されたジークフリートは若干眉を寄せていたりするが、最前列にいる弟の表情を気にした風もなくエドゥアルドは続ける。
「さて。この学園では、この国を支える貴族として必要な素養を学んでもらうことになる。
それは知識であったり教養であったり、責務として、魔物と戦う術であったり。
これらは、諸君等が特権的階級であるのと引き換えに、背負わなければいけない義務であることを肝に銘じて欲しい」
仕切り直しの言葉と共に口調を改めれば、聞いている新入生達の背筋が伸びる。
ノブレス・オブリージュ、高貴なる者の責務。
知識としては知っていたそれを、今改めて、あるいは生まれて初めて突きつけられたのだ。
その重さはまだわからないが、それでも居住まいを正さずには居られないものがあった。
そんな中、一人別の意味で気を引き締めていたのがメルツェデスだった。
何しろ、エドゥアルドの挨拶は、彼女が知る『エタエレ』の冒頭でエドゥアルドがした挨拶そのもの。
一言一句、なんなら声質だとか抑揚まで一緒だったのだから。
つまり。ここまで順調に来ているように思っていたが、まだゲームシナリオの影響がなくなったとは言えないことに、改めて気付かされたのだ。
今まではゲームが始まっていなかったから、というだけで、始まってしまえば……という可能性だってあるのだ、油断はできない。
などと考えているうちにエドゥアルドの挨拶は終わり、周囲の拍手に釣られるようにメルツェデスも拍手する。
「だめね、ちゃんと聞いていなければ……」
小さく、そう呟く。
ゲームとずれているところ、同じところの見分けをしていかなければ、どこかで選択を間違ってしまうかも知れない。
であれば、イベントでも描かれていた部分を聞き逃す、見逃すなど以ての外だ。
少しでも多くの情報を、しかし判断は遅れることなく。
そう自分に言い聞かせ、また姿勢を改めれば、今度はジークフリートが壇上に登るところだった。
ゲームの『エタエレ』でも、新入生代表の挨拶はジークフリートがしている。
何しろ第二王子だ、ゲームのシナリオ関係なく、彼がするのは自然なことだろう。
また、そのイベントスチルは流石メイン攻略対象だけあって随分と力が入ったものだった。
そして、壇上からこちらを見る姿勢、表情はまさにスチルとうり二つ。だからその挨拶も……。
「今兄上の紹介に預かった、第二王子のジークフリートだ。皆、楽にして聞いてくれ。
そもそも私は、こうして代表などと言って偉そうなことを言える立場ではないのだ。
何しろ、こうして新入生代表などと言われて壇上に来ているが、その実私は、代表として胸を張れるような大した人間ではない。
知識、教養、武術。様々な面で私は自身の未熟を日々感じ、反省するばかりなのだから」
その言葉に、聞いていた生徒達はどよめき、エドゥアルドは面白そうに目を輝かせる。
そして。
メルツェデスは、思わず目を瞠り、慌てて表情を取り繕った。
何しろそんな台詞は、ゲーム中で一度も聞いたことがないものだったのだ。
「それでも私は、遠くない将来に兄上を補佐し、この国を背負って立たねばならない。
であれば、未熟な自分を恥じている暇などないのだと思う。
同時に、未熟なままでいていいわけでもないのだ」
そこで一度言葉を切ると、ジークフリートは講堂内をゆっくりと見渡す。
その視線にあるのは、照れでも恥でも傲慢さでもない。貪欲なまでにひたむきな輝き。
「だから。どうか、皆の力を貸して欲しい。
私の至らないところがあれば、是非とも直言してくれ。
身分など構わない。元よりこの学園は、身分の上下を気にすること無く研鑽する場なのだから。
もちろん、私からも気付くことがあれば、僭越ながら言わせてもらおう。
私達は、未熟だ。だからこそ、互いに研鑽し合えば、きっと誰も見たことのない自分になれるはずだと信じている」
誰も、一言も発しない。呼吸すら忘れたかのように静まり返る講堂内で、臆することも無くジークフリートは言葉を続ける。
彼からは見えているのだ、今、聞いている生徒達が、教師達がどんな顔をしているか。
「この学園での3年間は、長いようで短いものになるだろう。
だからこそ、余計なことにかまけている時間はない。
互いのために。そしてこの国のために。全力で互いに磨き合おうではないか!」
ジークフリートが言い終わった途端。
主に男子生徒側から、お腹の底に響くような「おお!!」という歓声が起こった。
流石に女子は声に出さないが、それでも打ち付ける拍手の熱は負けていない。
そんな会場の反応にジークフリートは一瞬驚くも、笑顔を見せて手を振る。
在校生席へと戻っていたエドゥアルドは、そんな弟の様子を楽しげに、しかしどこか不敵な笑みで見ていた。
恐らくこの場で困惑しているのは、メルツェデスただ一人だっただろう。
完全にゲームの台詞から外れた、それでいて自然と紡がれていったジークフリートの言葉。
それは彼の心からの言葉であることは間違いなく、だからこそメルツェデスには信じられなかった。
「……やはり、ゲームから外れることはできる、ということ……?」
その呟きを、熱を帯びた会場内の人間は誰一人聞き取ることができなかった。




