それぞれの、裏。
「……どうやら上手くいきそうですな、ギルキャンス閣下」
遠巻きに、クララがメルツェデス達と少しずつ打ち解け談笑している様を見ながら、ジタサリャス男爵がギルキャンス公爵へと抑えた声で話しかけた。
本来であれば格下も格下の男爵から最上位貴族である公爵に話しかけるなど御法度もいいところだが、今日は夜会、また企みを同じくする者ということもあって、公爵はその振る舞いを咎めなかった。
「ああ、元々エレンがあれだけ食い込んでいるところだから、さして心配はしていなかったが……予想以上、ではあるか。
ジタサリャス卿、あのクララ嬢、平民上がりにしては中々器量よしな上にまずまずの振る舞いだな。良い拾いものだったようだ」
「は、お褒めに預かり恐縮です。あるいはこれも光属性の賜物かも知れませんが……何よりもエレーナ様のご指導が素晴らしかったのでしょう」
「はっはっは、うちのエレンは天使だからな、当然というものだよ。
元々賢い子だったが、いつ頃か随分と熱心に行儀作法や勉学にも励みだして、今や最高と言っていい令嬢になってくれたよ」
あのフランツィスカ・フォン・エルタウルスに比べても、という言葉は流石に飲み込むが。
それでも、ギルキャンス公爵は誰に恥じること無くそう言ってのけた。
実際、ああしてフランツィスカと並んで談笑しているところを見ても、その美しさ、気品、洗練された所作と、どこを比べても見劣りすることがない。
二人の息子から離れて生まれた娘、とあって元々溺愛している自覚もあるが、その親の贔屓目を差し引いても、彼女は決して負けていない、それが公爵の評価だ。
「そして、その最高のご令嬢と、国王派筆頭であるエルタウルス公爵家のご令嬢とから親しく声を掛けられたクララには、他の者も一目置かざるを得なくなるでしょう。
既に男爵令嬢として十分な礼儀作法は身に着けさせましたが、これからそれ以上の躾と、何よりも知識教養を学園にて身につけさせれば……」
「光属性を持つ、男爵令嬢として過分な程の教養を身につけ、聖女にまで認定されれば、王家としても無視はできんだろうな。
都合良く、王子殿下はお二人ともいまだ婚約者がおらぬのだから、少なくともお一人はクララ嬢との婚約が持ち上がるだろう」
「そしてエレーナ様にもお話が持ち上がれば……ふふ、貴族派大躍進の切っ掛けにもなりましょう」
声を抑えながらの会話に、しかし二人の顔はこみ上げてくる愉悦の表情が抑えられない。
また、二人の企みは決して夢物語でもないのが困りもので、公爵家から王家に嫁ぐのはもちろん、過去に聖女が身分関係なく輿入れしたケースも確かにあった。
その時の聖女は、様々な礼儀作法や教養が不十分だったために、色々と苦労もしたようだが……今のクララは、エレーナのサポートにより、最低限のものは身に着けている。
彼女の性格を考えれば、今後も大きな問題なく必要なものを身に着けていくことだろう。
それらが全て上手くいけば、貴族派から王太子妃、将来の王妃を出すことになり、最近押され気味な国王派相手に発言力を増すことが十分可能だ。
「そのための先行投資は惜しまんよ。卿、クララ嬢のドレスや宝飾品は任せたまえ。金はもちろん、デザイナーも一流の者を用意しようではないか」
「有り難きお言葉、感謝の念に堪えません。いかんせん無骨者の成り上がりゆえ、そういった方面は疎く……」
ギルキャンス公爵の提案に、ジタサリャス男爵は申し訳なさそうに頭を下げる。
何しろジタサリャス家は、かつての戦役で立てた武功により先代が騎士爵から男爵に昇爵したばかりの家。
故に領地を持たず王都内の警備主任についているため顔が広く、クララが光属性に目覚めた件をいち早く知り、すぐに養子として迎えることができたわけだが、同時に、資産や上流文化との馴染みといった、貴族的な嗜みは不十分なところが多い。
その辺りの事情をわかっている寄親のギルキャンス公爵にとっては、ここで資金やツテの援助をすれば恩を売ることもでき、派閥の力を増すこともできるという、言わば一石二鳥の策となるわけだ。
「何、気にするな。ジタサリャス卿の躍進は、我らが派閥においても重要なのだからな」
「過分なお言葉に、身が引き締まる思いでございます」
そう言いながらジタサリャス男爵はまた頭を下げる。
親譲りの騎士らしい率直さ、それでいて程よく頭も回り貴族的な所作も身についていて不快感もない。
そんなジタサリャス男爵は、ギルキャンス公爵にとって気が張らない相手でもあり……使いやすい駒でもある。
「これからも卿には働いてもらわねばならんからな」
とても貴族らしい、威厳がありながらも裏の読めない笑みを、公爵は見せた。
「……なんて企んでるのよ、きっと」
「あ、あはは……それっぽいことをちらりと、男爵様……義父が漏らしていたことが……」
父親二人の企みを、エレーナが見抜いた上で愚痴っぽく漏らせば、クララも困ったような顔をしながら小声で応じる。
残念ながらジタサリャス男爵は、演技派ではないらしい。
「まあ、それくらいは考えてしまうわよね、ギルキャンス様としては。光の魔力を持つ聖女候補だなんて、もう何十年も出ていないのだし」
「それが手の内に入ってきたら……ということを、既に陛下もエルタウルス公爵様もお考えになっているとも思うけどね」
「……どう考えても、最終的に陛下のいいようにされる未来しか見えないわね……」
さも当然、と冷静に返す国王派に属する二人の言葉を聞いて、エレーナは小さくため息を吐きながら答える。
ギルキャンス公爵本人は、決して無能な人間ではない。むしろ広大な領地を治める領主としては有能な男だと言っていい。
ただ、その一枚も二枚も上を行く相手が、同じか上の立場に二人もいるという不幸がどうしようもないだけで。
また、エレーナの目から見れば、貴族派の復権というところに目が行きすぎて、視野が狭くなっているのも足を引っ張っているのではないかと思う。
今回のクララの件にしても、国としての視野に立って彼女を活かせば、結果としてその功績で発言力が上がるのではないか……などとも思ったりするのだが。
「大人の事情と都合は一旦置いておきましょうよ。とりあえず今は、クララさんが学園に馴染んでくれることが大事なのだし。そのための準備はしっかりエレンがやってくれてるから、安心だとは思うけど」
「クララさん、どう? エレンの教え方は」
「あ、それはもう、とても丁寧に、熱心に教えていただいてます。本当に、私のような者には過分なくらいで……」
テンションの下がったエレーナの気持ちを切り替えようとフランツィスカが話を打ち切り、切り替えると、それを受けてのメルツェデスの問いにクララははにかむような笑みを見せる。
まあ、その横で聞いていたエレーナは、若干頬を染めながら視線を逸らすのだが。
「別に、そのくらい当然よ。クララの失態は、面倒を見ている私の失態にも繋がるんだから」
「あらあら、随分大人なこと言うようになっちゃって。あの頃と比べたら本当に人格者になったわよねぇ……。
ねえクララさん、ご存じ? ちっちゃい頃のエレーナって実はね……」
「ちょっとメル!? 私の恥ずかしい過去の話は禁止!」
にんまり、意地悪な顔をメルツェデスがクララに向ければ、エレーナが慌てて止めに入る。
一瞬興味を引かれたクララは、しかし初めて見るエレーナの慌てた様子にあわあわと二人の顔を見比べ、どう返せばいいのか判断がつかない。
そこに、ずずいと横で聞いていたヘルミーナが食いついてきた。
「何、エレンの恥ずかしい話? 詳しく」
「何なのミーナ、さっきまで興味なさそうにしてたのに、こういう話題ばっかり!」
「ふ、人の不幸は蜜の味」
「もうちょっとこう、包み隠して言うべきじゃないかしらそれは!」
ドヤ顔をしながら身も蓋もないことを言うヘルミーナに、エレーナはこういった場では珍しいくらいの声になる。
もちろん、はしたなくない程度に抑え、表情も大きくは崩していないのだが。
だが……その表情はなんとも、活き活きとして楽しげにも見える。
「……あ~、そういう話題になるのなら、僕はちょっと席を外しておこうか」
「そうだそうだ、さっさとどっか行け、このもやし」
「なんだとおいこら」
女性のプライバシーに関わることかと察したリヒターがそう言えば、容赦の無いヘルミーナの言葉が返ってきて、思わずカチンとした顔になった。
そこからまた口喧嘩も始まったりするのを、クララはぽかんとした顔で見ていた。
「ふふ、貴族なんて言っても、気心知れた間だったらこんなものなのよ。もちろん、ここまでの仲になるのは、時間がかかるけれど、ね。
どうかしらクララさん、少しは気が楽になったかしら」
「えっ、そ、そうですね、プレヴァルゴ様。少しですけど、安心しました」
そう言って微笑むクララを見ながら、メルツェデスも笑い返す。
ここまでは順調といっていいだろう、という下心を隠しながら。
ゲームにおいてクララは、平民上がりゆえの自由さが上流貴族令息達の目には新鮮に映り、興味を引く。
同時に、それを疎ましく思う令嬢達からいじめの対象にもされ、それが障害となって恋が燃え上がった側面もあった。
しかし現在のクララは、平民上がりとは思えない所作を身に着け、基本的に目上の者には自分から話しかけないなどの、会話の不文律的なものもある程度わかっている。
そして、こうしてフランツィスカとエレーナが親しくしているという印象を付けたのだ、これでいじめなどを仕掛けてくる令嬢は、早々いないだろう。
……という状況を作るために、メルツェデスがエレーナに頼んで、しっかりと鍛えてもらったりするのだが。
その厳しい教育を、しかし丁寧で熱心と受け取る心根であれば、妙ないじめなども早々起こらないだろう。
それともう一つ。
扱かれて音を上げ、「どうしてヒロインの私が」などのエレーナにとっては意味不明な愚痴を言い出さないかを探れたら、という狙いもあったのだが、どうやら幸いそれは、外れてくれたようだ。
これで、色恋沙汰でゴタゴタすることは、今のところはないだろう。
であれば後は、クララに健全に成長してもらい、魔王を退治する際の戦力となってもらうのみ。
本当はそんなことに巻き込みたくはないのだが、崇拝者達がこれだけ暗躍している以上、どこかで復活することは避けられないだろう。
今までの活動を見るに、もしかしたらずっと早く復帰してしまう可能性すらある。
であれば、出来る限り早く成長してもらうに越したことはないのだ。
そして。
「学園には他にも私達のお友達がたくさんいらっしゃるから、またご紹介するわね。
そして、あなたが楽しく過ごしてくれることを願っているわ」
生まれながらにして、魔王と戦う運命を背負わされた少女。
その運命が纏う匂いは、どこか自分の、メルツェデスの身体に流れる血の匂いを思わせた。
だから、そんな少女に、短くても少しでも、楽しい時間を過ごしてもらいたい。
そう願いながら、メルツェデスはクララに微笑みかけた。




