酸いも甘いも蹴倒して。
「何してるの、無理して私まで守らなくたって」
そんな、今まで聞いたこともないほど弱々しい声で、ヘルミーナの健気な台詞が聞こえてきた。
彼を止めるつもりのそれは、かえってリヒターの何かを奮い立たせる。
「煩い、守るのは僕の得意技なんだ、黙って守られてろ。僕だって男なんだ、こんな時くらい無理しなくてどうする!」
照れ隠しもあってか、早口でまくし立てるリヒターに、ヘルミーナは目をぱちくりとさせてしまう。
そして、そんな彼に一瞬安堵を覚えそうになって、いやいや、と首を振った。
「無理したって、私に勝てないヘタレのくせに」
「ああそうさ、確かにお前に勝てないヘタレだよ、僕は。だけどな、いや、だからな、お前を守りたいんだよ!」
よもやの台詞に、ヘルミーナは思わず目をぱちくりと瞬かせ、言葉を失う。
彼女が何も言い返さないことをいいことに、リヒターは言葉を重ねた。
「お前の魔力は、魔術の才能は、飛び抜けてる。それは、きっともっと何か大きなことをするためのものだ!
それを、こんなところで失わせるのは勿体ないんだよ!」
そこまで言い募ったところでリヒターは一度言葉を句切り、しばし沈黙する。
しかし、何かを振り切ったかのように言葉を続けた。
「正直ムカつくことも多いし嫉妬もしてるけどな、お前のその才能は認めてるんだ!
だから、大人しく守られてろ!」
「え、ちょ、ちょっと、それは……なんだか色々酷くない……?」
色気も何もない叫びに、ヘルミーナは困惑する。
普段の彼であれば決して口にしないであろう言葉の数々。
それは、確かに彼女の心の中にある何かを動かした。
しかし、それに心動かされない者もいる。
「ジ、ジルベルト! 何とかしろ、お前ならなんとかできるだろ!」
「いやまぁ、何とか……できなくは、ない、かなぁ……?」
中年男の声に、ジルベルトは首を傾げた。
15歳という年齢の平均を遙かに超える、宮廷魔術師並み、いや、この結界に関して言えばそれを凌駕してすらいる彼。
その彼を、無力化するにはどうしたものか。
「さ、最低限あの小娘さえ生きていればいい! 斬り捨ててでも何とかしろ!」
「それならまあ、何とかできる可能性はありますがねぇ」
気乗りしない声で言いながら、ジルベルトは剣を抜いた。
……他の男達が持つナマクラとは明らかに違う、研ぎ澄まされた刀身。
そこに纏わり付く魔力の刃は、王宮に仕える近衛騎士にも匹敵するものだ。
「……なんであんたみたいな人が、そんな奴の下についてるんだ?」
リヒターは純粋に、心から疑問に思う。
彼もまた、こんなところで浪費されていい人物ではない。リヒターの目には、そう映った。
だが、それに返ってきたのは、苦み走った笑み。
「過分なご評価痛み入る、ね。残念ながら、そんな上等な人間でもないんだよ、俺は。
強いて言うなら、戦乱の亡霊が、いまだ彷徨ってるだけさ」
自らを嘲るようなジルベルトの表情に、リヒターは強い違和感を覚える。
きっと、彼自身はそんな自分に納得していない。
けれど、今更もうどうしようもない。
そんな諦めが色濃い様相に、何故だか焦燥感が煽られた。
「亡霊だなんて……あんたは、今も生きてるじゃないか。まだ、自分の言葉で話せてるじゃないか!」
言われて、ジルベルトの動きが一瞬だけ止まる。本当に、一瞬だけ。
すぐにまた歩み寄りながら、彼はまた唇を歪めた。
「生きてるっつーか、心臓が動いてるだけ、さ。
息をしてる、物を食う、眠くなれば寝る。そんな人間を、生きてるって言えるのかね?」
「それは……いや、それでも、生きてると、言える!
だって、だってあんたは、そんな自分に疑問を持ててるじゃないか! それが人間らしさじゃなくて、なんだって言うんだ!」
リヒターのまっすぐな言葉に、またジルベルトの足が止まる。
それは、先程より二秒ほど長く……そして、それだけでしかなかった。
「若いなぁ。青いなぁ。……だが、そいつがちょいとばかり眩しくて、羨ましい。
俺にもまだ、こんな感情が残ってたんだなぁ」
そう言いながら、ふぅ、とため息を一つ。
その一息だけで、胸の中で渦巻く色々に折り合いを付けたらしい。
「だがまあ、それはそれ、だ。
どうだい、大人しくしてくれやしないかい?」
きっとそれは、最後通牒。
この返答如何で、心に折り合いを付けて斬る、という宣言。
そのことは十分に伝わっているはずなのに、リヒターは口角をつり上げた。
「だが、断る!
無駄に終わるかも知れなかろうが、僕はヘルミーナの未来を守る可能性に賭ける!」
「はぁ……ほんっと、羨ましいねぇ、その言葉、その目。……こんな形で会いたくなかったなぁ」
ぼやきながらジルベルトは、また一歩、二歩、歩む。
そうすればそこは、彼の間合い。
一歩踏み出しながらの一振りで、リヒターを斬れる距離だ。
もちろん、彼の結界に弾かれる可能性もあるのだが……ジルベルトは、いけると踏んでいた。
仮に刃が力負けして折れ曲がっても、それでも、切っ先は届く。
それで気絶してくれればめっけもの。そうでなくとも心が折れてくれれば十分だ。
そう考えながら剣を振り上げ、まさに振り下ろさんとした、その時。
ドバン!! とド派手な音を立てながら、倉庫の扉が勢いよく開けられた。
何事か、と全員の視線がそこに向けば、降り注ぐ月の光を背負って佇む人影が一つ。
カツン、カツン、とヒールの音を高らかに響かせながら、ゆっくりと……それこそ、散歩を楽しむかのように数歩進んだその人影は、前触れもなく口元に手を当てて。
「オ~~~ッホッホッホ!
涼を求めて夜の散歩と洒落込んだというのに、なんとも暑苦しい場面に出くわしてしまいましたわねぇ」
唐突な高笑いに、見ていた男達はギョッとする。
そしてヘルミーナとリヒターは、期せずして同時に同じ事を思った。
『本当に、来てくれた』と。
「な、何者だ、何故ここに来た!?」
誰何の声に応えるのは、ゆっくりと見せつけるようにつり上がる口の端。
ずい、と一歩踏み出せば、気圧されたように男達は一歩、二歩下がる。
「何故にも何も、先程申しましたでしょう?
夜の散歩に出かけてあちらこちら。
何やら退屈の虫が騒ぐので仕方なく足を向けてみれば……これは、ネズミの集会なのかしら?」
ネズミと例えられて、流石に嘲られていると理解した男達が気色ばむが、その視線の先にいる少女はまるで意に介した様子がない。
さらに一歩、大きく踏み出すその姿に、揺らぐところは微塵もなく。
いきり立ちかけた男達の気勢は、また飲まれそうになる。
その様子を認めて目を細めた少女は、そっと左手をその前髪にかけた。
「そんなあなた方の目に入れるのも勿体ないのですが」
そんな前置きと共にゆっくりと髪をかき上げれば、薄闇に輝く深紅の三日月。
噂に聞いたことのある者は、目の前の少女が何者か、それだけで理解してしまった。
「身の証としてお見せしましょう、この『天下御免』の向こう傷!
メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ、人呼んでプレヴァルゴ家の退屈令嬢とは、わたくしのことですわ!!」
高らかに響き渡る声、月夜だというのに日輪もかくやと力強く輝く不敵な笑顔。
それを見て、リヒターの肩から少しばかり力が抜けた。
彼も噂に聞く、退屈令嬢。
その彼女が、今ここに推参したのだ。




