冬山の邂逅。
こうしてそれぞれに収穫や反省のあった模擬戦が行われていたころ。
「っだ~~、だめだ! どうしてもうまくいかない!」
雪山のクリストファーは、テントに転がり込みながら憤懣やるかたないといった声を上げた。
そんな声を上げ、感情的になっているようにも見えるが、それでいてテキパキと服を脱いで体を拭き着替えてと、体を冷やさないようにしているのは積み重ねてきた訓練の賜物だろうか。
如何に鍛えた身体であっても、濡れた身体で雪山にいては最悪死ぬ。
そして、意識せずとも死なないための行動を取るよう、彼は鍛えられている。
更にはぶつくさ言いながらもストーブに薪をくべなおし、衣服を絞り、干して、明日の修行に備えようと服を乾かしている。
戦いは続く。終わるまで続く。プレヴァルゴの者にとっては、勝つまで続く。
だから、勝つまでは次に備える。
それが無意識レベルにまで刻み込まれているのだ。
そして同時に、考える。身体を動かさない間は頭を動かす。次のために。
特に今のクリストファーは、雪山で極端に活動時間が限られているのだから、少しも時間を無駄には出来ない。
「僕の本性が底意地の悪いくそったれだってことは、よっくわかった。
だから、その次……どうやったらそのくそったれの鼻を明かせるのかってことなんだけど」
この狭いテントに一人だけだからか、度重なる失敗とそれによる疲労でやさぐれているのか、クリストファーの言葉は伯爵令息として少々お下品になっていた。
もっとも、そんなクリストファーを見ればガイウスなどは『一皮剥けたじゃないか』と喜びかねないが……。
取り繕う余裕がない、ということは剥き出しの彼が表出してくるということ。
そしてクリストファーは、そんな自分をそういうものだと受け入れつつあった。
しかし、受け入れつつはあるけれども、次にどうすべきかがわからない。
「底意地が悪いから、こちらの裏をかいてくる、あるいは意表を突いてくる、そこまではわかった。
じゃあ、どうやったらその裏をつけるのか……」
ぼやきながら、ごろりとクリストファーは横になる。
冷えた身体にあたる火の熱に、少しずつ血管が、筋肉がほぐれていく感覚。
すると今度は自覚してしまう、己の疲労。
極寒の雪山で水に漬かるなどという頭のおかしい修行をしているのだ、当然その冷えに抗するだけの熱を生み出しているのだ、身体がが疲れていないはずがない。
ただ、今までは若さゆえか修行のテンションゆえか、自覚できていなかっただけで。
自覚してしまった今となっては、もう無視することも出来ない。
「くっそ、休んでる暇なんて、ない、んだけどなぁ……」
暇はない。しかし同時に、プレヴァルゴ流を叩き込まれたクリストファーの頭は分かっている。
休むのもまた義務だと。
彼らとて人間だ。……人間だ。例えメルツェデスやガイウスが人間離れしているといっても、疲れもするし寝なければいつか倒れる。
同時に、心は急いて仕方ない。
「薪はともかく、食料がなぁ……明日、はまだあるけど……明後日、には、一度下りないと……」
数日過ごせる物資を持ち込んではいたが、数日は数日。
おまけに、寒さのせいか思ったよりも食料の消費が速い。
この分では、明日はともかく、明後日には一度宿舎に戻って補給しなければいけないだろう。
夏場であれば往復2時間といったところだが、この足下の悪い雪降る冬では、倍はみないといけないだろう。
「……それだと、午前か午後のどちらかがまるっとつぶれちゃう、か……」
ただでさえ上手く行っていない現状で、そんなタイムロスはしたくない。
となれば、勝負は明日。
「明日、なんとしてでも明日……会得、しなきゃ……」
微睡みながらも、じりじりと身を焦がすような焦燥が消えてくれない。
最悪、冬期休暇が終わった後も籠もるという手もある。
夏で遅いのであれば、春でもいいのではないか。
そんな迷いよりも強く、それではいけないという直感があった。
「明日こそは……あした、こそ……」
言い聞かせるように幾度も繰り返していたクリストファーは、ふっと意識を手放した。
それから、どれくらい時間が経っただろうか。
かっと目を見開いたクリストファーは、素早く身を起こし、入り口の方へと目を……いや、いつの間にか抜き放っていた小剣を向けた。
「何者だ!」
刃よりも鋭い誰何の声が飛んだ先で、びくっと身を震わせて動きが止まる人影が一つ。
さらさらとした長い水色の髪をした、クリストファーと同年齢かいくつか下に見える少女が、膝を衝いて入り口から入ってきた状態で固まっていた。
それを見てクリストファーは、何てことだと恥じ入りながらも隙を見せない。
こんな近距離、それも、テントの周辺どころか入り口から入られるまで気付なかった己の未熟さが恥ずかしい。
しかも、熟練の暗殺者だとかとはとても見えない、年若い一人の少女。
こんな少女に近寄られてしまう程に深く寝入っていたとは……と恥じ入っているクリストファーの前で、少女が口を開いた。
「あ、あの、私、その、通りすがりで……山菜を採りに来たけど雪が酷いから、避難させてもらおうと……」
と、おどおどした様子で言われ、クリストファーは気を少しばかり……いや、僅かばかりも緩めなかった。
寝起きで頭が回っていなかったのか、と悔やみながらも改めて少女を観察する。
「……嘘はいけない。少なくとも、通りすがりだなんてありえない」
「な、なぜそんなことを……?」
尋問するかのようなクリストファーの問いを受けてぷるぷると身を震わせる少女の様子は、罪悪感を引き起こされそうになる。
だが、しかし。
「君の服装だ。そんな格好では、この雪山を碌に歩けやしない。まして、山菜採りで何時間もだなんて。
もし仮にそうできたとして、雪がほとんど積もっていないのは明らかにおかしい。
改めて問う。君は、何者だ?」
下手をしたら、いや、ほぼ間違いなく、人間ではありえない。
仮に少女の身で出来るとしたら、姉であるメルツェデスくらいのものだろう。
そしてもう一つ、僅かにだが感じる違和感。
「君のそれは、気配は人間のそれじゃない……隠しているけれど、膨大な力を秘めている……違うかい?」
普通の人間であれば感じないであろう違和感。
しかし、この雪山で自分を追い込んでいたクリストファーの研ぎ澄まされた感覚は、それを見逃さなかった。
その証拠に。
「……やれやれ、きちんと隠しておったつもりじゃが……まさか、見抜かれるとはのぉ」
少女の唇が、にぃっと上がり……纏っていた空気が一変する。
やはりか、と改めてクリストファーは警戒を強めるのだが、その視線の先で少女はけらけらと気楽そうに笑っていた。
「まあそう構えるでない。わらわがそなたを害することは決して無い」
「……何故そんなことが言い切れるのです?」
知らず、口調が丁寧語になっていた。
何より、彼女の言葉を頭から疑うことが出来なくなっていた。
知っている。
彼は、クリストファーは彼女の纏う空気を知っている。
ただ、それが何かまではわからないでいた。
だから。
「わらわはの、そなたらが言うところの『水の精霊』というやつじゃからな」
あっけらかんとした笑顔で彼女が言った時、驚きよりも先に、納得が来たのだった。




