剣、二振り
「父上、一体何が!」
呼ばれるままに急ぎ駆けてきたジークフリートは、息せきって謁見の間に飛び込んだ。
その後に、ヘルミーナを抱えたメルツェデスやフランツィスカ達、あの時ギュンターとの腕試しに居合わせた面々が続く。
高位貴族の令嬢令息であっても本来は許されない行為だが、今は誰も咎めない。
彼女らのほとんどが『精霊結晶』の持ち主ということももちろんある。
いや、むしろだからこそ、だろうか。
彼女らはこの場にいるべき、むしろいなければならない面々なのだから。
「……その前に、兄上はどうされました?」
そして、いなければならないはずの一人がいない。
ジークフリートの兄である、エデュラウム王国第一王子のエドゥアルドだ。
友人づきあいにおいては軽いところもある彼だが、王族としての責務が絡むと途端に人が変わる。
この一大事に彼が臨席しないなど、兄をよく知るジークフリートからすれば信じられないことだ。
だからこそ発せられた問いに……普段よりも幾分余裕がないように見える国王クラレンスがゆっくりと一つ頷いて見せた。
「アルドなら、ここにはいない。彼は今、城の奥にある儀式の間で大魔術を行使している」
「「なんですって!?」」
エドゥアルドを愛称であるアルドで呼びながらのクラレンスの言葉に、二人の、そして明らかに色の違う声が上がる。
一人は、もちろんジークフリート。
もう一人は……。
「ミーナ、ステイ。流石に今は抑えて頂戴」
「むぅ……貴重なものが見られそうだというのに……」
腕の中のヘルミーナを抱えなおしながらメルツェデスが諭せば、ヘルミーナも流石によろしくないことは理解したか、渋々ながら引き下がる。
マジキチであるところのヘルミーナからすれば、王城の奥で行われる儀式魔術など垂涎ものだろう。
だが、まさかそこに行かせろなどとは言えない。
数年前の彼女ならば言ったかも知れないが、今の彼女には多少の分別が身についていた。
そんな二人のやり取りが終わったところで、コホンとジークフリートが咳ばらいを一つ。
それから、改めて国王であるクラレンスへと向き直る。
「父上、いえ、陛下、兄上が儀式の間で大魔術を、とは一体? 兄上は、そんな儀式魔術だとかを習得していなかったように思うのですが」
儀式魔術は、極度の集中と大量の魔力、何より長い時間を必要とする。
そのため、様々な執務を抱える王族が使えるようなものではなく、身につけている者はほとんどいない。
特にエドゥアルドは第一王子、すでに王太子の内定もされているため、なおのことである。
なのに、その彼が、緊急会議に参加せず儀式の間で大魔術を行使しているという。
不可思議な状況に対して、当然と言えば当然の問い。
それに答えたのは、一人の少年だった。
「それについては、僕から説明させていただきます」
「げ、もyむぐ」
もやしやろーと言いかけたヘルミーナの口を、メルツェデスの隣に立っていたフランツィスカが淑女の微笑みを浮かべたままそっと手で塞ぐ。
一度目は不意を打たれてしまったものの、親友である上に鍛えられているフランツィスカに二度目は通じない。
もごもごとやっているヘルミーナを置いて、現れた少年……リヒターが説明を始めた。
「結論から言いましょう。このエデュラウム王国には、未曽有の危機に際して国民を守るための魔術装置が存在しています。
ただそれは、極めて膨大な魔力を必要とするため、使われることも知られることもほとんどありませんでした。しかし……」
「そこで『精霊結晶』と王族であるエドゥアルド殿下の出番だと」
リヒターの説明に、すぐさま食いついたのはやはりヘルミーナだった。
……いつの間にやらフランツィスカの手を振り切っていたのは驚くべきことだが。
そんなヘルミーナへと、リヒターは苦笑を向けた。
「話の腰を折るな、と言いたいところだけど、時間も惜しいし正解だから続けるぞ。
起動させるための条件をエドゥアルド殿下は満たしており、そのことをご存じでした。
そして、たまたま職務でこちらに来ていたところで、魔物が大量に発生したとの第一報を聞いた殿下は、一秒でも早くと儀式の間に行かれ、装置の起動に成功、今はその維持に集中しておられる状況なのです」
ヘルミーナを軽くあしらいながらリヒターが説明すれば、聞いていた全員が納得し、安堵し。
すぐにまた、顔色が真剣なものへと変わる。
「確認したいのだけれど。その魔術装置には、どんな機能が?」
「王国内の各大都市を中心に広範囲かつ強固な結界を張って魔物の侵入を防ぐ。既に居る場合はかなりの弱体化をさせるようだ」
「……では、維持が出来なくなれば、各地で大きな被害が出ることになる、と。
殿下はどれくらい維持させられるの?」
魔術の造詣が深いヘルミーナがサクサクと聞けば、リヒターが淡々と返す。
その中で発せられた問いこそ、全員が危機感を覚えたもの。
どれだけ優れた人間であっても、儀式魔術の維持など長時間出来るものではない。
数時間もてばいい方、一昼夜などとても望めない。
この状況では、とてももたない。それが全員の危惧するところだったのだが。
「父とピスケシオス侯爵がフォローに入っているから、三日はもつと考えていい」
「なるほど、その二人なら……」
その説明に、ヘルミーナすらほっと安堵の吐息を零した。
当代きっての魔術師である二人、さらにピスケシオス侯爵は水属性で治癒回復にも長けているとあれば、エドゥアルドを回復させながら魔術の維持をすることも可能だろう。
同時に、何故この場で説明しているのがリヒターなのかもこれで説明がつく。
二人とも、手が離せない状況なのだ。
「逆に言えば、三日でなんとかしないといけない、ということだな?」
安堵したのもつかの間、すぐさまジークフリートが次なる問題を指摘する。
この状況を打破しなければ、どの道悲惨な結果は避けられない。
そのことは明白であり、これにはリヒターも頷くしかない。
だが、それだけでもない。
「とある山中に、この装置の効果が不自然に届いていない場所がありました。恐らくそこに、強大な闇の魔力を持つ存在がいると考えられます」
「距離は?」
「馬を飛ばしておおよそ三日」
「ギリギリ、か」
それでも、今から出れば間に合う。
そのことにジークフリートは安堵しかけたのだが。
「まって。大事なことを言い忘れていない?」
ヘルミーナがジトリとした目をリヒターへ向けて。
一瞬だけ沈黙したリヒターが、小さく息を吐き出した。
「……やっぱりミーナにはわかるか」
「当然。そんな結界が張られたのなら、私が気づかないはずはないし、はしゃがないはずがない」
「え、そ、それって……」
きっぱりとヘルミーナが言い切れば、はしゃぐ彼女の一番の被害者であろうクララが、顔色を悪くした。
どんな状況だろうと空気を読まずにはしゃぐ女、ヘルミーナ。
その彼女がはしゃいでいない、ということは。
「そう、この王都には結界が張られていない。装置の不具合なのか、元々の仕様なのかはわからないけれど」
「仕様である可能性が高いと思っているよ。手の届かないところをこそ出来るだけ守りたい。建国王はそういうお方だったと聞く」
リヒターの説明に絶句したところで、クラレンスの補足が入る。
聞いている方としては、どんな顔をすればよいのやら、だ。
建国王の心意気は素晴らしいと言っていいものだろう。
だがしかし、その結果、今現在、王都だけが守られていない最も危険な場所になってしまった。
その王都を守るためには、どれだけの戦力が必要になるのか。
果たして何人の『精霊結晶』持ちを残すべきなのか。
考えても答えの出ない思考にジークフリート達が囚われかけていたその時だった。
「なるほど、潔く打って出て、さっさと魔王の首を取ってこい、と」
あっさりと言い放ったのは、誰あろうメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ。
『天下御免』の向こう傷を持つ彼女がさも当然のように言い出したことで、その場にいた全員がぎょっとした顔になったのだが。
「流石ガイウスの娘だ、メルツェデス嬢。その通り、増援の望めない籠城なんて愚の骨頂だしね」
さらにあっさりとクラレンスが応じたものだから、誰も何も言えなくなってしまう。
言うまでもなく、今この場でもっとも発言力が強いのは国王であるクラレンスだ。
その彼が、既に腹を括っている。そして、恐らくメルツェデスもそのことを察していた。
ふと、それを見ていたクリストファーは思う。きっと、父であるガイウスともクラレンスはこんなやり取りをしていたのだろうか、と。
そんな彼の前で、クラレンスは揺るぎない顔で……いつの間にか普段の顔になっていた。
「この作戦には、万が一の失敗も許されない。であれば、『精霊結晶』を持つエドゥアルド以外の全員を魔王討伐へと向かわせるべきだろう。
斥候によれば、魔物の群れが王都にやってくるのは恐らく明日。
今ならば君達が魔王の元へ向かうことも出来るし、こちらは二日耐えるだけでことは済む。簡単なことだろう?」
なんてこともないように言ってのけるクラレンスへと、誰も何も返すことが出来ない。
いや、一人だけ、いた。
「お、お待ちください、陛下! であれば、是非ともメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ嬢の同行をお許しいただきたく!」
ここしかない。
直感に突き動かされ、ジークフリートが声を張り上げ奏上した。
途端、クラレンスが何かを思い出したような顔になる。
「ああ、そういえばメルツェデス嬢には授けられなかったね。まるで見劣りしてないから、忘れていたよ」
「見劣りしないどころではございませんよ……」
と前置きしてジークフリートが先ほどのことを説明すれば、居並ぶ重臣達の顔が引きつっていく。
『精霊結晶』を授けられた、『精霊の騎士』を打ちのめした。
伝説でしか知らない存在ではあったが、それだけに脳内で美化もされており……それを凌駕するメルツェデスに対する畏怖が強まるのも致し方ないところ。
そんな中で、笑いだせるクラレンスの肝の太さたるや。
「あっははは、流石、としか言いようがないね!」
と、それはもう楽し気に。
それから、完全にいつもの顔に戻ったクラレンスが改めてメルツェデス達の方を見る。
「メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ。並びにクリストファー・フォン・プレヴァルゴ。
二人のプレヴァルゴに命ずる。
魔王を斬り捨ててきてくれ」
草を刈ってこい、とでも言うかのごとく、軽々しく。
つまりは、微塵の疑いもない顔で。
だからメルツェデスとクリストファーは、当然のごとく頷き、頭を垂れる。
「「ご下命、しかと承りました」」
二人の声が揃う。
この時二人は、違わぬ王の剣となったのだった。




