切り札とカウンター。
「……なるほど、これは……」
身体の奥から噴き出した闇の魔力に包まれるデニスを見ながら、ジークフリートが呟きを漏らす。
言葉通り、納得した声音で。
今、目の前で『魔王』が復活しようとしている。
だというのに、ジークフリートの心に焦りや動揺は微塵もない。
それはひとえに、ヘルミーナが放った挑発が的を射ていたからだった。
「ええ、確かに強大な力を持ってはいるのですが……想定の範囲を越えないものでしかありません」
はっきりと言い切ったのは、リヒター。
桁外れの魔力を持つヘルミーナと幾度も対峙し修羅場を生き延びてきた男だ、面構えが違う。
そして、彼が言えば説得力がいや増す。
本当に想定の範囲を越えないものでしかないのだ、と。
「私なぞからすれば、計り知れぬほどの魔力にしか思えませんが、エデリブラ様がおっしゃるのならばそうなのでしょうな!」
魔力が少ない故に測りきれる魔力の量にも限界があるギュンターが言うも、その顔にも声にも、悲壮感はまるでない。
ヘルミーナをよく知るリヒターが言うのならば、そうなのだろう。
そう思えるくらいに、彼にも余裕があった。
なぜならば。
「これが一対一なら、楽しめたのだけど」
この中で最も魔力の多いヘルミーナが、この調子だからである。
そんな彼女の頭を軽く小突いて、フランツィスカが窘めた。
「流石にそれはやめときなさい。いくらミーナでも、属性相性というものがあるわ」
窘めた、はずだ。多分。恐らく。
それに対してヘルミーナは一瞬だけ考えて。
それからすぐに視線を、クララへと向けた。
「つまり、クララならば」
「勘弁していただけませんか!?」
何か言われるのだろうと予測していたクララは、即座に反応した。
ある意味で、ヘルミーナへの対応に慣れてきている、と言ってもいいのかも知れない。
それがクララにとって幸せなことかはわからないが。
「残念、『聖騎士』と『魔王』の一騎討ちなんて伝説的なものをこの目で見る、千載一遇の好機だったのに」
「私も興味がないわけではないが、流石にそれは勘弁して欲しいな、リスクが高すぎる」
『魔王』へと変貌を遂げていくデニスから目をそらすことなく、ジークフリートが苦笑を浮かべた。
彼とて元男の子、英雄譚に興味がないわけがない。
だが、今ここでそれを優先するわけもない。
まして対峙するのが自分ではなく、クララであるならばなおさらだ。
何よりも、この戦いは万が一にも負けられぬもの、最善を尽くし全力を投入すべきものなのだから。
「……相手が普通の存在ならば、今のうちに畳みかけてしまうところですが。ミーナ、どうだ?」
「うん……今仕掛けても無駄、というか二度手間になる」
リヒターに問われて述べられたヘルミーナの見解に、ジークフリート達が視線を向けてくる。
それを平然とした顔で受けながら、ヘルミーナは言葉を続けた。
「膨大な魔力がデニスの内側からあふれ出てきているけれど、その核となる部分がない。
正確に言えば、構成中。もし今攻撃してもデニスの身体が爆散するだけで、『魔王』の核は霧散してどこかに雲隠れするはず」
「つまり、我々の目的を達成するためには大人しく『魔王』が降臨するのを待たなければいけない、というわけか」
「はい、その通りです、殿下」
確認されて、ヘルミーナは淡々と答えて。
「なんて面白い術式」
目を輝かせた。それはもう、らんらんと。
久しぶりのマジキチ、魔術熱狂者なスマイルを見せながら。
それを見たクララが「ひっ!?」と短い悲鳴を上げて一歩後ずさるほどなのだから、相当なものである。
この中で最も魔術に通じているヘルミーナだからこそわかる、この術式の執念を通り越して怨念にまで至ったかのような複雑さと周到さ。
その観測と分析で頭がフル回転しているせいで、リヒターに食ってかかることすらしない。その時間すら惜しい。
「おまけに、魔力傾斜の影響で、周囲から魔力が集まって注ぎ込まれている。
こうして我々が手をこまねいている間にも『魔王』はどんどん力を増していく」
今まで彼が仕掛けてきた策によって撒き散らされてきた闇の魔力や魔物達の残滓。
それらが魔王の贄として、今ここに注ぎ込まれていく。
「……はずだった」
そこまで言ったところで、ヘルミーナがため息を吐いた。
「デニスの見積もりがどうだったかはわからないけれど、恐らく予想を遥かに下回る魔力しか注がれていないはず。
奴の策略が空振りしたのもそうだし、王都の被害が大したことになっていないのも影響していると思われ。
結果、『魔王』を構成するギリギリの魔力しか集まってないと推測」
『チクショォォォォォォ!!!!』
ヘルミーナの解説が終わったところで、『魔王』の方から叫び声が上がった。
その声色からして、デニスの意識はかなり残っているようだ。
「……どうやら当たり、みたいね」
「流石私。魔術でわからないことはあんまりない。いや実に有意義な観察になった」
呆れの混じった声でフランツィスカが言えば、ヘルミーナは実に満足げな顔。
彼女からすれば、『魔王』降臨の瞬間をつぶさに観察出来たなど、これ以上ない経験と言ってもいい。
おまけに分析が当たっていたらしいとなれば、なおさらだ。
「しかし、声が聞こえてきたということは」
「『魔王』の核が構成されきったということでしょうか!」
そんなヘルミーナをよそにリヒターが呟けば、それに続いてギュンターが前に出る。
闇の魔力による靄のようなものが晴れて、姿を現したのは人型の異形。
先ほどまでの中年体形から一変、ギュンターよりも高い身長に十分な筋肉をまとったやや細身の体形は青黒い肌で覆われ、その顔に輝くのは真紅の目。
髪は闇色に染まり、長く伸びて背中にまで達している。
頭には二本の角、手は大きく肥大し、その指先からは伸びる爪はナイフのような鋭さを持っていた。
「なるほど、まさに『魔王』といった風体だな」
「ええ、やはり油断は出来ない相手です」
ジークフリートも、それに答えるリヒターも、声音と表情が真剣なものに変わる。
想定の下限ではあろう。
しかし、やはり『魔王』は『魔王』であった。
その存在感と魔力の圧は、確かに今まで感じたことがないもの。
油断をしていい相手ではない。それもまた間違いないのだ。
『ハッ、ハハッ! やっとわかったか、俺は、俺こそが、『魔王』だ! ざまぁ見ろ、乗っ取りは成功だ!!』
「……自慢げに言うことかしら」
得意げな元デニスである『魔王』へと向けるフランツィスカの視線は冷めていた。
努力と根性で今の力を身に着けた彼女からすれば、乗っ取ったことを誇るデニスの態度は恥ずかしいの一言。
もっとも、正論をぶつけたところで聞く耳を持たないであろうことは想像するに易く、言うだけ無駄というものだろう。
だからフランツィスカは、言葉ではなく行動で示す。
その腰に提げたレイピアを抜くという行動で。
『クハハハハ! イイゼイイゼ、やる気じゃねぇか!! さあ、始めようじゃねぇか!!』
そう言ってデニスは、その手から闇の魔力を迸らせた。
……今まで何も言わずに控えていたレオに向かって。
「なんだと!?」
ジークフリートの目には、唯一残った手下への攻撃にしか見えなかった。
いや、ほとんどの者はそう思ったことだろう。
だが。
「バフ!」
ヘルミーナが、一言でそれを言い当てた。
バフ、つまり味方に対する強化を行う支援魔術。
『魔王』たるデニスは、初手で味方のレオを強化したのだ。
『強化されたお前に敵はいねぇぇぇぇ!!! やれぇ、レオォォォ!!』
『グルァ……ワカッタ、旦那……』
強烈な闇の魔力を浴びて、レオの身体もまた変質する。
人の形のままではあるけれど、その肌が青黒く染まり。
それをジークフリート達が認識した瞬間。
レオの姿が、消えた。
「なっ!?」
驚きの声は、誰のものだっただろうか。
フランツィスカも、クララも、ジークフリートも、ギュンターすら反応出来ない何か。
ゲーム内最強の前衛を、『魔王』の力によって強化する。
これがデニスの、『魔王』を乗っ取った本当の目的だった。
ただでさえゲーム内でもおかしな強さに設定されているというのに、それをさらに無理矢理強化したとなれば、最早完全にゲームの設定から逸脱した存在になってしまう。
これがデニスの本当の切り札だった。
それも、言葉を一言も発さず、気配まで消して、不意を打つ形で。
そしてそれは、見事にはまった。
と、デニスの目には見えた。
「「故に、我は鏡なり」」
男女二人の声が静かに零れ。
ついで、鋭い金属音が響いた。
『……は??』
唖然とするデニス。
その視線の先では、後わずかでジークフリートに届くところだったレオの刃が、青い光を纏ったメルツェデスとクリストファー、プレヴァルゴの姉弟によって止められていた。
何が起こったのかデニスが理解するまで、数秒。
その間にレオの刃は打ち払われ、数歩引いたレオがすぐさま地面を蹴って最大の難敵とみたメルツェデスへと迫る。
交錯する刃、立て続けに起こる耳障りな金属音。
幾度も幾度も切り結び、その動きはどんどん収束されていって……ギャォン! と一際強烈な音を響かせながら互いの刃が拮抗した力で噛み合い、宙で止まる。
その光景が意味するところは明白で。
『おかしいだろぉぉぉぉ!?』
デニスが悲痛な声を上げてしまったのは、無理もないところだっただろう。




