前夜祭の一時。
フランツィスカを伴って歩くメルツェデスは、やはり随分と人の目を集めていた。
ピンと伸びた背筋は、平均的な令嬢から頭一つ高い彼女の存在感をさらに高め、キリッと切れ上がった瞳も合わさって一際凜とした雰囲気を纏わせる。
それでいてその整った顔に浮かんでいるのはどこか楽しげな微笑み。
男性はもちろん女性の目も引いてやまないのだが……歩いている彼女らに声を掛ける者は一人もいない。
公爵令嬢であるフランツィスカまで傍にいるのだ、この二人とお近づきになりたくないわけがない。
しかし近づけないのは、ひとえにメルツェデスの武勇伝を聞き知るがゆえ。
何しろ男勝りどころではない『天下御免』の活躍ぶり、迂闊に近づけば並みの令息など一ひねり。
流石に、刃傷沙汰などにはならないだろうが……先日の大立ち回りを聞くに、どうされるかわかったものではない、というのが彼女をよく知らない者達が思うところだ。
もちろん実際の彼女は余程の非道でも無い限りそんなことはしないのだが、何しろ彼らは彼女のことを知らない。
デビュー前の令嬢達が集まるお茶会なども、彼女の友人達だけが集まるもののみ参加して、大人達も集まるそれにはほとんど参加を辞退している。
だからこそこのチャンスに、彼女の人となりを知るためにも近づかねばならないのだが……先程エルタウルス公爵とも親しげに話しているところを見せられて、下手な近づき方をして公爵の不興を買っては、と二の足も踏んでしまう。
などと尻込みしている間に、彼女達は目当ての友人を見つけたらしく、声を掛ける機会は失われてしまったのだが。
「ミーナ、リヒター様、ご機嫌よう。ふふ、着飾ったミーナも新鮮で素敵だわ」
「そうね、スラリとしてるから、細身のドレスが良く似合ってるわ。リヒター様も鼻が高いのではなくて?」
会うなり向けられた賛辞に、しかしヘルミーナは困ったような渋面を作り目を逸らす。
……もっとも、その頬がほんのり朱に染まっていたりするあたり、悪い気はしていないらしい。
ヘルミーナが着ているのは、メルツェデスと同様に深い蒼に染められたドレス。
形としてはマーメイドラインで、ほっそりとした、それでいて優美なカーブを描く身体に沿って流れるシルエットはどこか彫刻のような趣。
もしも見せている表情が普段通りならば、整いすぎているが故に近づきがたい存在となっていたのだろうが……今は令嬢らしくも無く苛立ちを撒き散らしているために、人を寄せ付けないで居る。
ヘルミーナはメルツェデス以上に表に出てこない。
であればこのチャンスを逃す手はない、はずなのだが……隠す気のない不機嫌さ、それに合わせて漏れ出る尋常でない魔力の気配に、迂闊に近づけないでいる。
エレーナ曰くの『マジキチ』令嬢は、噂に違わぬ危険物の気配。
更にその隣で婚約者であるエデリブラ公爵令息リヒターがさりげなく視線で周囲を牽制しているのだ、近づけようもない。
そんな周囲の恐る恐る窺うような視線に、ヘルミーナは全く気がついていない。
「二人からそんな風に言われると、嫌みにも聞こえるのだけど」
「あら、嫌みだなんてとんでもない、心からそう思っているわよ?」
「……それが本音だとわかるから、また質が悪い……」
不思議そうに小首を傾げるメルツェデスを見て、ヘルミーナは小さくため息を零し、全く同意であるフランツィスカは思わず苦笑を浮かべてしまう。
メルツェデスは、他人を褒めることに躊躇も照れも無い。
それがどれだけ他人の、特に彼女の周囲に居る令嬢達の心臓に悪いか、彼女だけが気付いていない。
そして、言われることそのものは嬉しいから、フランツィスカを始め誰も止められずにいる。
結果が、これである。
ストレートな攻撃に晒されて恨みがましい視線を見せるヘルミーナを宥めるようにポンポンとその肩を叩きながら、フランツィスカが先程から気になっていたことを口にした。
「それにしても、こういう場が苦手だから、にしても随分と機嫌が悪くないかしら」
その言葉に一度ヘルミーナは言葉に詰まり……ちらりと視線をどこかへと向ける。
それから、令嬢としてははしたないくらいのため息を零した。
「義務だから仕方ないと出席したのだけど……こんなドレスを着せられるために、コルセットでお腹がぎゅうぎゅうに締められてる」
「あら、それは確かにしんどいのもわかるけれど、私達だって似たようなものよ?」
そう返しながら、メルツェデスは小首を傾げる。
まあ、普段から鍛えているメルツェデスとフランツィスカの場合、締め上げる必要性が他の令嬢よりも遙かに少なかったりはするのだが。
そんな二人の、特にウェスト辺りに視線をやりながら、ヘルミーナはもう一度ため息を吐く。
「ただしんどいだけじゃない。こんなお腹じゃ……こんなお腹じゃ、折角のデザートをほとんど食べられないじゃない!」
言いながら段々感情が盛り上がってきたのか、最後には握りこぶしを固めながら力説しだしたヘルミーナを前に、フランツィスカは思わず吹き出しそうになり、慌てて手にした白扇で顔を隠す。
その隣に居るメルツェデスは、なるほど、と納得した顔になったりしているが。
確かに、大の甘党であるヘルミーナからしてみれば、王室直属のパティシエ達が作ったデザートは垂涎もの。
デビュタント会場に供されるとあって、特にその腕を振るったであろう色とりどりの見た目にも美味しそうなお菓子達が並んでいる。
それらを、いくつかしか食べられない、思う存分食べられない、というのはヘルミーナにとっては拷問にも等しいものかも知れない。
「全く、仮にも侯爵令嬢なんだから、そんながっついたことを言うもんじゃないよ」
「うるさい、ろくに食べてないようなうらなりびょうたんは黙ってて」
「僕が細いことは認めるが、そんな鶏ガラみたいな腕のお前には言われたくない」
そう言いながらリヒターは、ちらりとヘルミーナの腕に目を向ける。
日頃の運動のおかげで引き締まっているメルツェデス、フランツィスカの腕と違って、ヘルミーナの腕は純粋に肉がついていない。
あまり大きくないリヒターの手でも簡単に掴めて、下手をすれば折れてしまいそうな程に細い。
などと抱いていたリヒターの感慨を、気付いていないヘルミーナはあっさりと打ち砕くような口調で言い返す。
「ふ、令嬢である私にそれは、大して効果は無い」
得意げに言うヘルミーナに、しかしリヒターは訝しげな顔を見せた。
「……令嬢? いや、確かに社会的にはそうだが……」
「何、言いたいことがあるならはっきり言ったら?」
「僕は君と違って、言わぬが花という言葉も知っているんだ」
じぃ、と剣呑な目を向けるヘルミーナに対して、しれっとした顔で返すリヒター。
本人達は、特にヘルミーナなどは本気で言い合いをしているつもりなのだろうけれども。
「……なんだかんだ言ってお似合いに見えるのは気のせいかしら」
「奇遇ねフラン、わたくしにもそう見えるわ」
端から見れば、仲良くけんかしているようにしか見えなかったりする。
それが不本意であるヘルミーナなどは、慌てて否定するかのように言い募るのだが。
「待って二人とも。私はこんな、吹けば飛ぶようなもやしに興味はない」
「おい、僕がもやしなら、お前はひげ根かってくらいに細いんだがな」
などと二人がまた言い合いを再開しそうになったところで。
ざわり、と会場の空気が揺れた。
その中心と思しき方へと目を向けたメルツェデスは、見定めようとするかのように目を細めた。
「……いらしたみたいね」
「ええ、恐らく今日一番の話題となるであろう人物が」
そう言いながら、メルツェデスとフランツィスカは二人して会場の入り口へと目を向ける。
その視線の先には、二人と同じく父であるギルキャンス公爵にエスコートされたエレーナと。
もう一人、初めて見る、しかし人目を引く顔立ちをした少女が、父親らしき男性に伴われて入ってくるところだった。




