それは、歪みを断ち切る者。
「クリス!」
「わかってる!」
刃と刃が噛み合い、拮抗した瞬間。
メルツェデスの声に応じて、クリストファーが飛び込んだ。
いや、ぶちかました。
飛び蹴りを。
明らかに異常なレベルの斬り合いが、一瞬だけ膠着した。
そんな瞬間を捉えられる技量と飛び込める度胸を持つ者など、そうはいない。
いや、いるはずがないと言っていいレベルである。
あれだけ高速で切り結びながら、レオもそう考えていた。
だが、居た。
故にレオは不意を打たれて回避することすら出来ず、『水鏡の境地』に至って威力の上がったクリストファーの飛び蹴りをまともに食らい、ジークフリート達から引き離されるかのように吹き飛ばされた。
もちろんそれで手を緩める姉弟ではなく、二人はすぐにレオへと向かって詰めていく。
「流石にヒヤっとしたわね」
「多分、僕一人だったら難しかったと思うよ!」
そんな会話を交わしながら。
『魔王』と化したデニスとジークフリート達が舌戦を繰り広げていたあの時。
……主にヘルミーナが一方的に言葉の暴力を振るっていたような気もするが、それはそれとして。
メルツェデスとクリストファー、プレヴァルゴの姉弟は沈黙していた。
精神を集中するために。
即座に『水鏡の境地』を発動できるように。
デニスが『魔王』の力を使ってレオにバフをかけた場合、その初動に反応出来るのは、恐らく『水鏡の境地』を発動したプレヴァルゴの者のみ。
メルツェデスはそう読み、そしてそれは正しかった。
戦闘態勢に移行していたギュンターも、メルツェデスをずっと目で追っていて、動体視力を鍛えられていたフランツィスカも反応できなかった。
しかし、メルツェデスとクリストファーの二人は正確に反応してジークフリートへと迫った凶刃を撥ね退けた。
そして今、二人がかりでレオを完璧に抑え込んでいる。
『おかしいだろおかしいだろおかしいだろ!!! なんで悪役令嬢がそれを使える!! なんだったか、あれだ、『水鏡の境地』だとかいうこっ恥ずかしい名前の!』
「随分な言われようねぇ」
デニスが喚き散らすも、メルツェデスの心は揺らがない。
そう思う人間もいるかも知れないが、彼女はこの境地の名前を気に入っている。
何よりも、本質を捉えていると思っているから。
レオが剣を振りかぶる。
常人の目では振りかぶる動作すら見えたか怪しい程の速さで。
だがメルツェデスの心はそれを捉えて、その次まで描き出している。
振られる刃の軌道はこう。
ならばこう逸らして、こう返す。
あちらの返す刃は間に合うだろうから、打ち合って、次は。
脳内に、いや更にその奥、魂だとか心だとかの領域に映るイメージに沿って身体が動き、見通した未来が現実になる。
後の先でありながら、先の先。
カウンターのようでありながら、相手に予定通りの行動を起こさせて、そこに己の動きを当て込んでいく。
レオが行動を起こした時点で、メルツェデスとクリストファーの術中にはまってしまっているのだ。
『それは、攻略対象が使える技で! イベントを起こさないといけないやつで! お前が、起こせるわけがないだろぉ!?』
「イベントだとかなんだとか、わけのわからないことを。試練を乗り越えたプレヴァルゴの人間なら、誰でも会得出来るものよ?」
「色んな意味で『誰でも』じゃないと思うんだけどなぁ!」
『魔王』デニスの叫びすら、姉弟漫才の呼び水でしかない。
実際、メルツェデスも本当に『誰でも』と思っているわけでもない。
あの試練を乗り越えた彼女が、あれを誰でも乗り越えられるものだと思っているはずがない。
そもそも、『彼女』が誰にでもいるわけがない。
むしろ、居ては困るくらいだ。
「まあでも、わたくしもクリスも使えるわけで。いい加減現実を見てはどうかしら?」
『うるせぇうるせぇうるせぇ! 何が現実だ、ここはゲームだ、架空の世界だ! 所詮都合のいいごっこ遊びなんだよぉぉぉぉ!』
「あなたがそう思うのなら、そうなんでしょう。あなたの中では、ねっ!」
『グルァ!?』
ひと際強い語調で言ったと同時に、メルツェデスの前蹴りがレオの腹部を捉え、更に突き飛ばす。
洞窟の端の方へと。
『なんでだよ! おかしいだろ!? レオはお前らを小馬鹿にするために俺が作った、最強の戦士なんだぞ!? その上、『魔王』のバフが乗ってるっていうのに!?』
「まさか、大の大人がそんな情けないことを言うとは思わなかったわね……」
悲鳴のような声に呆れながら、メルツェデスは納得もしていた。
ゲームにおける、レオの歪な在り方。
それは、作り手の歪な感情を込められていたが故のものだった。
だからおかしな場所に配置され、おかしな成長の仕方をして、おかしな強さを持つようになった。
そして今、存在すらおかしなものにされてしまっている。
『レオ、お前もお前だ! そんな悪役令嬢くらい、なんとかしろぉ!!』
『グァ……ワカッタ、旦那……』
言われるがままに、レオは剣を構え、プレヴァルゴ姉弟へと向き直る。
そこに、彼の意思や自我は感じられない。
あるいは、元々なかったのかも知れない。
もしくは、デニスと出会ったその時に奪われたのかも知れない。
一つ確かなのは、レオがデニスの言うことを全て聞く存在であり。
「速いだけの攻めなど、わたくしには通じなくてよ!」
今や、意識も思考も、『闇』に飲まれ始めていて。
振るわれるのは、身体が覚えている動きだけ。
動きだけは速く、強く。
しかしそこに意図は、技術は、徐々に失われ。
最早メルツェデス一人でその苛烈な攻めを全て捌ききれるほどになってしまっていた。
「……クリス、ここはわたくしに任せなさい。あなたは殿下達の方へ」
「姉さん、でも」
唐突に言われた指示に、クリストファーは言い返しかけて。
しかし、それ以上何も言えない。
姉より未熟な彼でもわかる。
最早ここは、姉一人で十分だ、と。
そして、もう一つ。
姉は、闇に飲まれかけているレオと決着をつけることを望んでいる。
何故かはわからないが、敢えてこんな指示を出すほど切実に。
「……わかった。僕が言うまでもないと思うけど、油断しないで」
「ありがとう、クリス。肝に銘じておくわ」
最後の置き土産、とばかりにクリストファーが強烈な一撃を浴びせ、レオがそれを剣で受ける。
動きが止まった一瞬にも満たない刹那を捉え、メルツェデスがもう一度レオを蹴り飛ばした。
それを見たクリストファーが離脱してジークフリート達の元へと走り。
その場には、二人だけが残された。
「さ、これで終わりにしましょう、レオ。歪な思いから生まれ、さらに歪められた、哀れなイレギュラー」
口にしながら、メルツェデスは思う。
何かを間違えていれば、自分もそうなっていたのではないか、と。
今、レオと対峙していてわかる。
やはり自分も、何かが歪んだ存在なのだ、と。
原作からの乖離。
この世界の法則からも逸脱しかけた何か。
自分が手にしているこの力は明らかに異常だと、はっきりわかってしまう。
だからメルツェデスは。
剣を、構えた。
「それは、わたくしとて同じこと。故に与えられた、この『天下御免』の向こう傷!
しかと目に焼き付けなさい、あなたに終わりを与える者を!!」
イレギュラーはイレギュラーと。
あるべき『物語』とは違う場所で。
終わらせるための戦いが、今、始まった。




