灯台もと暗し
それから数日後、王都に戻ってきたメルツェデス達の姿が、カーシャの勤めるカフェにあった。
ただし、メルツェデスの表情はあまり芳しくないものだったが。
「またぷっつりと糸が切られていたものね……」
彼女の心情を代弁するかのように言うフランツィスカの表情も、明るいものではない。
鶏卵が『魔王崇拝者』達の資金源の一つと掴んだメルツェデス達は、当然ガイウスにも報告はして、捜査をしてもらっていた。
だが、その鶏卵を扱っていた商人は口封じのためか、既に命を奪われていたことが判明。
今回は帳簿類なども持ち去られていたため、資金の流れもすぐには追えない状態である。
「不測の事態が起こったから尻尾を切った、って感じじゃなく、計画的なものらしいとわかった。前向きに捉えられなくもないのだけど」
「推測がより一層確からしくなっただけ、とも言える……だめね、考えが悪い方向にばかりいってしまうわ」
エレーナもフォローしようとするが、やはり説得力が弱い。
この場合は、説得力があるからこそフォローにならないと言うべきか。
資金源となる鶏卵業者を切り捨てたということは、彼らの計画、魔王復活が最終段階に入ったということだろう。
恐らく望みうるベストな状態ではないのだろうが、それでも踏み切った。
その程度の状態にはあるとも言える。
事は一刻を争うだけに、手がかりが途切れてしまったことが何とも痛い。
どうしても先の展開を知るメルツェデスは深刻になってしまうのだが。
「悪く考えてしまう時には、糖分が足りない。しっかり摂取すべき」
ヘルミーナなど、空気なんて読んでたまるかとばかりにマイペースで出されたスイーツを堪能していた。
お気楽な発言ではあるが、間違ってもいないので反論も出来ない。
メルツェデスも多分人間だ、エネルギー不足の悪影響だってきっとあるはずである。
「そうね……と言っても、ミーナみたいに甘い物ばかり、というのもどうかと思うのだけど」
「ふ、そこは抜かりがない。口直しに塩っぽいものも食べている」
そう言いながらヘルミーナが示して見せたのは、サンドイッチだとかの軽食や、白身魚のフライとポテトフライの盛り合わせといった揚げ物。
確かにサンドイッチはお茶会に出される軽食の定番ではあるのだが。
「あなたね、またフィッシュアンドチップスなんてお行儀わるなものを」
「サンドイッチも同じく手で摘まんで食べるのに。差別だ差別」
エレーナのお小言に、屁理屈で応戦するヘルミーナ。
言われてみれば一理あるような、ないような。
「同じお店で出してるものではあるんですけど……どっちかっていうと庶民がお酒と一緒に食べてるイメージが強いですよね」
あはは、と明るく笑いながら二人の言い合いを見ているクララ。
この中では庶民代表とも言える彼女が言えば、エレーナがぴたりと動きを止める。
「あの、ごめんなさいねクララ、庶民の味を否定したいわけじゃなくってね?」
「大丈夫です、わかってます。それに、下町だと安くて満足感があるからって、肉体労働の人達がガッツリ食べてるのを良くみますし」
フォローしようとするエレーナだが、クララは気にした様子もない。
実際、庶民は歩きながら食べたりと、行儀悪く食べることも多々あるものだ。
そして、それがまた美味しいということも知っている。流石に、エレーナ達相手に勧めることは出来ないが。
クララ相手にエレーナが言い訳めいたことを言っている間に、ヘルミーナは魚のフライに手を伸ばしていた。
指先で摘まみ、ゆで卵やピクルスの乱切りが入ったタルタルソースに浸けて、ガブリ。
「ん~、やっぱり手づかみで食べると一味違う」
「あ、ちょっとミーナ! フォーク使いなさいって言ってるでしょ!?」
「しかし、こうやって指先で熱を感じながらだからこその味というものがあって。ほれ、エレンも一つ」
「……やらないわよ!? こんな人前で、はしたない!」
ひょいっと別の魚フライを目の前に出されて、思わず口を開きそうになったエレーナは誤魔化すように声を大きくした。
……それでちらちら視線を向けられるのだから、逆効果ではないかとクララなどは思うのだが、敬愛するエレーナ相手にそんなツッコミを入れることは出来ないでいる。
「おやもったいない。この店のタルタルソースは中々のものなのに」
「あはは、ヘルミーナ様にお褒めいただけるとは、ありがたいことですねぇ」
ヘルミーナが残念そうに言えば、丁度別のスイーツを持ってきたカーシャが朗らかに笑う。
当然、ヘルミーナの視線は新たに登場したフルーツタルトに釘付けだ。
そんな彼女の前へとタルトを置きながら、カーシャは苦笑交じりの笑みを見せる。
「でもまあ、このタルタルソースが褒められるのはちょっと複雑だったりはするんですが……」
「あら、複雑ってどうして? 実はどこかから仕入れてるとか?」
冗談めかしてメルツェデスが言えば、皆はきょとんとし、カーシャだけが困ったような顔で笑っている。
そこで、メルツェデスははたと気付いた。
現代日本と違い、この国ではソースの類いをパッケージ売りはしておらず、基本的にほとんどの店でソースは作っているものだということを。
だから、フランツィスカ達はきょとんとしているのだが。
「流石、メルツェデス様。ピクルスは自家製なんですけどね、マヨネーズだけはどうしても仕入れなくちゃいけなくて」
「……マヨネーズ?」
メルツェデスの眉が、ぴくりと動く。
その単語に、引っかからざるを得ない。今までの情報が、カチリとはまるような感覚がする。
「ええ、ナイエム商会ってとこが一手に扱ってるんですよ」
「ナイエム商会……聞いたことがあるわね、色んな珍しい調味料を扱ってるので有名よね?」
エレーナが言えば、カーシャもこくりと頷いた。
つまり、公爵令嬢すら知っているような商会ではある。
だが、扱っているものがものだけに、令嬢達が直接買い付けたりはしない商会でもある。
「今では多種多様な調味料で売ってますけど、ほんのちょっと前はマヨネーズ一本で大もうけしてたんですよ。
なんでも20年前に当代が作って世に出したって代物で、当時は爆発的に売れましてねぇ。
で、先代は早々と楽隠居、当代が後を継いでどんどん商売を広げて、今やでっかいお屋敷まで建てまして」
「20年前、わたくし達が生まれる前……」
『だからか』とメルツェデスは内心でぼやく。
メルツェデスがこの世界に転生してから、当たり前にマヨネーズはあった。
乙女ゲームの世界だからと気にしていなかったが、よくよく考えれば不自然なこと。
転生前の世界でマヨネーズが広まったのは18世紀半ばと言われているから、その前から存在していた可能性を考えれば生まれていてもおかしくはない。
だが、それをここまで当たり前に、食中毒を起こさず広めるためにはある前提条件が必要になる。
心臓の鼓動が早くなりそうなのを抑えながら、メルツェデスはカーシャに訪ねた。
「ということは、マヨネーズのレシピなんかは売られてないのね?」
「そうなんですよ、下手に素人が作ると食中毒になるって話で。
それで独占状態でバンバン売って儲けたもんだから、建てた屋敷なんて『マヨ御殿』なんて言われてるくらいでして。
あ、でも当代はそう呼ばれるのを嫌がってるらしいんですけどね」
なんでかなぁ、と不思議がっているカーシャだが、メルツェデスは理解出来てしまう。
もしも現代日本人の感覚があれば、『マヨ御殿』と呼ばれるのは好まない人間の方が多いだろう。
「なるほど、肝心要のマヨネーズが仕入れ品だから、複雑なわけね」
思考が巡るメルツェデスの隣で聞いていたフランツィスカが同情するような顔で言うも、カーシャは首を横に振った。
「いえ、それもあるんですが……そのマヨ御殿が、『夜狐』最後のお勤め先でしてね」
「ああ、それは、複雑にも程があるわねぇ……」
と、フランツィスカは普通に頷き返すのだが。
メルツェデスは、ガタッと音を立てて椅子から立ち上がった。
「……ごめんなさい、今日はこれで失礼するわ。早急に調べないといけないところが出来たから」
「メル? ……え、まさか、今の!?」
その場に居た面々が呆気に取られていた中、いち早く立ち直ったフランツィスカが問えば、メルツェデスはコクリと頷いて返す。
「ええ、そのまさかよ。カーシャさん、お手柄だわ!
ハンナ、行くわよ。ついてきて!」
「はい、お嬢様」
答えた時には、既にハンナが隣に立っている。一度死の間際に立ったというのに、迷うことなく。
そんなハンナの姿に申し訳なさを感じながらも、メルツェデスは駆け出した。
店内の客にぶつからないよう気をつけながら外に出れば、通りの人が邪魔だとばかりに柱や壁を蹴って建物の屋根の上に跳び上がり、そのまま飛ぶように走る。
そんなメルツェデスに併走しながら、ハンナが訪ねた。
「お嬢様、そのナイエム商会が?」
「ええ、ほぼ間違いなく、敵の本丸よ!」
ナイエム商会の名前自体は、メルツェデスも聞いたことはあった。
だが、完全に盲点だった。今ではマヨネーズだけの商会ではないのだから。
それすらも相手のカモフラージュだった可能性は高い。
今まで手先として捕まった連中の元を辿っても辿り着けなかったのも、納得だ。
調味料を扱うだけの商会との関連性など、ほとんどなかったのだから。
「しかし、何故おわかりに?」
「それはね……マヨネーズには、清潔な卵が必要なのよ!」
メルツェデスが返せば、ハンナは驚いた顔になる。
正確に言えば『清潔である方が望ましい』のだが、大規模に流通させるのであれば清潔であるに越したことはないだろう。
マヨネーズは、卵、お酢、油を決められた手順で攪拌することによる作られる『知識チート』の定番アイテム。
その中のお酢によってサルモネラ菌や大腸菌なども死滅させることが出来るのだが、万が一ということもあるので現代の市販品は殺菌されたものを使っていることがほとんど。
しかし、こちらの世界で殺菌された卵など普通はないのだが。
その例外を、つい最近知ってしまった。
そしてその卵を作らせていたのは、『魔王崇拝者』。
その卵を使ってマヨネーズを作っているのであろうナイエム商会。
そこが、腕利きの盗賊集団である『夜狐』を撃退する程の戦力を持っていたとすれば。
こんな話を、カーシャに聞かせるのは色々な意味で憚られた。
「なるほど、そういうことですか」
これらの話を、ハンナも理解したと声の色でわかる。
ならば後は、乗り込むばかりである。
「時間が少しでも惜しいわ、急ぎましょう!」
「はい、お嬢様」
本来ならばガイウスに報告すべきことだが、その間に逃げられるかも知れない。
その心配は、ある意味で的中した。
メルツェデス達がナイエム商会に到着した時。
既に当代会頭デニスは、その姿を消していたのだった。




