抗う者、刈り取る者。
「うわ、えぐい……」
訓練場傍の建物から模擬戦を見学していたエレーナが、ぽつりと零す。
『魔獣討伐訓練』を戦い、プレヴァルゴのキャンプを経験した彼女ですら、えぐいと表現してしまう状況が、眼下で起こっていた。
「ギュンターさんも夏よりはずっと強くなってるし、メルとの差は確実に縮まってるけれど……それでも、圧倒的ね……」
その隣に座るフランツィスカも、神妙な顔で頷いて見せる。
盾を投げ捨ててメルツェデスを迎え撃ったギュンターは、それでも2合は撃ち交わした。
だが、3合目で手が痺れたか剣を弾き飛ばされ、脱落。
先輩である近衛騎士達も、1合、2合は返せた者もいた。
けれど、残念ながらメルツェデスを止められるだけの猛者はおらず、ついに突破を許してしまう。
メルツェデスが懐に入ることを許してしまえばもう、長槍を手にしている歩兵達に対抗手段はほとんどない。
手も足も出ずメルツェデスに打たれるか、対抗しようと槍を捨てて抜剣したところをプレヴァルゴ歩兵の槍で打たれるか。
恐ろしい勢いで、歩兵達の築いていた戦列が削り取られていく。
「本当に、戦局が一気に変わってしまうなんて……なんだか、身体が震えてきました」
「ねえクララ、それは恐怖とか畏怖によるものよね? 決して武者震いなんかじゃないわよね?」
「え!? え、あ、もちろん、そうに決まってるじゃないですか!」
食い入るような目で見ていたクララへとエレーナが確認すれば、明らかにキョドったクララは、大きく目を逸らした。
ついにクララに対しても無視できないくらいメルツェデス病が侵食してきたか、と思わず額を抑えるエレーナ。
なお、もうとっくにフランツィスカは重症患者として諦めている。
それはともかくとして改めて模擬戦へと目を向ければ、騎兵達の方も決着が付きそうな情勢。
最早歩兵と騎兵、弓兵を守る壁は崩壊寸前とあって、一部は弓を捨て補助武器であるショートソードを抜き放っている。
「……この状況でも、まだ諦めないのね」
「そうね、何しろ殿下があそこまで奮闘しているのだもの、どんな督戦隊よりも効果があると思うわ。それに……」
「ええ、それに……多分、殿下も、ガイウス様もわかってやってるはずよね」
エレーナとフランツィスカが意味深な言葉を交わせば、意味がわからないクララはきょとんとした顔。
そんなやり取りをしている眼下で、ジークフリートは今も弓を引きながら声を張り上げ、兵を鼓舞している。
踏みとどまり、身体を張り、それでいてむやみやたらと前に出たりはせず、指揮官としての責務を全うしようとしているその姿は、敗色濃厚な中にあっても決して惨めではない。
「わかってはいたけど、殿下はいい指揮官におなりになるわ、きっと」
「ええ。『魔獣討伐訓練』で見せた姿は決してまぐれなんかではなかったとはっきりしたもの」
しみじみと語り合う二人が見ている前で、ついに近衛側の歩兵は瓦解、弓兵へとプレヴァルゴ歩兵達が殺到する。
「水平斉射用意! 放て!」
ジークフリートが声をあげれば、そこに襲いかかる、守る壁がなくなったからこそ出来る水平射撃の斉射。
盾で防げなかったか、放った矢の半数ばかり、十数人のプレヴァルゴ歩兵が脱落。
だが、もう次の矢を用意する暇はない。
「総員弓捨て、抜剣! 最後まで抗うぞ!」
そう叫びながら自身も抜剣し、ジークフリートは駆け出した。
……歩兵達へではなく、その脇から向かってくる一人の人影に向かって。
彼女に近づかせてはいけない。剣に慣れた近衛騎士達でも相手にならなかったのだ、ショートソードを手にした弓兵など一瞬で溶かされてしまう。
であれば、彼女の足止めをするには。
「メルツェデス嬢! 近衛騎士団指揮官ジークフリート・フォン・エデュラウム、貴女に一騎打ちを申し込む!」
完全に勝敗が決した戦場での、一騎打ちの申し込み。
どう考えても無駄であり、かつ、仮に勝っても即座に討ち取られるであろう酔狂な行動。
だからこそ。
「なるほど、そう来ましたか……かしこまりました、殿下。このメルツェデス・フォン・プレヴァルゴ、一騎打ちをお受けいたします!」
酔狂だからこそ、メルツェデスは受諾した。
冗談でもなく、遊びでもなく。
もはやほとんど潰えた勝ち筋を、わずかでもたぐり寄せるために。
必死に考え抜いた末の一手だと、雄弁にジークフリートの表情が語っている。
こんな顔を見せられて、滾らないような女ではないのだ、メルツェデスは。
そして受諾されたジークフリートは。
背筋を震わせながらも、満足そうな笑みを見せた。
慎重に剣を握り直し、駆けていた足を緩め、慎重に一歩一歩、歩みを進めていく。
「受けてもらえたことに感謝する!」
大きな声を張り上げれば、足を止めて大きく深呼吸。
一騎打ちであることは受け入れられ、恐らく周りにも聞こえたはず。
であれば、一騎打ちが終わるまで邪魔が入ることはないだろう。何しろプレヴァルゴの兵達は、メルツェデスのことをよく知っているだろうから。
下手に割って入ろうものなら、味方であるはずのメルツェデスから斬られかねない。
そんな彼女相手だからこそ、この手に出た。例え、勝ちを拾える確率が限りなくゼロに近いのだとしても。
不自然でない程度に数秒時間を使って、呼吸を整える。
……かつての『魔獣討伐訓練』の際、終わった頃にはばてばてだったことを考えれば、あれから体力も付いたようだ。
身体はまだ動く。頭もはっきりとしている。まだ、戦える。
「それでは! ジークフリート・フォン・エデュラウム、参る!」
「メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ、お相手いたします!」
互いに名乗った後、即座にジークフリートは踏み込み……すぐに急停止。
メルツェデスの間合いの外で、数秒ほどではあるが、じっくりと観察する。
あれだけ暴れてきたというのに、呼吸は既に整いかけているし疲れも然程見えない。
少しは体力が付いたと思ったが、どうやら彼女と比べればまだまだな様子。
まして剣の腕など……と考えていた矢先に。
観察していたからこそわかった僅かな違和感。来る、と感じた直感を信じて剣を横にして頭上に掲げれば、耳障りな音が激しく響く。
「くっ、おぉぉっ!! ま、まだまだぁ!」
「今の一撃を防ぐとは、腕を上げられましたね、殿下!」
メルツェデスが戦場の高揚を纏って放った一撃は、動き出しをほとんど感じさせない神速の一撃だった、はず。
それを見事に防ぎきったことは、賞賛に値する。
だが、その1合で手に痺れが走ったか、構え直しながら後ろへと下がるジークフリートの剣を握る手付きはおぼつかない。
その機を逃さず一気に決めようとメルツェデスが踏み込むも、ジークフリートは大きく後ろに飛んで間合いを外す。
だが、飛んでも即座に間合いは詰められ、二度、三度と重ねればその距離は詰まり。
ついに離しきれなくなったその時、間の悪いことにジークフリートは躓きでもしたか、がくりと体勢を崩した。
「いただきました!」
「……まだだと、言った!」
ここぞ、とメルツェデスが踏み込んだ瞬間、ジークフリートは……堪えることなく、身体を崩れるがままに倒す。
そして、崩れゆく体勢のまま下からすくい上げるような一撃を、防御も何も捨てて相打ち覚悟でメルツェデスへと向けて放ち。
その一撃は、好機と見て一気に踏み込んできたメルツェデスの出鼻を捉えた。
……かに見えた。
「う、っそだろ……」
思わず、王子らしくない言葉が零れてしまう。
崩れたと見せて誘いに乗せた、はずだった。
なのに、まるで見抜いていたとばかりにメルツェデスは急停止、その鼻先を、ジークフリートの剣先が通り過ぎていく。
メルツェデスほどの剣士を相手に、その空振りは致命的だった。
地面に身体が落ちれば、まだそこから身を捩って動こうとすることも出来たかも知れない。
だが、まだ崩れた身体が宙にある内に来られては、どうしようもなかった。
とん、とご丁寧にも首筋をメルツェデスの剣が叩き。
「ジークフリート殿下、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴが討ち取りました!」
メルツェデスが勝利を宣言したのとほぼ時を同じくして、近衛騎士団は歩兵も騎兵も弓兵も全員が脱落判定を受けていた。
つまり、近衛騎士団の部隊はこれにて全滅。
プレヴァルゴ騎士団の勝利が確定した。
「我らの勝利だ、勝ち鬨を上げよ!」
よく通る声でガイウスが宣言すれば、それに呼応してあちこちから野太い勝ち鬨が上がる。
近衛騎士団に勝つこと自体は何度も経験しているが、それでもやはり勝利は勝利、皆の表情は一様に明るい。
ただ、指揮官であるガイウスは心から喜べていない顔でその光景を見ていたのだった。




