掴んだ尻尾、むき出された牙。
商会にいた従業員によれば、会頭のデニスは数日前から姿を見せていないとのこと。
その日時は、まさにメルツェデス達が黒幕と遭遇した日である。
どうやら、あそこで遭遇した黒幕と思われるデニスは、突き止められることを予見して逃げ出したようなのだ。
「しくじりましたわね……わたくしがもっと早く気付いていれば」
「お言葉ですがお嬢様、それは難しかったかと。私達がその日のうちに王都へと戻ってくることは出来ませんでしたから、その間に逃げられていたのは間違いありません」
悔やむメルツェデスを、ハンナが冷静な声で諫める。
それを聞いて、メルツェデスもはっとした顔になった。
「……そうね、その通りだわハンナ。だめね、わたくしったらすっかり焦ってしまって」
「いいえ、あの村では私の方が取り乱しましたから、これでお相子かと」
「ふふ、そうね、あの時は珍しいハンナを見てしまったものだわ」
そう言って笑うメルツェデス。
落ち着いて応対しているように見えるハンナの内心は、荒れ狂っていた。
普段大人びて落ち着いているメルツェデスが見せた、慌てているレアな顔。
それだけでもハンナにとってはご褒美なのに、お礼を言いながらの笑顔を独り占めである。これにはハンナの理性メーターも危ないところだったが、耐えた。他人の目があったから。
『これがお屋敷の中だったら危ないところでした……』とハンナは一人心の中で思う。
ハンナが荒れ狂う内心を悟られないよう沈黙している間に、メルツェデスはすっかり落ち着きを取り戻したようだ。
「こうなると、向こうも正体がばれた前提で動くでしょう。だけど、彼らが取れる手はもう限られている」
「ということは……ついに、ですか」
「恐らく、ね。もうこうなったら、不十分な状態だろうと実行すると思うわ」
色々と伏せた言い方をしながらも、二人の間で意思疎通は必要十分に取れている。
『魔王崇拝者』達は、魔王復活のために暗躍していた。
しかし、水属性ばかりの村人を集めた儀式は、メルツェデス達によって未然に防がれている。
一番の狙いであっただろうヘルミーナは、十分な警護があるため手が出せない。
魔王復活のために恐らく必要であったはずの多大な、闇属性に近い水属性の魔力を集めるための計画は、全て失敗に終わってしまったとみていいだろう。
これで諦めるような連中であれば苦労はないのだが……恐らくそれも考えにくい。
「これだけ手の込んだ策を弄してきた相手だもの、諦めるなんてありえない。
でも、身元が割れたからこれ以上の暗躍は難しい。であれば、一か八かに賭けてくるはず。
……あるいは、最低限だけは既にキープしている可能性もあるわね」
「でしたら、それを貯めている根城があるはずですが……恐らく足取りは追えないでしょう。
必ず『シャドウ・ゲイト』で移動するようにしているでしょうから」
「その通りだと思うわ。であれば、追いかけるよりも迎撃する準備を整えた方がいいでしょう」
「つまり……それこそが『聖女選任』の儀式、と」
ハンナの声に、メルツェデスはコクリと頷く。
先述の通り、『聖女選任』の儀式を経たクララは対魔王戦力として大幅に強化されることになるし、攻略対象達もまた強化される。
彼女らの力をもって当たれば、強化し損なった魔王であれば問題なく倒せるはずだ。
ただ一つの懸念事項を除けば、だが。
「……わたくしにも参加資格があるのはありがたいことだわ」
ぽつりと、つぶやく。
唯一の懸念事項にして最大の障害となるであろう、レオ。
彼をメルツェデスが抑え込めば、問題はなくなるはず。
そして、あの瞬間に垣間見えた彼の力を考えれば、抑え込める自信はあった。
だが同時に、圧倒出来る自信はなかった。
全てを見切ったわけではない上に、何か強化の手段でもあれば負ける可能性がある程度に拮抗しているように見えたのだ。
そして、あの黒幕のことだ、あると思って動いた方がいいに決まっている。
もしも、悪役令嬢である、いや、悪役令嬢だったメルツェデスにも『精霊結晶』が与えられたら。勝利の確率は、大きく跳ね上がることだろう。
「急ぎお父様に報告しましょう。そして、儀式を一刻も早く行うよう重ねて進言していただかないと」
「はい、お嬢様」
頷くハンナを伴い、メルツェデスはナイエム商会を後にした。
そして、1時間ほど後。
「まさか、ナイエム商会とはね……」
報告を受けた国王クラレンスは、珍しく渋面を作っていた。
何しろ彼とてかの商会のマヨネーズを口にしたことがある。
なんなら、賓客をもてなす宴において使われたことすらあるくらいだ。
その商会の会頭が黒幕だったと聞けば、渋い顔にもなってしまうだろう。
「手先から遡っていっても辿り着けなかったわけです。お恥ずかしながら、ほぼノーマークでしたからな……」
「まあね、あくどい商売をしているわけでもなく、評判が悪いわけでもなく。会頭に悪い噂もなかったとなると、そこまで注視はしてなかったところだろうし」
報告にきたガイウスに対して、クラレンスも頷く。
あの後メルツェデスの報告を受けたガイウスはすぐにナイエム商会の捜査を実施。
国王であるクラレンスとの謁見をとりつけるまでの時間で、捜査に長けた騎士達は疑うに十分な証拠を集めることが出来ていた。
遡ることは防がれていても、本拠地を決め打ちで探ればそれなりに証拠はあがるものだ。
ただし疑うに十分、であって、確定ではない。
決定的なものはすべて会頭のデニスが持ち去ったらしく、そのまま裁くことはできないが。だが、本人の身柄を抑えて自供させれば十分ではあろう。
捕まえられれば、だが。
「恐らく『シャドウ・ゲイト』を使って逃亡したのでしょう。門の通行記録にも奴の名前はなく、門番達も見ていないと言っています」
「であれば広範囲をしらみつぶしにやるしかない、か。人員をどこまで割けるものか……」
二人がそこまで話していたところで、バタバタと慌ただしい足音がした。
何事かと護衛達が身構え、ガイウスもクラレンスをかばうように前に出る。
耳を澄ませば、足音は二人。ガイウスであれば問題ない数。
そう考えながら身構えていたのだが。
「慌ただしく申し訳ございません! 火急の知らせでございます!」
聞こえてきたのは、覚えのある騎士の声。
それを耳にして、少しばかり緊張感が緩んだのだが。
続く言葉に、一瞬で張り詰めた空気に変わってしまう。
「チェリシア王国が我が国に向かって侵攻を開始! 国境を接するジェミナス伯爵領は瞬く間に制圧された模様にございます!」
「なんだと!?」
居合わせた護衛騎士の一人が声を上げる。
こんな状況での侵攻開始、その上、豊かな領土と精強な軍隊を持つジェミナス伯爵領があっけなく落とされたとなれば驚くのも無理はない。
だがしかし。
ガイウスとクラレンスは、苦い顔をするばかりだった。
「なるほど、このタイミングで、か」
「黒幕であろうデニスがあっさりと引いたわけです。奴も当然知っていたのでしょう、このタイミングだと。だから急ぎ回収をしようとし、失敗したけれども速やかに撤退した」
「侵攻に対応しようとすれば、『魔王崇拝者』探索に回せる手も減る。魔王復活が成れば、チェリシアと呼応して挟撃だなんだも出来る、と。実にいやらしい手だ」
当然二人もチェリシアが仕掛けてくることは読んでいたし、準備もしている。
ただ、このタイミングというのが少々面白くない。
「こうなると、ガイウス、君に出てもらわないといけないね。儀式に出てもらえないのは残念だけれど」
「仕方ありますまい。何、精霊の加護をいただけるかどうかもわかりませんし、そもそもチェリシア程度、いただかずとも十分でございますから」
「そうだね、その準備はしているし。ただし、油断だけはするなよ?」
「肝に銘じます。ここで不覚を取っては、子供達に大きな顔が出来ません」
冗談めかしてガイウスが言えば、クラレンスも少しばかり顔を緩めた。
それから、すぐに表情を改める。
「ではガイウス将軍、王国軍を率いてチェリシアを撃退せよ!」
「ご下命、しかと承りました!」
クラレンスが国王の顔で命じれば、ガイウスが恭しく頭を下げる。
こうして、チェリシア王国の侵攻に対して、エデュラウム王国は全面的な対決を選択。
両者は数年間の空白を経て、再び戦争状態へと突入していったのだった。
※物語は不穏な状況になっておりますが、ここで嬉しいお知らせがございます。
なんと!
以前お伝えしておりました、退屈令嬢コミカライズ!
12月1日から、ピッコマさんにて先行公開になります!!
ついに、コミカライズが始動しますですよ!!
まだ出せる情報は多くないですが……素晴らしいコミカライズであることだけはお伝えさせていただきます!!早く皆さんにも見ていただきたい!
活動報告の方にX(旧Twitter)で告知された第一報へのリンクを貼っておきますので、よろしかったらご覧いただければと思います!!




