ゲーム開始前夜。
「まあ、とても綺麗だわ、メル!」
夜だというのに溢れんばかりの光に満ちたホールに入った途端、キラキラと光を反射する長い金髪をキラキラと輝かせながら、鮮やかな緋色のドレスに身を包んだフランツィスカが急ぎ足で歩み寄ってきた。
かく言う彼女自身、歩く度にふわふわと揺れるたっぷりとフリルのあしらわれたプリンセスラインのドレスがよく似合っており、絵画から抜け出てきたお姫様のように見える。
美しくも愛らしく、それでいて豊かな胸は大きく開いていて、その谷間を飾る深紅の宝石があしらわれたネックレスの輝きに視線が引きつけられれば、男女問わずその色香にクラリとしてしまいそうになるだろう。
だが、その笑顔を真正面から受けた、そして、一番クラリとして欲しい相手であるメルツェデスはいつもの微笑みを見せて受け止めるだけだ。
「あら、ありがとうフラン。そういうあなたもとても綺麗よ。そのドレスも、とても良く似合っているわ」
そう言ってメルツェデスが笑えばフランツィスカの頬が染まり、思わずその笑顔から逸らすように視線を動かしてしまう。
あら? と視線を逸らされた……逸らしてしまう原因となった張本人は、不思議そうに小首を傾げれば、結い上げて纏めた髪の、わざと垂らした一房が彼女の白い頬へとかかる。
それでいて右から左へ絶妙に流された長い前髪は、しっかりと額の傷を隠していた。
今日のメルツェデスは、肩こそふわりとした袖に隠れているものの、深い谷間の見えるほど大胆に胸元をカットされた落ち着いた藍色でスレンダーラインのドレス。
装飾はあまり凝ってはいないのだが、日々の鍛錬で磨き抜かれたボディラインがいやらしくない程度に出ていて、それこそが一番の装飾だと言わんばかり。
……まあ、本人曰く、いざと言う時に動きの邪魔になりにくいというのが、このドレスを選んだ理由だったりするのだが、それはハンナの忠告により誰にも言ってはいない。
目に宿る熱っぽさを見るに、聡明な一番の親友が見抜いていないのだから、この会場にいる誰もその意図はわからないだろう。
「ふふ、そう言ってもらえたら光栄だわ。ドレス選びに苦労した甲斐もあったというものよ」
まだ熱い頬を冷ますかのようにふぅ、と小さく吐息を零した後、フランツィスカは少しばかり照れの含まれる顔で笑って見せた。
「やれやれ、魅力的な娘を持つと苦労するね、ガイウス」
「何をおっしゃいますやら、そのお言葉、そっくりそのままお返しさせていただきますよ、エルタウルス公」
そんな二人のやり取りを見ながら、エスコートしてきた彼女らの父親達が和やかに挨拶を交わしている。
今日は王立学園入学前の、入学する貴族令息令嬢が社交界にデビューするデビュタントの日。
かつてはそれぞれが成人する誕生日などに行われていたが、学園が権威を持ち、ほぼ全ての貴族子女が入学する現在では、彼ら彼女らを一堂に集めて行うのが通例だ。
そして今年も同様に集められ、いかに『天下御免』を持つメルツェデスであってもわざわざ拒否する意味もないため、こうして参加しているわけだが。
この年齢であれば婚約者がいる令息令嬢も多く、大半はそれぞれの婚約者と共に入場しているのだが、婚約者のいまだいないメルツェデス、フランツィスカは父親にエスコートされて入場した、というわけだ。
なお、メルツェデスのエスコートをしたいとクリストファーは熱望していたが、彼はまだデビューの歳ではないため、却下された。
「うちのフランが魅力的なのは今更だがね。恐らく今日人目を集めるのはメルツェデス嬢ではないかい?
何しろ、色々な噂で持ちきりのご令嬢がついに社交界デビューするのだからねぇ」
「……それは、まあ、我が娘ながらお転婆に育ちましたからなぁ……」
唐突な親馬鹿発言に一瞬言葉を失うも、続く言葉には苦笑しか浮かんでこない。
確かに、『天下御免』を得てからのメルツェデスは傍目には奔放に映ったことだろう。
実際には下調べもし、熟慮しての行動がほとんどで、だからこそガイウスも止めずに見守っていたし、それが貴族社会でどう見られているかもわかっていて、好奇の目を向けられるだろうからと社交の場にほとんど出ないことも咎めずにいたのだが。
いよいよ、今日デビューすることになってしまう。
「お転婆なだけに、陰でこそこそ言うしかできないような連中に振り回されることもないでしょうし」
そう言いながらガイウスがちらりと視線を動かせば、その視線を受けてさっと顔を逸らす者が数人。
逸らさずに受け止めているのは、肝の据わった上級貴族か、メルツェデスの友人とその家族だろう。
それを見て、エルタウルス公爵も楽しげに笑い声を上げた。若干、わざとらしいくらいに。
「確かにね。こう言ってはなんだが、メルツェデス嬢は鏡のようなものだね。
彼女を通してみると、本当に色々なものが見えてくるよ」
貴族として最高位であり、形式的な序列はともかく実際の権勢において随一と目されるエルタウルス公爵がそこまで言う。
そのことをよくわかっていての言葉に、ガイウスは内心で感謝の念を抱いていた。
知っての通り親馬鹿なガイウスからしてみれば、その性根の太さを知っていてもなお、様々な情念渦巻く社交界にメルツェデスを送り込むことは心配で仕方が無い。
だが、ここでエルタウルス公爵が彼女を認めるようなことを発言したのだ、表立ってメルツェデスを攻撃するような貴族は少なくとも国王派にはいなくなるだろう。
そんな親の気遣いを理解しているのか、フランツィスカが父親へと向ける視線は優しい。
……その視線を受けて一瞬にやけそうになった表情を見たガイウスは、『まさか娘へのアピールか?』との疑念を抱いてしまったりしたが。
エルタウルス公爵。彼は上級貴族には珍しく家族愛が強く子煩悩、特にフランツィスカを溺愛しているらしいという噂は、どうやら真実だったようだ。
それこそ、ガイウスには言われたくないだろうが。
「それではお父様、その鏡のようなメルツェデス様と共に、今宵の夜会を楽しんで参りますわ」
「ああそうだね、友人も多数来ているのだろう? 私達のようなおじさんに付き合う必要はない、楽しんでおいで。
だが、変なのに引っかかるんじゃないぞ? フランなら心配要らないだろうけれど」
余裕を持った大人の態度、で一度許しておきながら、やはり親馬鹿の顔がちらりと覗く。
そんな父親に思わず笑いながら、フランツィスカはそっとメルツェデスの腕を取ってみせた。
「大丈夫ですわ、お父様。メルツェデス様が一緒なら、それこそ王子殿下相手でも追い払えますもの」
「ちょっとフラン? わたくしを用心棒か何かと思ってないかしら?」
しかめ面を作って咎めるようなメルツェデスの言葉に、フランツィスカも「冗談よ、冗談」などと軽く返す。
もちろんそれはメルツェデスもわかっていたのだろう、すぐに渋面は解けていつもの微笑みを見せた。
「それではお父様、プレヴァルゴ様。一度失礼いたしますわね」
「ふふ、エルタウルス様、フランツィスカ様をしばしお預かりいたします。きちんと無事にお返しいたしますから」
そう言いながら二人揃ってお手本のように綺麗なカーテシーを見せれば、それを見ていた周囲の者からも感嘆のため息が漏れる。
……おかげで、「別に『しばし』でなくてもいいのだけど」という呟きは誰にも聞こえなかったが。
それぞれのカーテシーを見慣れている父親二人ですら、綺麗に揃ってのそれを見て思わず一瞬言葉を失ったくらいだ。
だが流石に様々な修羅場をくぐり抜けてきただけあって、周囲よりも先に立ち直ったらしい。
「ああ、女性であるあなたにエスコートをお願いするのも変な話だが、よろしく頼むよ」
「はい、任されました。どうぞご安心の上お任せくださいませ」
「メルティ、お許しが出たからといって変に振り回すんじゃないぞ?」
「お父様、変なことを言わないでくださいませ。わたくしが振り回すのは、ハンナとクリスくらいですわ?」
ハンナが聞けばうれし涙を、クリスが聞けば何とも言えない苦笑いを浮かべそうなことを平然と言うメルツェデス。
返されたガイウスが見せたのは、やはり苦笑だったりはするが。
ともあれ。もう一度頭を下げて、メルツェデスとフランツィスカの二人は、揃って友人達の居る方へと向かった。




