それぞれの明日に向けて。
勝利に沸くプレヴァルゴの騎士や兵達を少し離れたところで見ているガイウスの表情は冴えなかった。
「上手いこと凌がれましたな」
と、隣に立つ副長が声をかけてくるが、彼の顔もまた微妙なもの。
しばしの沈黙の後、ガイウスはゆっくりと頷いて返す。
「そうだな、勝つには勝ったが、あちらの士気の高さと粘り強さが予想を遙かに超えていた。
かと言って、あれ以上の力攻めではこちらのバランスも崩れて、万が一がありえる。
ある意味、始まった時点で勝負はついていたのかも知れんなぁ」
「初めて指揮を執ったジークフリート殿下があそこまで近衛騎士達の気持ちを掴むなど、それこそ考えてもおりませんでしたからな。
そうなると、近衛と我らでは、心の持たせようも違ってまいりますし。まさかそれがこうも影響するとは」
やれやれ、と副長が首を横に振る。
近衛騎士団とプレヴァルゴ騎士団では、事前に明かすことが出来る想定が違っていた。
近衛騎士団において近衛騎士は全員貴族家出身であり、その身元はしっかりと確かめられている。
逆にプレヴァルゴ騎士団は元平民を騎士として取り立てていることも多い。
結果、『王家が脱出の準備を整えるまでの1時間』という話は、近衛騎士はほとんど知っているし、反対にプレヴァルゴ騎士団はガイウスと副長しか知らない情報となっている。
故に近衛騎士団はなんとしても1時間をと粘れたし、プレヴァルゴ騎士団は時間の意識を持つことなくじっくりと攻め崩した。
彼らが考える勝利条件が、実はずれていたのである。
「かと言って、教えるわけにはいかんからなぁ」
「ですなぁ、いくらガイウス様でも、それを漏らせば打ち首でしょうし」
「縁起でも無いことを言うな。実際それだけの罪にはなろうが」
冗談めかして言う副長へとジト目を向けながら、ガイウスは頭を掻く。
王族の生死に関わる機密なのだ、漏らしてしまえばガイウス本人はもちろん家族にも累が及ぶだろう。
当然知ってしまったプレヴァルゴの騎士や兵士も一族郎党皆殺しの憂き目に遭うのは間違いない。
つまりガイウスは、真の勝利条件を明かすことが出来ない中で勝利を目指す、というハンデ戦をやっていたようなものなのだ。
「所詮模擬戦なのだし、そこまでこだわる必要もないとも思うんだが、今までそれでもやれてたからなぁ」
「ジークフリート殿下の手腕、人心掌握がそれだけお見事だったということなのでしょう」
「結果、戦術的には勝利しても戦略的目標は達成出来ず、か」
目の前の結果だけを見れば、近衛騎士団全滅に対しプレヴァルゴ騎士団は半数以上が健在であり、快勝と言って良い。
だが、その裏で王族を取り逃がす結果も招いているわけで、これがもしも他国への侵攻時に起こったらどんな事態を招くか。
逃げた王族が落ち延びた先で再起すれば占領統治政策に大きな影響を与え、長期的な泥沼状態になる可能性は低くない。 そうなってしまえば浪費される資金や人員は跳ね上がり、戦以上の損失を招くことすらありえる。
それは長い目で見れば敗北にも等しいと言えるだろう。
「実戦で相手取るのは当然他国、であれば戦略目標もきちんと共有しますから、今回と違う、と言えば違いますが」
「そいつは悔し紛れの言い訳ってもんだ。今まではそれでも勝ってたし、今回もお前と俺はそのつもりで模擬戦に望んだ。
知られてないからって、後からこっそり条件を変えようってのもかっこ悪いじゃないか。
それに何より、失礼だろ?」
そう言いながらガイウスが視線を向けた先には、敗北してなお顔に誇りを滲ませた近衛騎士達。
彼らは模擬戦では敗北したものの、その裏にある守るべきものを守った。
それを後から踏みにじるような行為は、あまりにみっともない。
きっと愛娘であるメルツェデスの、最も嫌う行為でもあろうし。
「左様ですな。……となると、今一度我ら鍛え直しですな」
副長がぽつりと言えば、聞こえていないはずであるプレヴァルゴの兵士達が、背筋を震わせた。
彼らは鍛えられた結果、悪い予感の検知能力が鋭くなってしまっている。
きっと次の夏は、更なる地獄が待っていることだろう。
「だな。……まあ今は、きちんと労ってやるか」
やっと心の折り合いを付けたガイウスは、ゆっくりと部下達の元へ歩いて行く。
途中、遠くにまだ地面に転がったままのジークフリートを見かけ。
「……お見事な采配でございました」
と小さくつぶやき、胸に手を当てて騎士の礼をとり。
それから、改めて部下達の元へと向かった。
そのジークフリートは、疲れた身体野中で悔恨と達成感がない交ぜになって、いまだ立てずに空を見上げていた。
指揮官としてやるべきことはやれたのか。
やれたとも思うし、至らないところもあった。
特に、幾度か感情の高ぶりのせいで視野が狭くなることがあったのは、反省すべき点だろう。
それでも。
模擬戦における最長戦闘時間の更新、何よりも王家を逃がすための1時間を稼げたことは誇っていいはずだ。
例え、大っぴらに喜べないことであっても。
だからジークフリートは、ぐっと握りこぶしを作って、ほんの少しだけ、天に向かって掲げた。
と、そんな彼の顔に、大きな影がかかる。
「殿下も随分と男前にされましたな!」
爽やかな声と共に右手を差し出してきたのは、ギュンターだった。
かくいう彼の顔とて土埃に塗れ、随分と汚れている。
だが、そんな彼の顔を見て、浮かんできたのは笑みだった。
「ははっ、そういうギュンターだって、人のことは言えないだろう?」
そう答えながらギュンターの右手を掴めば、ぐいっと引き上げられて上半身が起き上がる。
ふぅ、と息を一つ吐き出して周囲を見回せば、同じようにへたり込んでいるか、倒れ臥している近衛騎士達。
思い思いの格好をしている彼らは、一様にギュンターと同じような顔をしていた。
「私がこれ以上男前になってしまえば、ついにいわゆるモテ期という奴が来てしまいますな!」
「言ってろ、っていうかギュンターもそういうの気にするんだな」
「いえ、あまり気にはしておりませんが」
「なんだそれ」
軽口を叩けば、冗談が返って来る。
そんなやり取りにしばし笑ってから、不意に訪れる沈黙。
先に口を開いたのは、ジークフリートだった。
「……負けたな」
「そうですな」
ぼんやりと眺めている先では、クララが治癒魔術をかけて回っているが、その相手はほとんどが近衛騎士。
技量の差か、覚悟を決めて前に出た故の結果かはわからない。
わからないが、治癒魔術を必要とする程の怪我を負ったのは近衛騎士団の方が多かった。
そのことは紛れもない事実だ。
「……悔しいな」
「はい」
思っていた以上にあった、騎士達個人の力量差。
指揮官としても、当然と言えば当然だが、対応力で敵わなかった。
それでも、幾ばくかの成果は掴み取ることが出来た、のだろう。きっと。
「次は、負けたくないな」
「もちろんですとも!」
力強い答えが返って来れば、その頼もしさにジークフリートは破顔した。
「……殿下達、笑ってらっしゃいますね?」
治癒魔術を騎士に掛けながら、意外そうな顔でクララが呟く。
「ふふ、流石ね」
その隣で、骨折した騎士の骨を接いで固定しているメルツェデスが楽しげに笑う。
余力の残っていた彼女は、骨折など補助をしてから治癒魔術を掛けた方がいい負傷者の治療を手伝っていたのだ。
治療を受ける近衛騎士達からすれば、それはそれで悔しいものもあるだろうが、大半は『メルツェデス嬢だから仕方ない』と悟りの境地である。
「流石、ですか? その割にはメルツェデス様、嬉々としてボコボコにしてたように見えましたけど……」
「嬉々としてかはともかく、心を込めてボコボコにして差し上げたのは事実ね」
「いいんですかそれ!?」
誰憚る様子なく言うメルツェデスに、思わず悲鳴のような声を上げるクララ。
メルツェデス病が進行しているとはいえ、まだまだ彼女は普通の感性が残っている。
戦場に出る連中の感覚など、まだまだわからないところが多いのだ。
そんなクララへと、メルツェデスは自信たっぷりに笑って見せる。
「ええ、もちろん。だって、この程度で折れるような方々ではないもの」
そう言いながらメルツェデスが視線を向けた先を、クララも追いかける。
そこには、やっと立ち上がって、何やら文句を言いながらギュンターの肩を小突くジークフリート。
対するギュンターは、いつものように爽やかに笑いながら、ジークフリートの背中をバンバンと叩いていた。
「……そうですね、お二人ともいつも通りに見えます」
背中を強く叩かれすぎたのか、咽せて涙目になるジークフリートを見ながら、クララは小さく頷く。
なるほど、そういう信頼の形もあるのか、と。
「……メルツェデス様、私もいつか、あんな風になれるでしょうか」
「それは……エレンに止められそうだけれど。クララさんが望むなら、きっとなれるわ」
それこそ、ゲームのクララであれば鍛え方によってはメルツェデスとのタイマン勝負も張れた。
そして今、目の前にいるクララであれば。
この根性と身体能力があれば、きっとあんな風に笑い合う関係にもなれるだろう。
「私、強くなります。メルツェデス様と打ち合えるくらいに。エレーナ様を守れるように」
「まって、それは楽しみだけれど、わたくし、別にエレンを襲うつもりはないわよ?」
「あっ、ちがっ、そうじゃなくて、何かあった時にっていう意味で、メルツェデス様と打ち合えるくらいになったら大体の相手からは守れるかなって、そういうことで!」
揶揄われたのを真に受け慌てて弁明するクララ。
そんな彼女を見ながら、きっと強くなるのだろうな、とメルツェデスは思う。
「わたくしも、負けていられませんわね」
それぞれの戦場で、それぞれに強くなっていく彼ら彼女ら。
その姿に、メルツェデスは更なる向上心がかき立てられるのを感じていた。




