平穏な日常、のはずだったのに。
そして、『魔王』が討伐されてから、数日後。
「ぬわぁ~~~!!!」
「ギュ、ギュンター~~!?」
ギュンターが吹き飛ばされ、ジークフリードが悲痛な叫びを上げた。
言うまでもなくここは、魔王との決戦場所ではない。
いや、ある意味で魔王を越えた存在との対決ではあったのだが。
「あ、あら……?」
ギュンターと対峙し、幾度か切り結んだ後に決定的な一撃を入れてギュンターを吹き飛ばしたメルツェデスは、戸惑ったような声を漏らす。
ここは、学院の訓練場。
そこで、いつかと同じような光景が繰り広げられていた。
『精霊結晶』を埋め込まれる、という前代未聞な治療を受けて、『終焉の魔女』消滅により多大なダメージを受けていたメルツェデスの身体は、誰もが驚くような回復を見せた。
僅か数日でありとあらゆる筋繊維の修復が済み、身体を動かす際の違和感もほとんどなくなったため、回復具合を見るためにギュンターとの手合わせを、となったわけだが。
「え、一体どういうこと? なんでまたギュンターさんが負けてるの?」
「簡単な話。水属性なメルと水の『精霊結晶』の相性が良かったというだけのこと。
元々メルは身体能力強化や自己回復の魔術は得意だったわけだし、そこに『精霊結晶』の膨大な魔力が加われば身体の修復は問題ない」
当然と言えば当然であるエレーナの疑問に答えていたヘルミーナは、そこで一旦言葉を切って。
「身体を動かす魔力源としても、綺麗にはまったようだし。
それもこれも、私の調整が上手くいったおかげ。流石、私」
「はいはい」
ふんぞり返りそうなくらいに胸を張っているヘルミーナへと返しながら……エレーナは心の底で心からヘルミーナに感謝をしていた。
言うまでもなく、エレーナにとってもメルツェデスは大事な存在。
その彼女こうして以前と同じくらいにまで回復したのだ、いくら感謝してもしたりないところである。
何しろ、後にわかったのだが、あの時無造作に行われたように見えた『精霊結晶』の埋め込みだが、一歩間違えれば身体中に張り巡らされた回路のようなものを魔力が循環せず行き場を失い、最悪身体が爆発四散する可能性すらあったのだという。
かといって処置が遅ければメルツェデスの魔力が尽き、落命もありえたという状況。
そんな状況で、しかも人類が初めて行う『精霊結晶』の埋め込みなどというという処置を一発で完璧に決めてみせたのだから、賞賛するしかないところだろう。
「調整って言っても、『ここだ!』っていう直感だけで場所を決めたんでしょ?」
「指先の感覚で伝わってくるものがあったからね。これ以上でもこれ以下でもいけないって」
「はぁ……ほんと、ミーナはやっぱりミーナだわ」
呆れて、エレーナはため息を吐いてしまう。
ヘルミーナが、こういうことで嘘を吐くことはほとんどない。
つまり、本当にそうだったのだろう。
それは、天才的な感覚に拠るもの、としかエレーナには思えなかった。
「でも本当に、身体の違和感がほとんどないわ。残っているのも、多分数日身体を動かしていなかったせいだと思うし」
「そう。メルがそういうならそうなんだろうね。流石私、いい仕事をした」
二人の会話を聞いていたのだろうメルツェデスが話に入ってくれば、ヘルミーナは更にふんぞり返る。
今にもひっくり返りそうだが、彼女の腹筋と背筋は、なんとかまだ耐えていた。
が。
「うおぉぉぉぉぉ!!」
「わっ」
「わわっ!?」
突如咆哮を上げたギュンターに驚き、ヘルミーナは態勢を崩した。
そんな彼女を、エレーナの隣に控えていたクララが慌ててキャッチ。
あの『魔王』決戦以来、すっかりヘルミーナの介助が板についてしまっているクララである。
ともあれ、ほっと一息ついたところで、元凶である大声を上げたギュンターを見れば。
泣いていた。
それはもう、滂沱と涙を大量に流しながら。
「この剣勢、この鋭さ! まさにこれこそ、プレヴァルゴ様の剣! あれとは、比べものにもなりません!!」
「ちょ、ちょっとまて、落ち着けギュンター!?」
感涙をダバダバと流しながら叫ぶギュンターを押しとどめるジークフリート。
メルツェデスが『終焉の魔女』に乗っ取られていたのは、秘密にされているのだが、ギュンターの台詞は割とギリギリライン。
いや、事情を知らない人からすれば、敵方の剣士か何かと比べてのことだろうとみるのだろうが。
それが伝わったのかどうか、ギュンターは言い方を変えた。
「プレヴァルゴ様、復活! プレヴァルゴ様、復活!! プレヴァルゴ様、復活!!!」
「落ち着け、本当に落ち着けギュンター!!」
必死に縋り付くジークフリートの制止もなんのその、ギュンターは何度も『プレヴァルゴ様、復活!』と連呼するのをやめない。
その光景を、メルツェデス達はそれぞれな表情で笑いながら見ていた。
こうして、平穏な学院生活が戻ってきた、のだが。
「一人だけ不景気な顔して、どうしたのよ?」
「うっ……誰にも気づかれてないと思ってたのに……」
エレーナに呼び出されたサロンで、フランツィスカがばつの悪そうな顔をしながら肩を落とす。
フランツィスカ自身も、彼女一人が今の学院生活を楽しめていないことはわかっている。
公爵令嬢の仮面をつけて誤魔化していたのだが、同じく公爵令嬢で親友でもあるエレーナにはお見通しだったらしい。
しばらく、カップを手の中で弄んでいたフランツィスカは、観念したかのように息を吐き出した。
「……メルにね、避けられてる気がするのよ」
「あらまぁ。そんなことはないと思うけど?」
「エレン達といる時はそうでもないのだけれど……二人きりになりそうな時とか、こう、さりげなく離れられるというか……」
そこまで聞いて、エレーナの脳裏に閃くものがあった。
「もしかして、キスしたことバレてるんじゃないの?」
「言わないで! もしかしたらそうかもって思ってたんだから!」
ズバリ指摘され、フランツィスカは顔を真っ赤にしながら伏せた。
『終焉の魔女』をメルツェデスの身体から引きはがすために取った、フランツィスカの大胆な行為。
緊急時に魔力を口移しで供給する、という行為自体はなくもないため、あの場においては適切な行動でもあった。
「そもそもあれはキスじゃなくて、こう、治療行為というかそういう類のもので!」
「それは否定しないけども。……狙ったところもあったでしょ?」
「うぐっ」
ジト目のエレーナに見据えられて、フランツィスカは言葉に詰まる。
少なくとも、下心が全くなかったかと言われれば、沈黙せざるを得ない。
そんな乙女心を、エレーナとて理解できなくもないのだが。
「ミーナの話だと、あの時のメルは身体の支配権を奪われていたって話だから、見えてなかったんじゃないの?」
「それは、多分そうなんだけど……こう、色々周囲の反応とかで気づいちゃった可能性もあるんじゃないかなって」
「ちなみに、それはいつからなの?」
問われて、フランツィスカは言いよどみ。
ぽそぽそと小さな声で答えた。
「……帰ってきたその日から……」
「あ~……」
その答えに、エレーナは視線を宙に彷徨わせながらあの日の光景を思い出す。
帰ってきたメルツェデス達は全員が疲労困憊、浮かれた話など出来る余裕などなかったはず。
であれば、いかなメルツェデスであろうともその道中で周囲の雰囲気から察することは難しいように思われて。
「やっぱり見られてたんじゃないの?」
「やっぱりそうなのかしら!?」
ついにフランツィスカは泣きながらテーブルに突っ伏した。
下心があるにはあったけれども、あの時あの行動は必要なものだった。そのことは間違いない。
だが、やった行動自体は唇を奪うことだったこともまた間違いない。
たとえ同性同士であろうとも、傷つく人もいるだろうこともまた間違いないのだ。
しばらく考えていたエレーナは、そっとフランツィスカの肩に手を添えた。
「それははっきりしないけど。でも、一つだけ確かなことがあるわ」
「……それは、何?」
藁にも縋るような目で見てくるフランツィスカへと向けるエレーナの微笑みは、優しい。
「直接メルに聞いて確かめないと何もわからないってことよ」
「うわぁぁん!?」
そして、告げる言葉に慈悲はなかった。
思わず泣き声のボリュームを上げてしまうフランツィスカへと、エレーナは首を横に振ってみせる。
「こればっかりは、私にもどうしようもないわ。……少なくとも私は、メルから相談を受けていないし」
「エレンが受けてないなら、他の人も聞いてるわけないわよね……」
フランツィスカは、もう何度目かわからないため息を吐く。
言うまでもなく、ヘルミーナにこの手の相談をするわけがない。本人は怒るかも知れないが、客観的に考えればそうなるだろう。
戦友とでもいうべき仲となったクララも、まだこういった話は出来ないだろう。
後は、あるとすれば専属メイドであるハンナだろうが、彼女が相談を受けていた場合、メルツェデスに絶対の忠誠を誓う彼女が、その情報を漏らすわけなど絶対にない。
となると、最早白黒つけるにはメルツェデスに聞くしかないのだ。
「そもそも、こんな相談受けてる時点で私も大分複雑なんだけどね?」
「そっ、それは大変申し訳なく……」
「別に、謝られる筋のものでもないのだけど」
小さくなるフランツィスカへと、エレーナは困ったような顔を向ける。
フランツィスカと同じく、メルツェデスに恋したエレーナ。
だが今は、クララから熱烈アプローチを受けて揺れ動いてしまっている複雑な状況でもある。
もっとも、そうなってしまったのは主にエレーナがクララにとって頼れる憧れの先導者過ぎたことが原因なので、フランツィスカには何も悪いところはないのだが。
まあ、そんな状況にあるエレーナへとメルツェデスに関する悩みをぶつけたことは、申し訳なくもなるのだろう。
だから、エレーナは笑っても見せる。
「まあでも、あなたとメルの関係がモダモダしてたら、私の悩みも増すばかりだから。私のためにも、さっさとはっきりさせてきて欲しいわ?」
「うぐっ……わ、わかったわ……覚悟を、決める……」
背中を押されたことは、流石に理解出来た。
だからフランツィスカは、神妙な顔で頷いた。




