切り捨てたものは。
そしてその戦いは、恐らく長引くまい。
メルツェデスは、そう感じ取っていた。
「どうしたのかしら、あなたの剣はそんなものなの?」
常人の目では捉えきれない速さで振られるレオの刃を剣で弾き、あるいは受け流しながらメルツェデスが挑発とも取れる言葉を発する。
煽られたかレオの攻めが苛烈になるも、その刃は届かない。
力を籠めれば込めるほど。勢いを増せば増すほど。
メルツェデスの刃はそれらを捉え、彼女の身体に届かせぬよう捌いていく。
当初は、もっと苦戦するだろうと考えていた。
あの村で一瞬だけ見たレオから感じた、歴戦の風格。
恐らくデニスが暗躍を始めた頃から、十年だとかそれだけの年月をかけて力を積み上げてきたのだろう、と。
メルツェデスが知る由もないが、その推測は当たっていた。
レオはデニスの指示に従い、魔物の召喚に必要な素材や『魔王』復活の儀式に必要な材料を集めて回っていた。
ヘルミーナが囚われた時につけさせられた『封魔の首飾り』や、『魔獣討伐訓練』の際にワーウルフ達が付けていた『絶魔の首飾り』を集めてきたのも、レオである。
当然、それだけ延々と探索し魔物を倒し続けられたレオの実戦経験は豊富で、単純な技量以上に駆け引きや立ち回りのノウハウが貯まりに貯まっていた。
ガイウスという強者に鍛えられてきたメルツェデスと、果たしてどちらのノウハウが上か。
少なくともそれが議論になる程度に、レオのそれは磨き上げられたものだった。
……過去形だ。
『グルァァァァァ!!』
獣のごとき叫びを上げながら、レオだった何かが剣を振るう。
『魔王』の力で強化されたその身体能力は、ただでさえゲーム中最強の前衛だったレオの身体能力を爆発的に引き上げた。
その切っ先は音速をとうに越え、メルツェデスの目ですら捉えきれないほど。
だというのに、それは届かない。
メルツェデスの刃が、弾く。逸らす。
レオの刃がそこに来ると、わかっているから。
ひたすら、意図も駆け引きもなく力任せに刃が振られるから。
そんな剣では、メルツェデスにかすらせることすら出来ない。
幼少の頃から鍛えられ磨き続けてきた、見るとなしに相手の全体を見る『遠山の目付』。
元々鋭かったものをガイウスや強敵との闘いで研ぎ澄まされた、相手の気配を読み取る感覚。
そしてそれらを大幅に強化する『水鏡の境地』。
これらが合わさった今、メルツェデスはレオの動きを未来予測に近いレベルで把握していた。
それは、剣の動きからではない。
足の踏み込み、を生み出す脚の動き。さらにはその起点となる体幹の揺らぎ。
切っ先の軌道、を決める手の、腕の動き。それを生み出す、肩や体幹の動き。
どこを狙っているのか、視線の向けられる先。
いつくるのか、身体に力を入れる時の呼吸。
何なら、興奮状態や緊張状態がにじみ出る心臓の音すら。
メルツェデスの感覚はそれらを捉え、統合してレオの動きを予測し、対応していた。
とはいえ、普通の人間であれば対応できない速度。
くるとわかっていても、剣を合わせるのが間に合わなければ意味がない。
そして今のレオの動きは、クリストファーですら全て間に合わせられるとは言えないほど。
逸らし続けられるのは。捌き続けられるのは、恐らくこの世界でもただ一人。
「ぬるい、ぬるいわ! そんなぬるい動きで、わたくしをどうにか出来るつもりかしら!」
立て続けに金属の音が響く。
弾く時は激しく甲高く。
逸らす時は、シャリン、と歌声のごとく涼やかに。
音楽的とも幻想的とも言えるその光景の中心にいるのは、メルツェデス。
暴虐な悪役令嬢の身体能力にたゆまぬ鍛錬と揺るがぬ精神を載せた、埒外の存在。
彼女の剣だからこそ、読み取った未来に間に合わせられる。
ゲームキャラの枠外に飛び出させられたレオの剣すら、捉えきれている。
そして。
彼女の力は、まだ底が知れていない。
「もう攻め疲れたのかしら? ならば、こちらからいくわよ!」
『グルァ!? ガ、ガァ!』
ついに、メルツェデスが攻めに転じた。
冴えわたる感覚は、レオの剣を見切って攻めの道筋を見せてくる。
身体の奥底から力が湧いてきて、レオの剣を弾いた後に踏み込み、反撃する余力すら出てきた。
そして何より。
わずかばかりではあるが。退屈を、感じ始めていた。
もちろんレオの剣はいまだ勢いを失っておらず、気を抜けば一瞬で切り伏せられるだけの威力を持っている。
だが、気を抜きさえしなければ、もはや当たる気がしない。
『魔王』によって強化された、ゲーム中最強の男。
それすら、メルツェデスは飲み込んでしまったかのよう。
そして、そんなメルツェデスの反撃を、レオは十分に防ぐことが出来ないでいる。
『ナゼッ、コンナッ! 止マラナイ、ドウイウ、コトダッ!?』
「簡単なこと、あなたが人でなくなったからよ!」
身体能力や当て勘などの才能で攻撃はある程度誤魔化しが効くが、防御はそれらよりも研鑽の積み上げが物をいう。
相手の動きに即座に反応するようでは二流。フェイントかどうか、連携攻撃ではないかなど、様々な判断を一瞬で下せるようになって一流。
その判断力は、地道な訓練によって身に着けることが出来るもの。
そして、強化される前のレオにも備わっていたもの。
だがそれは、失われた。『魔王』デニスによる強化支援の副作用によって。
レオに探索を任せきりでろくに実戦経験のなかったデニスには、そんな機微などわからなかった。
ステータスを上げれば無双できる、程度の認識しかなかったのだ。
その結果、レオはメルツェデスの攻撃を防ぎきることが出来ず、次々と手傷を負っていく羽目になる。
『チクショウッ、チクショウッ!!』
悪態をつきながら、レオが大きく後ろに跳び、距離を取った。
仕切りなおすその行動にすら、彼はいら立ちを募らせていく。
このままではメルツェデスの勢いに飲み込まれ、押し切られる。そう判断しての行動ではあったし、正解でもあった。
だが、そのどれもが、彼を苛立たせる。
自我というものが薄く、デニスの言う通りに動くレオは、感情的になりにくいという意味で冷静な男だった。
だが裏を返せば、感情を制御する経験が少なかったということでもあった。
そして今、全てを圧倒出来る身体能力を手に入れたが故の万能感と、闇の魔力に飲まれかけているから生じている攻撃衝動に突き動かされている彼は、その感情を制御することが出来ないでいる。
そこにこの、自分から下がる羽目になったという屈辱的な行動を取らされ、激情は爆発しそうなまでに高まっていた。
いや。
『コロス! コロスコロスコロス!! コロシテヤルゥゥゥ!!!』
距離を取り、メルツェデスの攻撃から逃れることが出来て。
一息つくことが出来て。
わずかな余裕が火種となって、ついに爆発した。
レオの身体の奥底から湧き上がってくる激情。
身体を突き動かす衝動。
何よりも、溢れ出さんばかりに漲る力。
その全てが、平静な顔で構えているメルツェデスへと向けられる。
そして、その殺意は、彼女の表情を崩すことはできなかった。
「無理ね。あなたにわたくしは倒せない。積み重ねてきたものを、捨ててしまったのだから」
メルツェデスが、構えを変える。
左足を前に出し、両手で持った剣を眼前に立てる『水鏡崩し』の構え。
相手の動きを神がかり的なまでに読み取る鋭さの極まった感覚。
積み上げた研鑽が可能にした驚異的な身体操作能力。
そして、彼女の意思に従い爆発的な瞬発力を生み出す『水鏡の境地』の動作補助機能。
それらが組み合わさって初めて使いこなすことが出来る、必殺のカウンター技。
「来なさい、これで終わりにしてあげるわ!」
『ウルセェ! ブッコロス!!』
叫び返したレオが、メルツェデス目掛けて突進……するように見せた。
だが、急加速しようとした身体を、無理矢理その筋力で抑え込み、急停止。
メルツェデスの横へと回り込むように大きく跳んで。
着地の反動を瞬発力へと変換、今までで最速の動きでメルツェデスへと向かって飛び込んだ。
そのレオの目に映ったのは。
紫と呼ぶ方がふさわしい程に深みを増した青の光を纏うメルツェデスの姿。
まるでスローモーションが流れるかのように、彼女がレオへと向き直る様が見える。
そして、左足前からスイッチして右足前の構えとなりつつ、鋭く踏み出してくる動き。
その勢いを乗せて飛んでくる、銀色の光。
それらが全て見えているのに、レオの身体は動かない。反応出来ない。
彼が知らない例えで言えば、交通事故にあった人間が見る事故の瞬間のような。
つまり、死の危機に瀕した人間が見る、全てがスローに見えるという現象で。
逃れることの出来ない刃は、過たずレオの額を捉え、割り。
致命の一撃を、その脳へと送り込んだ。
『ソンナ、ナゼ……オレ、ハ……旦那……オレハ、最強ジャ……ナカッタノ、カ……?」
初めて浮かんだ、デニスへの懐疑。
だがそれに答えを返したのは、デニスではなかった。
「きっと最強だったわ、あなたがあなたのままだったならば。それを放り出したのは、あなた達よ」
『オレ、達……? ソンナ、バカ、ナ……』
疑念と絶望の入り混じった声が漏れ出す。
それが、レオの残した最後の言葉だった。
「……終わった、わね……」
レオがこと切れたのを見届けたメルツェデスは、大きく息を吐き出した。
ゲームの、そしてこの世界の理の外に飛び出してしまったイレギュラーな存在。
それが互いに食い合い、こうして決着に至った。
どこかやりきれないところは残りつつも。それも、言い出したらきりがないことなのだろう。
「後は、物語があるべき形で閉じられるだけ、かしら」
そう呟きながら、メルツェデスはゆっくりと視線を、クララ達の方へと向けた。




