人事を尽くして、鬼を出す。
怒号飛び交う模擬戦においても、一際異彩を放つ音が響く。
打ち込まれる槍をメルツェデスが薙ぎ払う度に、硬くもしなやかなはずの柄が何とも耳障りな音を立てて折れた。
近衛側の寄せが少しでも弱まればギュンターへとその剣が襲いかかり、盾がひしゃげるような音がする。
ヒグマか何かが暴れているかのような破壊的な音と、積み上げられていく物理的損害。しかし。
「下がれ! 替えの槍はこっちだ!」
「すまん、助かる!」
そんなやりとりをしながら、まるでこのことを予期していたかのように槍を折られた騎士は即座に交代、後方に用意してあった槍を交換して戻ってくる。
元々槍が随分と長いため、近衛騎士である彼らの身体能力ならばメルツェデス相手でも離脱は容易であり、他の面々が踏ん張っているため戻ってくるまでに突破されるということもない。
「あらあら、用意のいいこと……これでは中々近づけませんわねぇ」
槍を折れば抜剣して近づいてくるだろうと踏んでいたのだが、その目論見は崩された。
ならばと盾役であるギュンターをまずは、と狙いを定めれば、今度はそれを邪魔される。
ここでも金と物資に物を言わせて戦線を維持する方向性は貫かれており、メルツェデス相手にも一定の成果を上げていた。
一気に戦局を動かしかねなかったメルツェデス襲来を何とか凌ぎ、戦況は一旦落ち着いた、ように見える。
ジークフリート率いる近衛騎士団としては、望む展開に持ち込めた、はずなのだが。
「……このままでは拙い、な」
戦場を見渡したジークフリートがぽつりと呟く。
最初に接敵した歩兵達は、何とか均衡を保っている。
騎兵も側面を狙ってきたプレヴァルゴの騎兵を相手に、よく粘っている。
突入を許せば歩兵の総崩れを招きかねなかったメルツェデスも、ギュンター達が凌いでいる。
だが、騎兵の損耗は明らかに近衛側の方が早いし、メルツェデスもいつまで凌げるかわからない。
このままではじり貧となるのは目に見えているのだが。
「こちらも打つ手は尽くしておりますからな……後は天に任せるしかございません」
「だが、それでは押し負ける。何か手を打たないと……」
とは言うものの、ジークフリートとしても打つ手は浮かばない。何しろ、事前に準備した手はほぼ打ち尽くしてしまったのだから。
打つべき手を打った上で、力負けをしそうになっている。
そのこと自体は事前に予測はされていたことだし、騎士達にも話は通している。
けれど。
ここまで奮戦している彼らに、報いたくなった。
勝ちは難しくとも、引き分けには持ち込めないかと。
そのためには、勢いのある騎兵か、それとも自由に暴れさせてはいけないメルツェデスのどちらかを何とかしなければ。
ジークフリートの意識が、左右へと向けられる。
それが、分かれ目だった。
正面でプレヴァルゴ歩兵の圧を受け止めていた前線が、少しずつ崩れ始めていく。
元々、矢に糸目を付けない射撃と近衛騎士の技術で保たせていたところが、弓兵の数が減ったことでプレヴァルゴ歩兵の圧を殺しきれなくなっていた。
更に時間が経過したことにより、地獄のキャンプで鍛えられたプレヴァルゴ側の体力が物を言い始め、逆に近衛騎士達は本来の動きが発揮出来ない。
間の悪いことに、ジークフリートの意識が左右に行っていたため対応も遅れてしまった。
「しまった! くっ、しかし……」
気付きはしたが、ジークフリートは次の指示が飛ばせない。
弓兵をもう一度全員歩兵側に向けるのは間に合うのか、その場合騎兵はどうなるのか。
だが、歩兵が崩れれば弓兵を守る壁がなくなってしまう。迷っている暇はない。
「弓兵、その場で向き変え! 歩兵へと向けて援護射撃! 斉射はいい、各自の判断で射撃せよ! 弦が切れるまで撃ちまくれ!!」
隊列を整えねば斉射は効果を発揮しないが、それよりも時間を優先すべきとジークフリートは判断した。
その意を受けた弓兵達は、歩兵達を支援為べく各個に狙いをつけて次々と矢を放つ。
これ自体は、戦線の維持において悪い判断ではない。
「副官、すまないが騎兵の方に回って直接指揮を!」
「かしこまりました、なんとか保たせてみせましょうぞ!!」
そう言いながら彼は愛馬に跨がり、槍を手にして駆けていく。
これもまた、想定していたパターンの一つではある。ほぼほぼ最後の手だが。
「後は、私は……」
最早こうなれば、彼も槍を手にして歩兵の方へと向かってしまいたい。
だがそれは、本当に最後の最後、玉砕覚悟の手だ。
そんな軽率な真似は、この期に及んでするわけにはいかない。
ならば。
ジークフリートは弓を手に取り、矢をつがえる。
「総員奮起せよ!! ここが正念場だ、踏みとどまれ!
ここを乗り切れば、また流れは変わると心得よ!!」
そう叫びながらジークフリートが強弓から放った一矢は、過たずプレヴァルゴ歩兵を捉え、脱落させた。
途端に歩兵達から歓声が上がり、萎えそうだった気力を奮わせて押し返さんと槍を振るい始める。
その光景を見ながら、ジークフリートは内心で冷や汗を流す。当たって良かった、と。
彼とて様々な武技を訓練しており、弓もその中には含まれている。
だが、この距離、乱戦の中、味方歩兵に当てないよう山なりに射って当てられる自信などなかった。
それが偶然命中し、敵を脱落させて味方の士気を上げたのだ、これ以上ない結果と言って良いだろう。
「見よ! 私ですら当てられるのだ、相手も疲れている! 怯むな、立ち向かえ!」
最早指揮では無くただの激励でしかない声。
それでも確かに兵達には届き、力を与えた。
まだだ、まだ終わらない。終わらせない。
決意を込めてジークフリートがもう一度矢をつがえた、その時だった。
「まずい、予備の槍がもう無い!」
「嘘だろ!? 百本はあったんだぞ!?」
そんな悲痛な叫びが聞こえ、拙い、とそちらへ矢を向ける。
見れば予想通り、メルツェデスが相対していた歩兵達の槍を叩き折りまくっている光景が目に飛び込んで来た。
「もはやこうなっては!」
槍を折られた一人がついに抜剣し、メルツェデスへと踏み込んだ。
と、思った次の瞬間には、倒れ臥し、脱落していた。
「はぁ……やっと予備が全て折れましたか、流石に少々骨でしたわねぇ」
額に汗を滲ませたメルツェデスが、朗らかに笑う。
そう言っている間にも、彼女に向かって振るわれる残った槍を叩き折っているのだが、先程の瞬殺劇を見て、流石に続けて飛び込める騎士はいない。
しかしそうしている間にも槍の数は減っていく。ということは当然、メルツェデスに余裕が生まれていく。
そして。
「ぬぅぅぅ! まだです、まだ終わりませんぞ、メルツェデス様!」
ギュンターの呻き声と共に、メルツェデスの猛攻を受け止めていた盾が完全に壊れてしまった。
即座に盾を投げ捨て、剣を構え直すギュンター。
彼はまだ、もちろん折れていない。近衛騎士達も、怯んではいるが折れていない。
更に、ジークフリートがつがえていた矢をメルツェデスへと向け、支援射撃をする心づもりだ。
「流石はギュンターさん。皆様もまだまだ、意気軒昂なご様子。このメルツェデス、全力をもって当たらせていただきましょう!
メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ、推して参ります!!」
だがそれでも。これが、模擬戦の趨勢が決した瞬間だった。




