王都防衛戦。
こうして、半日どころか数時間で準備を終えたメルツェデス達は、王都を出立した。
指揮官にして総責任者はジークフリート。
その指揮下に入ったのは『聖女』、いや『聖騎士』クララと、『精霊結晶』を持つフランツィスカ、ヘルミーナ、リヒター、クリストファー、ギュンター。
そして、特例として彼ら相手に一歩も引かない戦闘能力を発揮して見せたメルツェデス。
戦術上のユニットとしては小規模で、勇者パーティとしては大所帯な合計八人。
全員が全員鍛え上げられた人員であり、準備は迅速に行われ、全員怯んだ様子もなく王都を出立した。
国を挙げての壮行会などする暇もなく、そもそも関係者の誰一人として考えることなく、故に見送ることが出来た者もほとんどいない。
何故ならば。
その関係者のほとんどが、翌日に来るであろう魔物の襲撃に備える立場にあったからだった。
「まったく、つくづく周到で嫌な相手だよ」
ぼやくように、国王であるクラレンスは呟く。
西からチェリシア王国が攻め入り、恐らく内通していたのだろうジェミナス伯爵領を一日足らずで陥落させ、占拠。
そこを足掛かりに更なる展開を狙うチェリシアの迎撃を命じたため、最高戦力とも言えるガイウスが不在の今、王都の防衛力は十分とは言えない。
そこに文字通り降って湧いた魔物の大軍がくるとなれば、頭が痛いどころではないのだが。
ただ、その顔に焦りはない。
この展開自体は、想定の中にあったのだ。
ただ、その規模が予想を越えていたところはあるが。
「数の不利だけならば、なんとか出来るな?」
「御意。この程度で怯んでいては、プレヴァルゴ殿に顔向け出来ません」
質問ではなく確認の口調で言えば、近衛騎士団長が恭しく頭を下げながら応じた。
急遽防衛責任者となった近衛騎士団長だが、彼とて幾度もガイウスと模擬戦でやりあった男。
この程度で動じる胆力はしていない。
「二日耐えればいいだけです。こんな簡単な戦はありません」
そんな軽口まで飛ばす団長に、クラレンスも口の端が緩む。
「その意気だ。騎士団の再編成は進んでいるか?」
「夜には終わります。魔物の襲来には十分間に合うかと」
目を細めながらクラレンスが城の前にある広場を見下ろせば、クララの義父であるジタサリャス男爵が兵士達をまとめ上げているところだった。
普段は王都の衛兵として活動している彼らだが、この状況であれば防衛戦力に組み込まれるのは仕方のないこと。
むしろ当然、いや、『俺達がやらねば誰がやる!』とばかりに士気が高い。
また、夏の剣術大会で名声が上がったからか、ジタサリャス男爵の指示には特に反応がいいようだ。
結果、彼の率いる部隊は精鋭の風格すら帯びていた。
「……頼もしいことだよ、本当に」
ガイウスがいない。いや、プレヴァルゴが一人もいない。
おまけに『精霊結晶』持ちも『聖女』もいない。
だというのに、少しも負ける気がしない。
「当然、お前も負けないよな? ガイウス」
からかうような口調で、クラレンスは西、ガイウスが派遣された方角へと言葉を向けた。
ちょうどその頃。
「こんなに簡単な戦もなかったなぁ」
奇しくも近衛騎士団長と同じようなことを、ガイウスは零していた。
彼の足元に転がるのは、チェリシア王国とジェミナス伯爵の混成軍だった亡骸の数々。
死屍累々、という言葉そのままな光景の中、彼とその部下達は、『一汗かいた』程度の様子でそこに立っていた。
「な、何故だ……何故、引かなかった……何故、『釣り野伏せり」を使わなかった……?」
縄を打たれ両膝を吐いた屈辱的な姿で、呆然とした顔のジェミナス伯爵がガイウスへと問いかける。
そんな彼へと向けるガイウスの顔は、随分と退屈そうだった。
「何故って、引く必要がなかったからだろ。あんな中途半端で見え見えの罠にかかる馬鹿はいねぇよ」
呆れすら滲むガイウスの言葉に、ジェミナス伯爵は開いた口が塞がらない。
ジェミナス伯爵は、今回の戦においてガイウスがかつての三十年戦争で披露した戦法である『釣り野伏せり』を破るための布陣で臨んでいた。
最初に中央の歩兵軍団でぶつかり、ガイウスが引いたところを騎馬隊を中心にした部隊で追撃するという手筈だったのだが……それがいけなかった。
殴り勝つつもりがなく受け止めるだけのつもりだった歩兵達は、そのせいで圧力も士気も不足。
そこを……ガイウスを切り込み隊長に据えたエデュラウム王国軍の騎馬突撃が直撃、前線となる歩兵達はあっという間に蹴散らされてしまった。
追撃のために騎馬隊を左右に分けて縦隊を汲ませていた混成軍は慌てて一つの横隊へと編成を変更、陣形を変えて正面切っての殴り合いに備えようとしたのだが、それが悪手だとは夢にも思わなかったことだろう。
あるいは、激突前に陣形を変えられなくもない程度には練度が高かったのが災いしたのかも知れない。
彼らが何とかガイウス率いるエデュラウム王国軍とぶつかり合える態勢を整え、まさに激突しようとしたそのタイミングで。
何台もの『引いている馬がいない馬車のようなもの』が物凄い速度で走ってきて、彼らを半包囲するかのような位置に陣取った。
そう、かつてクリストファーがアイディアを出していた、『ウォーター・キャタピラー』を応用した軍用車が完成していたのである。
馬にも並ぶ速度で駆け付けた『馬車』の中にいたのは、何人もの魔術師。
彼らが一斉に攻撃魔術を左右から浴びせかけ、正面からはガイウス率いる騎馬隊の突撃。
つまり、本来は引くことで相手を攻撃地点まで誘導する戦法である『釣り野伏せり』の威力を、魔術師部隊を高速展開させることで攻めながら配置につかせることを可能にしたのだ。
こんなことをされて、耐えられる軍隊は、この世界には存在しない。
結果、チェリシア王国とジェミナス伯爵の混成軍は、1時間程度の間で完膚なきまでに叩き潰されてしまったのだった。
「く、くくくっ、や、やはりお前は馬鹿だ! こんなにも過大な戦力を持ってきて、今頃王都がどうなっていると思う!」
そこからつらつらと、この戦と呼応して魔物の大軍が王都を襲う計画であることをジェミナス伯爵はペラペラとしゃべった。
が、それでもガイウスの表情は退屈そうなまま。
そして、ジェミナス伯爵が一通りしゃべり終わったらしいタイミングで、つまらなさそうに言った。
「どうにもなってねぇよ」
そのあっさりとした声音に、ジェミナス伯爵はまた絶句した。
そんな彼に、ガイウスは微塵の興味も示さない。
「どうにか出来るとでも思ったのか? 俺の娘と息子を、あの王都の人間を、舐めるなよ?」
自信たっぷりに言い切るガイウス。
そして、王都ではまさにその言葉通りの光景が広がっていた。
「こういうどさくさに紛れて、いらんことをしようって野郎が出てくるもんだ。お前ら、お嬢様がお留守だって時にそんな連中がのさばるのを許すんじゃねぇぞ!」
地回り一家の親分であるブランドルが発破をかければ、ゴンザやサム、ジムといった手下達が気合の声を上げる。
元々衛兵たちと協力して地域の治安維持に一枚嚙んでいた一家だ、こういう時には反応が早い。
幾度もメルツェデスに協力して『魔王崇拝者』絡みの情報を集めてもいるため、王都に潜入している工作員らしき人間も目星がついている。
後はそいつらが本当に動いたところをぶん殴るだけである。
「いいかお前ら、お嬢様がお戻りになるまでに、王都中を綺麗に掃除しておこうぜ!」
ブランドルの言葉に、男連中は更なる気合の声を上げたのだった。
そしてもちろん、彼らだけではない。
「潜入に長けた小型の魔物もいます。そんな連中が、旦那様やお嬢様、坊ちゃまの留守に入り込むなど許されないことです」
プレヴァルゴ家の家令、ジェイムスが淡々と言えば、プレヴァルゴ家の使用人達が一斉に頷く。
その中には、密偵であるミラや、今回は同行を許されなかったハンナもいた。
「ハンナ~、もうちょい殺気抑えよ? それだけで魔物が逃げ出しそうだよ?」
「逃げ出してくれた方が好都合じゃないかしら。もっとも、逃がすつもりはないけれど」
冷や汗をかきながらミラが言えば、完全な無の表情でハンナが応じる。
『精霊結晶』を持たないハンナでは、足手まといになるのはわかっていた。
だが、感情はそのことを飲み込めないでいた。
かといって、メルツェデスの命に背くようなことも出来なかった。
そんなハンナの前に、行き場のない感情を思う存分ぶつけていい存在が現れてくれるのだという。
抑えるだとか遠慮するだとかいう選択肢は、ハンナにはなかった。
「いやまあ、いいけどさ~……あたしだって頑張んないとだし」
呟くミラの脳裏に浮かぶのは、半ば恋人のような関係になっているマリアンナの顔。
彼女の笑顔を守るためにも、魔物の侵入を許すわけにはいかない。
そう心に誓ったミラは、珍しく真剣な顔つきになったのだった。
そして、そのマリアンナは。
学院に所属する令嬢令息達は。
王都東門の上に集まっていた。
少しでも戦える人間の数が欲しい今、彼らもまた、防衛戦に駆り出されたのだ。
もっとも、そのことに納得していない人間は、ここにはいない。
メルツェデス達を見て育った彼らは、貴族の義務たるこの戦に誇りを抱いてすらいるのだ。
とはいえ、彼らはまだ若く、未熟。
故に、配置されたのは、比較的攻撃が薄いだろうと予測される東門。
他の場所に比べれば、まだましな場所ではあろう。
ただそれでも。
やはり彼ら彼女らは年若い少年少女でもある。
その場にいる令嬢令息達の顔は、一様に硬かった。
そんな彼らの前に立つ、一人の少女。
それは、エレーナだった。
「はぁ……私が指揮官だとか、柄じゃないのだけど……」
と、誰にも聞こえないように愚痴を零すエレーナ。
しかし、彼女が指揮官となるのも当然と言えば当然である。
ジークフリートもフランツィスカも不在である今、最高位である公爵令嬢。
おまけに、以前の『魔獣討伐訓練』で部隊指揮経験もあり、その力量も疑いがない。
何よりも実力と人柄で令嬢令息達からの人望も厚いとなれば、彼女以外の選択肢はないと言ってすらいいだろう。
そして、エレーナも頭ではわかっているから、引き受けたわけなのだが。
だからといって、彼女の双肩にこの部隊の、東門の、ひいては王都の命運がかかっているとなれば。
振り返ったエレーナの目に、王都の風景が飛び込んでくる。
戦を前にして、普段よりもずっと静かになってしまっている王都。
その光景をしばし無言で眺めたエレーナは、ゆっくりと令嬢令息達の方へと向き直った。
「……皆さんは、好きな食べ物とかありますか?」
唐突に発せられたのは、意図するところのわからない言葉。
そして、当たり前の問い。
好きな食べ物なんて、あるに決まっている。
大半の人間がそう答えるだろう問い。
……それがわかっている問い。
だからエレーナは、返事が返ってくる前に言葉を続けた。
「私には、あります。我が家のシェフが作るものはもちろんのこと、外で食べさせてもらえる料理はどれも一流のもので。……でも、たまにお忍びで行く庶民向けのお店なんかも好きなんですよ」
茶目っ気のある顔でエレーナがそんなことを言えば、何人かクスクスと笑いだす令嬢がいる。
彼女達は、エレーナがお忍びで出歩いていることを知っていたのだろうか。
それとも、意外だったから吹き出してしまったのだろうか。
どちらでもいい。
どちらでも、それを想像してくれるなら。
「皆さんには、そんなお店や、なくしたくない味はありますか? 大切な場所は、ありますか?」
そう言いながら、エレーナは手で指し示した。
彼女らが住む街である、王都の街並みを。
「この、王都に」
令嬢令息達の視線が動く。
きっと、彼ら彼女らの目は、自分たちの大事な場所へと向かっているのだろう。
そして、見つけたのだろう。
視線が止まったタイミングで、エレーナは再び口を開いた。
「私達は、幸運です。自らの手で、その大事な場所を守ることが出来る。その権利を与えられたのですから。
これは、ジークフリート殿下や、あのメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ嬢にも与えられなかった権利なんですよ?」
あちこちで笑い声が起こる。
彼ら彼女らの顔つきが変わる。
……きっと、やれる。
「この権利を捨てるだなんて、とんでもない。
まして魔物にこの街を好き勝手にさせるなんて、論外です。
勝ちましょう。守りましょう。……私達のこの街を」
静かな決意を込めてエレーナが言えば。
拍手が、応じる歓声が、ひりつくような熱さで響く。
きっと、勝てる。
令嬢令息達の瞳に宿る強い光を見て、エレーナは確信した。
それから、メルツェデス達が向かった、北の方角へと視線を向ける。
「さっさと帰ってきなさいよね。
……その時は、胸を張って『おかえりなさい』と言ってあげるわ」
静かに。
しかし力強く。エレーナは、言い切った。
明朝、魔物の大軍が王都に到達、激しい戦いが始まった。
知恵ある存在が指揮を執っていたのか、押して引いて、搦め手も入れてと一瞬でも気を抜けば甚大な被害が出ただろう攻撃が王都を襲い。
しかし。
全く揺るぐことなく、王都は耐えきった。
特にエレーナ達が守った東門は、一人の死者も出さないという見事な結果を残したのだった。
※ピッコマ様にて、悪役退屈令嬢コミカライズ6話が公開されました!
今回も可愛いメルツェデスとフランツィスカがてんこもり!!
そして、いよいよ幼女時代のエレーナも登場です!
ツンツン令嬢っぷりがたまらないですよ!!
……ぶっちゃけ、エレーナ担当回を合わせられるように、調整しました!(ぁ)
なお、今回の6話、大きめの改変がなされておりますが、これは私のリクエストによるものです。
おかげで、一見ほのぼの、しかし……という意味が分かると怖いページになったのではないかと!(おい)
ぜひぜひお読みいただければと思います!
そして、面白いと思っていただけたら、ページ最後に出てくるハートを連打していただければ幸いです!
ピッコマさんのページは活動報告にも載せたいと思いますので、そちらからたどっていただけると幸いです!




