ある種の遭遇戦。
そうこうしている内に、全ての貴族とその令嬢令息が入場したらしく、しばし歓談の場がもたれ。
場の空気が少しばかり落ち着いたところで、大きな声が響き渡った。
「国王陛下、並びに王妃殿下、第一王子殿下、第二王子殿下のご入場です!!」
その声に、ホールに居た全員がぴたりと口を閉ざし、ホールの上座、一段高い場所に設えられた舞台、その奥にある扉へと目を向け、ついで、身体ごと向き直って正対する。
流石に今日がデビューの令息令嬢は反応が鈍い者もおり、クララなどエレーナが小声で出す指示に従って冷や汗をかきながら動いていたりはするが。
なお、こういった場の経験が少ないはずであるメルツェデスやヘルミーナは何故かスムーズに対応しており、後からエレーナに「ちょっと解せないのだけど」と言われたりなんてこともあったりしつつ。
扉の前に立つ騎士が会場を見渡し、全員がこちらを向いたと確認すれば、扉に手をかけてゆっくりと引いていく。
それに合わせてホールにいる貴族達は全員頭を下げ、動きを止めることしばし。
静まり返ったその場に、サクリ、と毛足の長い絨毯を踏む音が微かに通る。
その音を聞き慣れた者は一層身を引き締め、慣れぬ者は、それでも感じる未知なる空気の重さ故に身を固くした。
いずれの理由にせよ、それぞれが微動だにしなくなったその会場の空気が、変わる。
不可侵である存在が、今ここに来た。
そんな実感に、ごくりと生唾を飲み込んだのは、一人二人ではない。
重苦しいまでの沈黙が場を支配することしばし。悠然とした、しかし厳かな声が響き渡る。
「一堂の者、大儀である。顔を上げよ」
許しの言葉に、ほぉ、と一息吐いたのは、場に慣れていない者達。
彼らは顔を上げて、気を抜いてはいけなかったのだと思い知らされた。いや、自覚できた者は何人いたか。
目に飛び込んで来たのは、まばゆく輝く、神々しいまでの黄金。
国王クラレンスはもとより、王妃、二人の王子が纏う神々しいまでの輝き。
並んでやってくる四人が四人とも、金糸をあつらえたかのようなまばゆい金の髪に飾られている、神のごとき美貌を持っている、というだけでは説明のつかない何か。
オーラとすら言えるそれを直視した瞬間、彼ら彼女らの心は、その色に染め上げられた。
刻み込まれたのは、絶対の忠誠。
カリスマ、としか表現のできないその王威に、抗えずまた頭を垂れる者多数。
ある意味恒例、デビューに際して国王クラレンスの威に触れて打ちのめされる者があちこちで出ている光景に、エルタウルス公爵は苦笑し、ギルキャンス公爵は密かに歯ぎしりをした。
上に立つべき存在が、確かに今、理屈など超越してここにいる。
改めて痛感させられ、受け入れているが故に「相変わらずだ」と苦笑し、受け入れられないからこそ、認められないからこそ、歯噛みする。
そしてクラレンスは、それが生まれついたもので在るが故に、当たり前であるが故に、当然とばかりに目の前の光景を受け入れていた。
「今年もまた、無事にデビュタントの日を迎えることができた。
これはもちろん偉大なる精霊方のご加護あってのものであると共に、諸君等の日々たゆまぬ貢献に拠るものである。
今宵は互いを労い、そして新たにデビューを迎えた前途ある若者達の未来を祝おうではないか」
穏やかでありながら、朗々たる声でそう告げられると、メルツェデスも背筋が伸びる。
彼女とて、前途ある若者。少なくとも今、この世界においては、そうだ。
その未来が良いものであるようにと祝われたことに、面はゆさも感じながら、同時に、喜ばしいものになるべく努力せねば、と心を新たにする。
破滅のフラグは、恐らくもうほとんど残っていない。
それでもまだ、慢心するわけにはいかない。
良くも悪くも、未来はまだ定まっていないのだから。
そんなメルツェデス同様、それぞれに襟を正している若者達をクラレンスは目を細めながら見やる。
国王として彼らの力を必要としてはいるが、それ以上に一人の大人として、彼らの前途が明るいものであることを願わずには居られない。
「とまあ、堅苦しいのはここまで。ここから先は、互いの未来を思いながら、楽しく過ごそうじゃないか」
急に砕けたクラレンスの言葉に、思わず参加者達から笑みが零れる。
この堅さ柔らかさの使い分けの上手さには、エルタウルス公爵すら舌を巻く。
やはり彼こそ王なのだ、と思いながら、給仕から白ワインに満たされたグラスを受け取った。
「それでは、この国の。若人達の。そして何より諸君等の未来を祝して。乾杯!」
クラレンスがかけ声と共にグラスを掲げると、それぞれが手にしたグラスを掲げ、そして口を付ける。
今宵は、デビューを迎え成人として認められる日。
故に、メルツェデス達デビュー組もワインを配られていたのだが。
「あら……このワイン、甘口で程よい酸味もあって、とても飲みやすいのね。香りも華やかだし、私達新成人にご配慮くださったのかしら」
「……ねぇメル、随分と飲み慣れた人間のコメントに聞こえるのは気のせいかしら?」
「……そんなことはないわよ?」
思わず口にした感想にフランツィスカがツッコミを入れると、メルツェデスは誤魔化すように笑って目を逸らす。
実際のところ、今世でも何度か口にしたことはあったりする。
だがそれ以上に、前世での記憶がそう言わせたこともまた事実だった。
何しろ一介の社畜でしかなかったから、ワインなぞお安いものを口にすることがほとんど。
祝い事か何かでちょっと良いワインを奮発したこともあったけれど、精々その程度。
それからすれば王家御用達のワインは、多少醸造技術で劣れども素晴らしいとしか言えない味わい。
ブドウだけでなくリンゴや蜂蜜のようなニュアンスがあって、飲みやすくも奥深いと同時に爽やかで飲みやすくもあり、思わずついつい飲んでしまう。
「飲み過ぎてふらふらになっても知らないからね? そ、そうなったら、介抱しなきゃいけないじゃない」
注意をしながら、フランツィスカの言葉が一瞬揺らいだ。
酔って頬を火照らせたメルツェデスを抱き留めるフランツィスカ。
そんな場面を想像してしまって、それはありかも知れない、などと思わず考えてしまったのだ。
のだが。
「何、その時は私が魔術でなんとでも」
と、隣で聞いていたヘルミーナが、自信満々で請け負う。
フランツィスカからすれば余計なお世話、しかしまさか口は元より顔にも出すわけにはいかない本音をぐっと飲み込んで微笑みを返した。
「そうね、ミーナは最近治癒魔術も嗜んでいるものね」
「まあ主に自分のお腹のためだけど」
自慢にならないことを自慢げに言いながらヘルミーナは、ぽん、とほっそりとしたお腹を叩いてみせた。
お菓子の食べ過ぎによる腹痛の予防、あるいは対処のために彼女が治癒魔術を学んでいる、というのはクララを除くこの場の全員が知るところ。
であれば。
「だったら、今日はお前自身が酔っ払わないように使え。なんでもう飲み干してるんだよ、早すぎるだろ」
「ふ、これくらいで酔う私じゃない」
「まだ顔には出てないけど、この中でお前が一番身体が小さくて回りやすい可能性は高いんだ、自重するに越したことはない」
呆れたような口調のリヒターに、ヘルミーナはパチパチと目を瞬かせ、不思議そうに小首を傾げる。
「え、何、まさか私のこと心配してるの?」
「……一応形だけでも婚約者なんだ、多少の心配はしても罰は当たらないだろ」
「うわ、なんかまともっぽいこと言ってる、ちょっと不気味なんだけど」
「お前な、僕は基本的に正論しか言わないぞ」
などとギャイギャイ、いつものように言い合いだした二人を、メルツェデス達三人は笑いながら眺め、一人クララだけが目を丸くした。
「あ、あの……ヘルミーナ様とリヒター様をお止めしなくてもいいのですか……?」
「ああ、大丈夫大丈夫、いつものことだから。喧嘩する程ってやつよ」
心配そうに言うクララにエレーナが軽く答えると、そうなんですかとまたクララは驚く。
見た目だけなら上品に見えるヘルミーナが、これだけ毒舌を発揮し、リヒターがそれに応じる。
貴族とはもっと上品なものだと思っていたクララには、どうにも刺激が強い。
「この二人、というかミーナが特にそうだっていうのはあるけれど……私達貴族だって人間だもの、こういう関わり合いもあるのよ。
あなたも前住んでいたところで見なかった?」
「た、確かにありましたけど……そっか、貴族様でもこういうことあるんですね……」
メルツェデスがフォローになっているのかわからないことを言うが、クララは納得したような顔で呟く。
何ならもっと醜い言い合いをしている家もあったりするのだが、流石にそれは刺激が強かろうとメルツェデスは伏せておいた。
彼女のようにあまり社交の場に出ない令嬢でも耳にするのだ、上品そうに見せている貴族であろうとも家庭の不和はいくらでもある。
それに比べたら、まだこの二人のそれはじゃれ合いみたいなものだ。
ただまあそれは、こういった夜会の場では少々目立つことも事実ではある。
だから。
「おやおや、随分と賑やかだね。私達も混ぜてもらっていいかな?」
和やかな笑みと共にそう声を掛けられることはある意味仕方が無いことだったのかも知れない。
ただしそれが今宵この場であれば、こんなこともあってしまう。
「まあ、エドゥアルド殿下、それにジークフリート殿下も。お見苦しいところをお見せしてしまいましたわ」
二人と面識のあるフランツィスカがそう言って礼の姿勢を取れば、同じく顔馴染みのリヒターも即座に倣う。
一拍遅れてヘルミーナが頭を下げ、突然のことに硬直するクララへとエレーナが指示を出して頭を下げさせた。
そして。
「初めてお目にかかります、エドゥアルド殿下。そして、いつぞや以来ご無沙汰しております、ジークフリート殿下」
二人の近づいてくる気配に気付いていたメルツェデスは、余裕の笑みを見せながら頭を下げた。
内心で、攻略対象から近づいてきたことに若干の焦りを感じながら。




