選ばれた者は・後。
エデュラウム王国の歴史において、女性に『精霊結晶』が授けられた前例はない。
しかし今、『精霊結晶』が与えられるこの儀式において、賞賛の言葉とともに火の精霊がフランツィスカの前にやってきた。
それが意味することを、理解した者。
理解しがたい、あるいは受け入れ難い者。
それぞれに驚き、あるいは混乱する。
そんなことが、あるわけがない。
あるいはこうも思う。
あってはならない、と。
中でも頑迷な老貴族が文句をつけようとでもしたのか口を開いたが。
『俺の目がおかしいって言いたい奴は前に出ろ! このお嬢さんとの一騎討ちで見極めさせてもらおうじゃねぇか!」
機先を制するかのように放たれた精霊の言葉に、喉元まで出かかったものが引っ込んだ。
火の精霊に物申すことになる、と宣言されたこと。これは、内容によっては反逆行為に問われかねない。
その上、相手は公爵令嬢。エルタウルス公爵家とことを構えたい貴族など、この国にはいないだろう。
何よりも。
一騎討ちと言われて、老貴族の背筋が凍った。
命がけで戦う相手と突き付けられ、『女子供』という眼鏡を外されて見たフランツィスカは、鍛え上げられた人間の佇まいに練り上げられた魔力を纏い、その強さの底をうかがい知ることすらできない。
ある意味で、彼がかつてそれなりに鍛えていたことが功を奏したと言えるだろう。
フランツィスカの強さを気取ることが出来ない程度の人間であれば、指一本触れることすら出来ずに無様な敗北を喫していただろうから。
誰からの反論も出なかったことに満足したらしく、軽く鼻を鳴らした火の精霊は改めてフランツィスカに向き直る。
『よくぞここまで鍛えたもんだ。お前をそこまでの精進に突き進ませた魂の熱、それこそが火の本髄とも言えるだろう。
気高く熱き令嬢よ、汝はこの『精霊結晶』を手にして何を望む?』
問われて、フランツィスカの頭が真っ白になる。
周囲の人間がそうだったように、フランツィスカも自身が『精霊結晶』を与えられることなど考えもしていなかったのだ。
だが。
だからこそ、彼女の心からの言葉がその唇から紡がれる。
「歩むことを。我が友の隣に立ち、並んで歩くことを望みます」
その答えに、火の精霊が一瞬目を丸くして。
それから、笑い声を弾けさせた。
『あっははは! そんな友が、そこまで鍛えないと並んで歩けない友がいるってか! いやほんと、今の令嬢達は面白いなぁ!』
その友自身が面白すぎるから、本人は退屈だ退屈だと言っています。と言いかけて、フランツィスカは言葉を飲み込んだ。
それでは、いくらなんでもあからさま過ぎる。
例え、大体の人間にとってバレバレであっても、明言しなければなんとか誤魔化せなくもないはずだから。
そんなフランツィスカを楽し気に見ていた火の精霊は、少しばかり表情を改める。
『お前の歩む道のり、どこまで行けるか見届けたくなっちまったじゃねぇか。汝に祝福を。汝は火の結晶を受けるにふさわしい魂を示した』
火の精霊が告げれば、フランツィスカの眼前で炎が躍った。
楽し気でもあり、からかうようでもあり。
存分に踊って満足したか、炎は塊へと変じていく。
結晶となったそれは、ゆっくりとフランツィスカの手の中へと納まった。
「どうか心行くまでご覧になってくださいませ。我が歩みの進む先を」
『楽しみにしてるぜ、お嬢さん!』
フランツィスカの言葉に応じた火の精霊が、ゆっくりと離れていく。
それを見て、皆理解した。
火の『精霊結晶』はこれ以上与えられないのだと。
残念だ、と思いかけた者達は、すぐに考えを改める。
一度に三人にも与えられるなど、それだけでも十分に前代未聞の大盤振る舞いなのだから。
それも、女性にも与えられる、という空前絶後の出来事まで起こったのだから。
その後も、予想外の事態は続く。
『……うむ』
「はっ、このギュンター、しかと務めを果たしてごらんに入れます!」
男爵令息でしかないギュンターが、壮年男性の姿をした土の精霊から『精霊結晶』を授けられたのだ。
彼の強さや鍛え方を知っているメルツェデスを含む学院生徒は納得もしたが、大人の貴族達は困惑しきりである。
何故ならば、基本的には魔力が低い男爵家の人間が『精霊結晶』を授けられたことなど、やはり今までなかったのだから。
そして、更なる衝撃も生まれた。主にギルキャンス公爵に。
『うむ……』
土の精霊は、エレーナの前まで来たのだが……残念そうに首を横に振った。
光の精霊が告げたように、エレーナは『精霊結晶』の力を受け止めきれないと判断されたのだ。
クララと光の精霊の問答が中途半端にしか聞き取れず、フランツィスカが選ばれたならばと期待していたギルキャンス公爵は、顎が外れそうなほどに口を開けて呆然としてしまったのだが。
告げられたエレーナは、清々しい顔でその現実を受け止めていた。
「ご心配には及びません。私には、誰よりも頼りになる……友が、おりますから。彼女達が、きっと守ってくれますもの」
少しばかり、言い淀んだけれども。
火の『精霊結晶』を手にしたフランツィスカは間違いなく友と言い切れるものの……クララは、さてどう表現したものか。
一瞬だけ迷ったエレーナは、やはり彼女も友の範疇に入れた。今は、それでいいはずだ、と。
『……うむ!』
そんなエレーナの顔を見て納得したのか、安心したのか。
力強く頷いて見せた土の精霊は、エレーナから離れて火の精霊に並ぶ。
つまり公爵家並みの発言力を持つ男爵家が誕生してしまったことを意味するため、土属性の上位貴族達は大慌てだが精霊達はそんなことを気に留めた様子もない。
それを見ていた残る風属性、水属性の貴族たちは戦々恐々としていたのだが。
『風は理に従って吹き、流れるもの。汝は理に従い、よく修めています』
「は、はぁ……ありがたく存じます」
風の精霊が舞い降りたのは、公爵令息であるリヒターの前だった。
であれば、風属性貴族達の秩序に揺らぎが生じることはほとんどないだろう。
人間社会の中に組み込まれている彼らは、存外保守的なのである。
だから、リヒターが素直に精霊の言葉を受け入れていけば、無事にことが終わるはずだった。
「ですが……もしかしたら、嵐を巻き起こしてしまうかも知れません」
『……何?』
リヒターの思わぬ言葉に、風の精霊が片方の眉を上げる。
周囲で見ていた貴族たちは、精霊の勘気に触れたかと腰を抜かしそうになったのだが。
一人……いや、二人。
当のリヒターと、その父であるエデリブラ公爵だけが平然とした顔でそこに立っていた。
「理に従って吹く風が、様々な気象条件により嵐を、竜巻を巻き起こすことがあります。
もしかしたら、そんなことが起こってしまうかも知れない。いえ、きっと起こるでしょう」
ちらり、とリヒターが視線を動かす。
その先にいるのは、一人の、儚げに見える少女。
彼女がいる限り、きっと何かが起こる。起きるに決まっている。
「きっと、楽しんでいただけるかと」
『……我を前にして、よくも言うたもの。よろしい、風は理に従って吹き、しかしてその結末がわからぬもの。
汝の魂にもその片鱗を確かに見た。我に見せてみよ、汝の風が吹いた行く末を』
「はい、必ず」
リヒターが頷けば、一陣の風が起きて渦を巻く。
周囲の空気を引き込みながら圧力を増したそれは、やがて一つの形を成して。
風の『精霊結晶』が、リヒターの手に委ねられたのだった。
そして、その何かを起こすであろう少女は。
『いや~、そなたの発想は、ほんに面白いのぉ~』
「ふ、当然。流石私」
水の精霊と、意気投合していた。
彼女が持つ膨大な魔力に、水の精霊が興味を持つのは当然のこと。
そして近づけば水を司る彼女にはわかるのだ。
ヘルミーナの頭の中にある、様々な……時にヘンテコリンな魔術の数々が。
一般的な治癒魔術、攻撃魔術はもちろんのこと、その多種多様なアレンジバージョン。
それにとどまらず、『ウォーター・キャタピラー』をはじめとする変則的な魔術達。
誰も考えつかなかったような魔術の数々に水の精霊は爆笑し、一言二言会話を交わせば理解されたヘルミーナもご機嫌になり。
会って数分の彼女達は、マブダチであるかのように打ち解けてしまっている。
『あ~、笑わせてもらったのぉ~。これをやるから、これからも研究に励むがよいぞ』
「ありがたく。有効に活用させていただくことを約束しましょう」
目じりを指先で拭いながら水の精霊が言いつつ『精霊結晶』を与えれば、ヘルミーナはさも当然のごとくそれを受け取った。
いや、彼女なりに敬意を示しながらではあったのだが、彼女なりのそれは、普通は不遜の領域である。
もっとも、水の精霊が笑っているのだから、誰も何も言えないのだが。
そしてヘルミーナの元を離れた水の精霊は、今度はクリストファーの前に降り立った。
『冬山での一別以来じゃのぉ』
「まさかこうも早くの再会になるとは、驚くばかりです」
そう答えるクリストファーの顔は、しかしさほど驚いてはいなかった。
あの冬山での邂逅、そしてこの儀式。
水の精霊との縁を感じるなと言う方が無理というものである。
これで、クリストファーの鍛錬が足りていないならば話は別だったのだが。
『……うむ、あれからも鍛えておるようじゃの。今のそなたであれば、わらわの力も十分受け止められよう』
「もったいないお言葉にございます」
目を細める水の精霊に対して、クリストファーは小さく首を振ってみせる。
彼はすでに並みの大人など凌駕する剣の腕を持ち、ギュンターとも互角、勝てないのはガイウスとメルツェデスくらいのもの。
傍から見れば十分な強さであり、しかし彼本人は満足していない。
その心根こそが、水の精霊にとっては好ましいものに思える。
『そなたに祝福を。そなたが進むべき道を進むことを願おう、我が愛し子よ』
「ありがたく拝受させていただきます。道を違えることなく進むことを誓いましょう」
水の精霊が手をかざせば、どこからともなく現れた水滴が一点に集中していく。
それらが集い、圧縮されて塊となって。
水の『精霊結晶』が、クリストファーの手に授けられた。
……その光景は、メルツェデスもかつて見たゲーム内イベントそのもののようで。
メルツェデスは、自分一人が切り取られた世界にいるかのような違和感を覚えた。
その意味するところを、彼女はすぐ知ることになる。
『……やはり、か』
クリストファーに『精霊結晶』を授けた後、メルツェデスの目の前に来た水の精霊が小さく呟く。
その瞳は、嘆きと哀れみの入り混じった輝きに揺れていた。
そして、彼女は。
水の精霊は告げる。
『そなたに、わらわの力を授けることは出来ぬ。そなたの器が耐えられぬゆえ……』
この日。
これでもかとばかりに前代未聞な出来事が起こり続けた、この日。
最後の最後で、最大級の爆弾が投下された。
※こんな展開の中で恐縮ではございますが!
本日、ピッコマさんにて『悪役退屈令嬢』コミカライズ第五話が公開されました!!
フランツィスカファンの皆様お待たせしました、幼少時代のフランツィスカ、そして例のあのスチルが登場です!!!!
正直に申し上げます。
みんなフランツィスカのことが好きになるんじゃないですかね!!!!
と確信を持って言える内容でございますので、ぜひご覧いただければ!
コミカライズ担当のセシボンれもん先生懇親の幼少ぽっちゃりフランツィスカが堪能できますよ!!!!!!
また、その際、読み終わった後に押せるハートを是非連打していただきたく……。
私も気づいていなかったのですが、あれ、10回くらい押せるみたいなので……。
あと、Xとかに感想をポストしていただけると、セシボンれもん先生がめっちゃ喜ばれるので、先生のモチベーションのためにも、もしよろしければ!




