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退屈令嬢、命拾いす。

 王宮の医務室へと運び込まれたメルツェデスは、侍医達から懸命の治療を受けていた。


「なんとしても助けるんだ、王宮の総力を挙げてでも!」


 身を挺して息子をかばってくれた恩人に対して、クラレンスは最大限の治療を行うよう指示。

 治癒魔術の使える宮廷魔術師も総動員した結果、何とか死の淵からは引き戻した。

 メルツェデス本人が伝えた情報から処方した解毒剤も、どうやら効果があったらしい。

 それでもまだ予断を許さぬ状態、高熱を出したままメルツェデスは、ベッドに横になったままうなされること三日。


 四日目の朝、彼女はゆっくりと目を開けた。


「こ、ここは……?」


 その声に、ベッドの傍にいた男が勢いよく顔を上げる。


「メルティ! 目が覚めたのか!! わかるか、俺だ、お父さんだぞ!」

「え……は、はい、お父様……お父様、ですよね……?」


 勢い込んで顔を覗き込んでくるガイウスの顔を認めて、一瞬だけ考えたメルツェデスは、どこか茫洋とした声でそう答える。

 それを聞けば、もはや我慢も限界だったのだろう、滂沱と涙を流しながらガイウスがメルツェデスを抱きしめた。


「ああっ、メルティ! 俺の可愛いメルティ!

 そうだ、お父さんだ、お父さんだぞ! 良かった、本当に良かった!」

「あのっ、お父様、少し痛いのですがっ」


 いかなメルツェデスとは言え、王国随一の剣士でもあるガイウスに力一杯抱きしめられれば、身体が軋むように痛くもなる。

 悲鳴のような声に我に返ったガイウスは即座に腕を緩め、改めてメルツェデスを抱きしめ直した。


「すまないメルティ、嬉しさのあまり……良かった、三日も目を覚まさないから、気が気ではなかったんだぞ」

「三日、ですか……? わたくし、そんなに……」

「かなり強力な毒だったからな……解毒剤が間に合って何よりだった。

 ……だが……いや、命が助かったからよしとすべきなのだが……」


 急に歯切れが悪くなったガイウスの様子に、メルツェデスは怪訝な顔になる。

 緩んだ腕からもぞもぞと逃れるようにしながら、ガイウスへと真っ直ぐに視線を向けると、問いかけた。


「あの、お父様……何かございましたか?」

「何かというか、だな……」


 メルツェデスの言葉に、珍しくガイウスは言い淀む。

 親子で見つめ合うことしばし。

 堪えきれなくなったのか、またガイウスは、先程とは違う涙を滝のように流し始めた。


「お、お父様!? い、一体何が……」

「ああ……可愛いメルティ、俺のメルツェデス!

 天使のようなお前が、俺が不甲斐ないばかりに、こんな、こんな……」

「あの、お父様、こんな、だけではわかりません」


 滅多に見ない、むしろ初めて見る父の取り乱した様子に、メルツェデスもどうしたらいいかわからない。

 しばらくオロオロとしていると、やっと立ち直ったのか、それでもまだ涙目のガイウスが顔を上げた。


「いいかい、メルティ。心を落ち着かせて聞いて欲しい。

 額に、違和感や痛みはないかい?」

「額、ですか? ……確かに、まだじくじくと、熱を持ったような痛みが……」


 メルツェデスが答えれば、途端にまたガイウスの顔が歪んだ。

 それでも今度は何とか涙が滲み出す程度に堪える。堪えたと言っていいのかはわからないが。

 もうその顔だけで、どうなっているかがメルツェデスにはわかってしまった。


「もしかして、傷が残ってしまいましたか?」

「ああ……すまない、本当にすまない! 俺がお前を守れなかったばっかりに……こんな、こんなことに!

 あの毒は、皮膚を火傷のように爛れさせる効果があってな……そちらは、打つ手がなかったんだ……」


 堪えきれなくなったかのように叫びを上げた後、がくりとガイウスは肩を落とす。

 侍医曰く、本来ならば全身に回るはずだった毒が、皮膚を浅く切られただけで済んだことで全身にあまり広がらず、ほとんどそこだけに留まっていたらしい。

 だからこそ命を取り留め、だからこそ額には火傷のような傷痕が残ってしまったのだ、と。

 ぼた、ぼた、とシーツを濡らす水滴を見て色々と察したメルツェデスは天井を見上げて、ふぅ、とため息を一つ。

 それから、そっと父の肩に手を添えた。


「申し訳ございません、お父様。わたくし、親不孝をしてしまいました」

「何を言うんだメルティ、お前が謝ることなどない!

 俺がもっと気を配っていれば良かったのだ、そうすれば、防げたかも知れないのに……」


 あの時、違和感に気付いた後、メルツェデスの動きに気付いて即座に駆け出した。

 だからこそ、彼女が稼いだ僅かな時間の間に追いつき、狼藉者を蹴り倒す事ができた。

 しかし、僅かに考えたがために、最初の一撃には間に合わなかった。

 今となってはそれが、悔やんでも悔やみきれない。

 そんな父の苦悩を知ってか、メルツェデスは幾度もその肩を撫でる。


「それでも、駆けつけてくださいました。

 わたくしの腕では、あの狼藉者の二撃目を防げたかは怪しいところ。

 お父様が間に合ってくださらねば、こうして言葉を交わすこともできなかったでしょう。

 ですからお父様は、ちゃんとわたくしを守ってくださったのです」

「メルティ……ああっ、やはりお前は天使だ、メルティ! こんな俺にまで、そんな慈しみを与えるなどっ!」

「だっ、だからお父様、苦しいですっ! ちょっ、腕っ、緩めてくださいましっ!」


 労るように、励ますように優しく微笑みながら告げるメルツェデスを見て、またガイウスの涙腺は決壊した。

 再び力一杯に抱きしめられて、やはり精一杯抵抗する。

 それでも、決して抱きしめられることそのものは不快ではない。

 こんな、酷い傷物になった自分でも、まだこうも愛してくれるのだと、安心してしまうから。

 ほふ、と安堵のため息を、そっと零してもしまう。


 どれ程だろうか、ようやっとガイウスが落ち着きを取り戻した。

 未だ、目は真っ赤に充血しているが。

 

「すまなかった、メルティ。当のお前がそんなにもしっかりと受け止めているのに、見苦しいところを見せた」

「いいえ、とんでもございません。……むしろ、お父様から愛されているのだと、改めて思い知りました」

「まだそんな嬉しいことを言ってくれるのか、メルティ!

 ……いや、いかん、このままではいつまで経ってもお前を愛でるだけになってしまう……。

 私は侍医殿に連絡した後、陛下にご報告する。お前はもう少し横になっていなさい」

「はい、かしこまりました」


 物わかりよくコクリと頷くメルツェデスを見て、またガイウスは瞳が揺らぐが、しかしそれをぐっとかみ殺す。

 愛おしげに、あるいは名残惜しげにメルツェデスの頭を撫でると、彼は立ち上がった。


「ハンナ、後は頼むぞ」

「かしこまりました、旦那様」


 今まで、親子のやり取りを邪魔することなく静かに控えていたメイドが、コクリと頷く。

 頷き返したガイウスがくるりと背中を向けて、部屋を出て行く。いや、出て行こうとした。

 ……むしろ鎖でもついているかのようにいつまでもガイウスは出て行けない。

 だがそれでも、最後には臣下としての務めが勝ったのか、何度も振り返りながらも部屋を出て行った。


 それを見送ったメルツェデスは、ぽふんとベッドに身体を横たえると、いつの間にかベッドの傍に寄り添っていたハンナへと目を向ける。

 茶色の髪を肩より少し上で切りそろえ、髪を抑えるためのホワイトプリムとクラシカルなロングスカートのメイド服を身に着けた女性。

 少女というには大人びていて、伏し目がちな顔にはほとんど表情が窺えない。

 ……いや、彼女の目元もまた、腫れぼったい。

 幼少の頃から献身的に世話をしてくれた専属メイドだ、やはり心配を掛けてしまったのだろうと申し訳なくも思う。

 だからこそ、彼女をこれ以上心配させないためにも、少しだけ一人の時間が欲しかった。


「ハンナ、悪いけど何か飲み物を持ってきてもらえるかしら。寝すぎたせいか、喉が渇いてしまって……」

「もちろんでございます、お嬢様。私こそ、気が利かず申し訳ございません。直ぐにお茶をご用意いたします」

「いいえ、あなたはいつも良くしてくれています。だから、気にしないで、ね?」

「……お嬢様……な、なんと勿体ないお言葉っ! このハンナ、すぐに最高のお茶をご用意いたします!」


 普段の冷静沈着な様子はどこへやら、感極まり頬を紅潮させたハンナが、ガイウスの身のこなしもかくやとばかりに素早く退出しようとする。


「え、ちょ、ちょっとハンナ落ち着いて! ゆっくりで構いませんからね!」


 その背中に、声が届いたかどうか。

 瞬く間に出て行ったハンナの後ろ姿は、まるで蜃気楼のよう。

 止めようと伸ばした手は、どこまでも虚しい。


 やがて現実を認識したメルツェデスは、ぱたりと腕を落としてベッドへと身体を預けた。

 ぼんやりと見上げる見慣れぬ天井が、妙に遠い。

 それを見つめること、しばし。


 

「はぁ~……このタイミングで、ですか……これがついてから、とか……」


 小さく呟くと、そっとため息を零した。

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