五年ぶりの彼女は。
「あ、ああ、久しぶりだな。息災であることはクリストファーから聞いていたのだが……」
メルツェデスの言葉を受けて、ジークフリートは若干口ごもりながらも挨拶を返した。
少し目を伏せがちにしながらも彼女の表情を伺えば、あら、と少しばかり驚いたような顔。
「まあ、お気に掛けていただいて、ありがとうございます。
ご覧の通り、元気にしております。時折、元気すぎるなどと言われるくらいでございまして」
冗談めかした笑みに、ほんのりとジークフリートの頬が赤くなる。
ジークフリートにとっては残念なことに、彼がメルツェデスのことを気に掛けてお茶会などでクリストファーにしつこいくらい話しかけていたという情報は、完全にシャットアウトされていた。
極度のシスコンになってしまったクリストファーからしてみれば、王子であろうと姉に近づこうとする害虫でしかない。
故に稽古ではジークフリートを完膚なきまでに叩き潰して不合格の烙印を押し、ジークフリートからのささやかなアプローチを承った振りをして握りつぶしていた。
そのため、メルツェデスからしてみればジークフリートは剣術に熱心な王子、でしかない。
ジークフリートからすれば、話は全く別なのだが。
「元気であることに越したことはないだろう。それに、その……」
そこまで言って、ジークフリートは口ごもる。
思い出には補正が掛かって美化されるものと言うが、5年ぶりに見たメルツェデスは彼が想像していた通りに、いやそれ以上に美しく凜々しく成長していた。
彼があの日見た鮮烈な少女は、やはり夢や幻ではなかったのだ。
安堵にも似た、しかしもっと熱いものがこみ上げてくるような感覚を覚えたジークフリートは、こみ上げるままに目尻が熱くなるのを感じる。
しかし、まさかこの場で涙するわけにもいかず、必死にぐっと堪えた。
何かを口にしてしまえば堰を切ってしまいそうで、言葉を飲み込んでいると、その背中がいきなりバシンと叩かれる。
「何黙り込んでいるんだ、ジーク。メルツェデス嬢に会ったら言いたいことがあったんじゃないのか?」
「あ、兄上!? 余計なことを言わないでください!」
爽やかに、そしてどこか悪戯な顔でエドゥアルドが言えば、叩かれた衝撃と精神的な衝撃が相まって、どもりながらジークフリートは悲鳴のような声を上げてしまう。
そして、そんな反応を見て、フランツィスカとエレーナの目が一瞬据わった。
やはりか。
二人は、同時にそんなことを思う。
お茶会でのジークフリートを、フランツィスカもエレーナも見ている。
その彼の態度とかつての出来事を合わせて考えれば、この事態は容易に推測できたし、今こうして確認も出来てしまった。
幸いメルツェデスに権力欲などはないから、彼が王子であることはアドバンテージにはなっていないようだが。
……むしろ王子であることが足かせになっていたりするのだが、もちろん二人が知る由もない。
そして、ほぼ間違いなくエドゥアルドもそのことに気がついており、だからこそ茶化すようにしながら煽っているのだろう。
それは、ジークフリートにとってもフランツィスカ達にとっても傍迷惑でしかないのだが、そのことをわかっているのかいないのか。
いや、少なくともジークフリートにとって迷惑であることはわかっていての所業なのだろう。
弟をからかうエドゥアルドの顔は、実に輝いていたのだから。
そして、この場には空気を読まない人間がいたこともジークフリートに災いした。
「それで、ジークフリート殿下はメルに何を言いたいのですか?」
流石に王子相手とあって敬語は使いながら、しかし無遠慮にヘルミーナが問いかける。
予想外の追撃に、ゴホゴホと咳き込みながらジークフリートは返事をすることができない。
まさか、本人の前で段取りも何も無く聞くことなどできるわけもなく、パクパクと口を動かすしか出来ないジークフリートを、エドゥアルドは実に楽しそうに見ていた。
良い性格してるわね、とは後にエレーナが語ったことであるし、フランツィスカもメルツェデスも同意せざるを得なかったりしたが。
そんな追い詰められたジークフリートに、ある意味救いの手が……そして、ある意味致命的な言葉が掛けられた。
「ああ、もしかしてこの傷がご心配でしたか? ご覧の通り痕が残ってはおりますが、痛みも無くすっかり慣れたものですよ」
そう言いながらメルツェデスが前髪を掻き上げれば、ジークフリートは、そしてそれを見た周囲の人間は、思わず息を飲んだ。
いまだ生々しく残る歪んだ深紅の三日月は、ある程度心構えをしていたジークフリートにすら衝撃が大きいところに、初めて見る、生傷などとは無縁の貴族層が受けた衝撃は言うまでもない。
数少ない例外は、感心したように見ているエドゥアルドと。
「これが、『天下御免』の向こう傷……まさかこうして実際に見られるだなんて……」
そう呟く、クララ。
平民の憧れでもある『天下御免』の退屈令嬢。
その由来でもある向こう傷は、噂に聞けども目にしたことはなかったし、そうである庶民がほとんどだろう。
それを実際に目にしてみれば、その生々しさと不気味さもあって恐れにも似た感情は生まれた。
だがそれ以上に感じるのは、格好良さ、である。
堂々とそれを晒している、ということもあるのだろう。
凜々しく余裕たっぷりな表情である、ということもあるのだろう。
何よりも、今やその傷痕は彼女の生き様に馴染んでしまったらしい、ということが大きいようにも感じた。
さりげなく見せているその仕草、当たり前のように見せている表情。
この傷痕と共に生きてきたのだ、と今日が初対面であるクララですら感じ取れた。
令嬢としては致命傷と言っていい傷痕と共に、今日この日まで。
だからメルツェデスは前髪で隠してこそすれ、布や額冠で徹底的には塞いでいないのだろう。
その心の強さを間近で改めて実感して、クララの胸の片隅にあった熱が、少し増したような気がした。
などと周囲の人間がそれぞれに感慨を抱いている中、ジークフリートの焦りは頂点に達しようとしている。
メルツェデスの言っていることは完全に勘違い。
だがしかし、それを訂正しようとすれば、色々と、これだけ注目を浴びている中でぶちまけてしまう可能性が十二分にある。
ゲームでの彼よりも遙かにたくましくなっていたジークフリートだが、残念なことに根本的な部分のヘタレは治り切っていなかったらしい。
「あ、ああ、何しろ強力な毒によるものだったから……心配していたが、以降息災で、本当に何よりだ」
ジークフリートがそう言う横で、エドゥアルドが小さな声で「このヘタレが」とぼやくように零す。
もちろんジークフリートには聞こえていて、しかし、そのことは誰よりも彼自身が良くわかっているため、反論もできない。
そして、耳の鋭いメルツェデスにしては珍しく聞き逃したのか、敢えて聞かなかったことにしたのか、ジークフリートの言葉に素直に応じていた。
「ご心配ありがとうございます。侍医の皆様や宮廷魔術師の皆様のおかげで、その後も大過なく過ごさせていただいております。
どうぞジークフリート殿下も、過分なご心配はなさいませぬよう」
「う、うむ、相わかった。それでも万が一がないとも言えぬから、油断はせぬように」
五年も経っていて今更万が一のことなどほぼあり得ないだろうことはジークフリート自身もよくわかっている。
だが、この話題を収束させるにはそう言うしかないと思った。
これであれば、メルツェデスを気遣ったというだけで終われそうだから。
そしてその予想通り、メルツェデスもエドゥアルドもそれ以上は言い募ることもない。
……エドゥアルドの場合は、呆れて物も言えなくなっているのかも知れないが。
もちろん、フランツィスカとエレーナは、一歩間違えれば敵に塩を送ることになりそうな余計なフォローなど入れるわけもなく微笑んでいるだけだった。




