話題の少女は。
その少女は、華美な化粧などはしていない。むしろ、控えめな部類だ。
だというのに何故か目を引かれてしまうのは、その纏う雰囲気のせいだろうか。
華やかでありながら様々な思惑が入り乱れるホールの中において、彼女の周囲はまるで浄化されたように穏やかで清浄な空気を漂わせている。
まるで、そこだけ木漏れ日の差す静かな高原のように。
もう一つ、人目を引いている要因があるとすれば、その纏うドレスだろうか。
形としては、隣に居るエレーナと同じプリンセスライン。
胸元を大胆に開けているエレーナに比べれば、ハイネックにして胸元までしっかり覆っている彼女のドレスの方が大人しいと言える。
だが、エレーナが明るい黄色をベースにしているのに対して、彼女のそれは新雪を思わせる真っ白なもの。
そしてその色は、今この会場で、彼女だけが身に着けているものだった。
「……あのドレスの色、ということは、彼女が……」
「ええ、エレンがああしてついているのだから、色選びを間違えただなんてあり得ないし」
「おまけに、遠目からも中々の魔力とわかる」
フランツィスカの呟きにメルツェデスが応じ、ヘルミーナも隣で頷いている。
実はこの夜会においては、ドレスの色にある決まりがあった。
フランツィスカが赤、メルツェデスとヘルミーナは青、エレーナは黄色。
ついでに言えば、リヒターの首に巻かれているクラバットと胸ポケットに入っているポケットチーフは緑色だ。
これらは全て、それぞれが持つ魔力属性の象徴色となっている。
火は赤、水は青、風は緑。地は茶色が本来の色だが、こういった場では地味過ぎるということで、黄色を代わりに用いることが多い。
この国では、属性を与えてくれる精霊のことを神のように崇め、敬っている。
その一環として、こうしてデビュタントを迎えた、人生における節目を迎えたことを精霊に感謝するためにその色を身に着け、デビュタントに臨むのだ。
だから、デビューする令息令嬢が身に着ける色を間違えるなどすれば、教養を疑われるどころか精霊への信仰心まで疑われ、最悪社会的に死にかねないため、そのチェックは厳しく行われる。
当然エレーナがそんなミスを犯すわけもないとなれば、この少女が身に纏っている色は、これで間違いないのだ。
つまり、地水火風いずれでもない属性。そして、白を纏う、ということは。
「あの子が、光属性に目覚めたという、聖女候補の……」
「それも、ミーナが中々というくらいの、とんでもない魔力の持ち主、と」
「まって、それだと私の物差しがおかしいみたいに聞こえるのだけど」
「実際におかしいんだよ、この魔力馬鹿」
などとリヒターとヘルミーナが仲良く喧嘩している横で、メルツェデスとフランツィスカはそれぞれの思惑を微笑みの下に隠しながら、その少女を見るとなしに見ていた。
フランツィスカからしてみれば、対立する貴族派に押さえられた聖女という政治的にも重要なピース。
今のところ貴族派、特に派閥筆頭であり寄親でもあるギルキャンス公爵はそれを使ってはこないが、今後はどうかわからない。
さらには聖女候補自身が何を考えどう動くのかも探らねばならないところだろう。
そして、どう動くのか、彼女の人となりはどうなのか、はメルツェデスの方こそ知りたいところだった。
この世界に来てからは初めて見る彼女。
ゲーム画面の彼女とはもちろん違うのだが、確かに彼女だと思えてしまう何か。
ゲーム『エタエレ』の主人公たる、クララ・ジタサリャス。
平民だった頃の名残でまだ伸びきっていない金色の髪は、肩に触れる程度。
慣れない場にとまどっているのか若干硬い表情を見せては居るが、それでも生まれ持った愛らしさは全く失われていない、やや幼く見える整った顔立ち。
その中でも特に目を引くのは、サファイアのように澄んだ蒼い瞳。
大人しくも清楚なドレスに包まれたその身体は、ゲームでもよく見知った、バランス良く出るところが出て引き締まるところは引き締まっているスタイル。
特徴をピックアップしていけば確かに彼女だと納得するのだが、それ以前にもう、彼女こそがクララなのだとなぜか認識できてしまった。
……そして己の胸の内を探れば、認識したからといって彼女に対して敵愾心のようなものは生じておらず、そのことに安堵のため息などついてしまう。
どうやら、強制的に彼女に対しての感情が動いてしまうような、いわゆる強制力的なものはここでは働かないらしい。
それは、一つにはゲームと違いジークフリートと婚約していない、というのも関係しているかも知れないが。
などと考えながら眺めていると、どうやら同じく娘二人で連れ立って歩くことにしたらしい。
ギルキャンス公爵とジタサリャス男爵と思しき男性に二人して頭を下げると、エレーナが先に立って歩き出した。
その二人の、特にクララの礼や仕草を見たフランツィスカが目を細める。
「……数ヶ月で叩き込んだにしては、随分と身についているわ。よっぽど努力したのね、彼女」
そう呟くフランツィスカの声は、どこか好意的な響き。
元々彼女はゲーム内においても努力の人であり、同時に努力する人を好ましく思う性格でもある。
それは今この世界においても同様であり、そしてそのフランツィスカにも認められる程にクララは躾けられていた。
と、そのクララを伴っているエレーナの目が、ホールにいる令嬢達の中でも一際背が高くて目立っているメルツェデスの姿を捉えた。
その視線に気付いたメルツェデスが小さく手を振ると、小さく頷いたエレーナは行き交う人達の間を縫うようにしながら、真っ直ぐにメルツェデス達の元へと向かって歩き出す。
程なくして彼女の動きに気付いた人々が、驚きとも好奇ともつかない目を向け始め、あるいはざわめき始めた。
エレーナが向かう先は、フランツィスカ達が集まり談笑しているところ。
貴族派筆頭であるギルキャンス家のエレーナが聖女候補であるクララを引き連れて、国王派筆頭であるエルタウルス家のフランツィスカの元に赴く。
それが意味するところは、と様々な憶測が紡がれ、エレーナがフランツィスカの傍に来た時にはざわめきと言っていい程辺りに響いていた。
そのざわめきの中心にいる二人は、そしてメルツェデス達は、全く気にした様子も無いのだが。
「あらエレン、ご機嫌よう。今日はとても素敵なお嬢さんをお連れなのね」
「ご機嫌よう、フラン。ええ、そうでしょう? 元々私一人でも注目を浴びるのに、その上これだとたまらないわ」
当たり前のように、そして自然な笑顔を浮かべながらの二人の挨拶に、しかしそれを目の当たりにした会場の人々は驚き、どよめきが起こった。
中には、対立派閥筆頭であるにも関わらず、二人が友人付き合いをしていると噂に聞いていた者もいる。
しかし両派閥の対立を思えば、まさかそんな、という心はどこかにあった。
それが、今こうして目の前で互いを愛称で呼んだのだ、噂は真実だったのだと認めざるを得ない。
ましてそんな噂も知らない、二人が対立しているはずと思い込んでいた者の驚きはいかばかりか。
だが、そんな外野のどよめきなどどこ吹く風で二人は、いや彼女達は談笑を続ける。
「クララ、紹介するわ。こちら、エルタウルス公爵家のフランツィスカ・フォン・エルタウルス様。
それからあちらが、エデリブラ公爵家のリヒター・フォン・エデリブラ様と、その婚約者であるピスケシオス侯爵家のヘルミーナ・フォン・ピスケシオス様。
そしてこちらが、プレヴァルゴ伯爵家のメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ様よ。折角だからご挨拶なさいな」
「は、はいっ。皆様初めまして、私、クララ・ジタサリャスと申します。
こうして皆様のお目通り叶いまして、身に余る光栄にございます」
そう言いながらクララは、ドレスの裾を摘まみながらカーテシーを披露した。
その仕草は、メルツェデスやフランツィスカに比べれば拙いところはあるが、それでも男爵令嬢としては十分なもの。
むしろたった数ヶ月でここまでできるのは大したものと言っていいだろう。
「こちらこそ、お会いできて嬉しいわ、ジタサリャス様。
ご事情は少し伺っているけれども、その挨拶の仕方を見るに、とても努力なさっているのね。私、そういう方は好ましいと思いますわ」
「そ、そんな、勿体ないお言葉、ありがとうございます」
微笑みながらのフランツィスカの言葉に、クララは少し頬を染めながら頭を下げ、謹んでその言葉を受け取る。
このやり取りは、周囲にまたどよめきを生んだ。
何しろ、ギルキャンス家が後見となっている聖女候補を、エルタウルス家のフランツィスカが褒めたのだ。
彼女の性格を知らない人間の中には、この機会に難癖を付けて攻撃するのではないか、と予想していた者が少なくなかったのだから。
これは一体何が起こっているのか。まさかと思っていた国王派と貴族派の融和が実現するのか。
そんな大人達の思惑もどこ吹く風と、少女達はそれぞれに挨拶をし少しずつ打ち解けていく。
「エレンも流石ね、これだけ短期間で教えるのは大変だったんじゃない?」
そうメルツェデスがエレーナに声を掛ければ、少し驚いたような顔をしたが、すぐにどこか偉そうな笑みを作った。……ほんのり頬が赤かったけれども。
「ふふ、私にかかればこんなものよ! ……と言いたいけれど、実際はクララが素直で飲み込みも早かったのに相当助けられたわね。おまけに練習熱心だったし」
「なるほど。確かに、いい意味で貴族らしくない素直さは感じるわ」
などと頷きながら、メルツェデスは一人、小さく安堵のため息を零した。
どうやら、このクララは転生者ではないようだ、と。
それを見分ける為に、あらかじめエレーナにお願いして、こうして連れてきてもらったのだ。
もしもクララが転生者、しかも『エタエレ』を知っている者であれば、ビアダルどころか絶世の美少女となったフランツィスカを前にして驚かないわけがない。
仮にそこで顔に出さなかったとしても、ヘルミーナとリヒターが仲良く喧嘩し、メルツェデスもその輪の中にいるというライバル令嬢と悪役令嬢の揃い踏みに反応しないでいるのは難しいだろう。
ところが、クララはそう言ったことへの反応は全くなく、ひたすら身分が上であるフランツィスカ達との会話に緊張しまくりながらも何とか応じている。
もしもこれが演技だとすれば、それはそれで恐ろしいものだが……メルツェデスの直感は、それはないと告げている。
であれば。
あるいはこの愛らしい少女とも友達になれるのだろうか。
そんなことを考えながら、メルツェデスも会話の輪の中に入っていった。




