たで食う本の虫。
立ち並ぶ本棚は、どれもこれも興味深いものばかり。
舌なめずりせんばかりに目を輝かせながら書物を吟味していたヘルミーナが、一冊の本を手にした。
ぱらり、と表紙をめくってみれば。
「……属性系統に関する研究。ほうほう?」
ちらりと見れば、どうやら詠唱技術や呪文が載っているものではなく、理論的、概念的な話のよう。
実用性重視であるヘルミーナからすれば、あまり興味を引かれるものではない。
しかしこれでも何か新しい発見があるかも知れない、と立ったままでページをめくっていく。
と、そんな彼女に対して横合いから声がかかる。
「ミーナ、立ったまま読むだなんて、行儀が悪いぞ」
「うるさいもやし野郎、私の親でもあるまいに」
「いや、それはまあ、そうなんだけど」
言い返されたリヒターは、ふむ、と一つ思案する。
本来であれば正論である言い分は、しかし一般的なマナーに基づくものでしかないから、ヘルミーナにはいささか通じない。
であれば。
「その読み方だと、本を傷める。そしたらその本を取り上げられるかも知れないし、そもそも書庫を出禁になるかも知れないぞ?」
「……むぅ、それは確かにまずい……」
これには納得したのか、若干不満げではありながらも閲覧用の机へと本を手にしたヘルミーナは向かう。
なるほどこれが彼女の操縦法か、とリヒターは手応えを感じるも、しかし顔に出さないように気をつけた。
もしもそんなことを考えていることに気付かれでもしたら、ヘルミーナのことだ、へそを曲げてしまって一層面倒なことになりかねない。
リヒターも貴族令息、表情を取り繕いながら思考することには慣れているのだ。
気を取り直して本を読み出したヘルミーナを見てほっと安堵しながら、リヒターもまた一冊の本を手にした。
「そっちの本はどんな内容?」
「ああ、属性という概念に関する研究論文みたいだ。そっちは?」
「近いところにあったからか、似たようなもの。属性相性に関する考察」
「なるほど。そっちの方がどちらかといえば実践的だし、ミーナ好みじゃないか?」
「かも知れない。まだ読んでないからわからないけど」
リヒターに言われて、普段のツンケンした様子はどこへやら、珍しく素直に頷くヘルミーナ。
恐らく本の方へ意識がいっているからだろうが、張り合いがないような、こうしていたら可愛いのにと思うやら。
そして、数秒後にそんな自分の思考に気がついて、ぶんと一つ首を横に振った。
気のせいだ、気の迷いだ、血迷うな、相手はミーナだ。
そんなことを自分に言い聞かせ、気を取り直して本へと目を落とす。
そして、お互い黙ってページをめくることしばし。
ふと何かに気がついたリヒターが顔を上げた。
「……ミーナ、まさか少しでも風属性に対する水属性の不利がなんとかならないか、とか考えてないか……?」
「ちっ、勘の良い……」
「お陰様で、生き延びるための第六感は文字通り死ぬ思いの中で磨かれたからな……やっぱりそういうことかっ」
静かな書庫の中でミーナの舌打ちが響けば、なんとか自制心を振り絞って声を抑えたリヒターが言い返す。
ここのところの手合わせでも、やはりヘルミーナの方が大きく勝ち越してはいるのだが、リヒターの魔術による防御の腕も著しく向上しており、簡単に押し切るということが出来ていない。
そして、リヒターの技術が向上したことにより、本来の属性相性が意味を持つようになってきたとリヒターは感じており、それはヘルミーナも同様だったらしい。
「属性相性に対する先入観が払拭されれば、新しい突破口が見つけられるかも知れないし」
「そんなもの見つけなくていい、と言いたいところだけど……」
「連中の打ってくる手を考えたら、私が風属性相手に有効打を打てるようになる影響は大きい。でしょう?」
「ああ、まったくもってその通りだ。ミーナの魔術攻撃は、間違いなくこちら側における最大火力の一つだし」
煽るような口調でなく淡々と語るヘルミーナに、残念ながらリヒターは頷くしかない。
思い起こされるのは、初夏にあった『魔獣討伐訓練』での敵の顔ぶれ。
水属性・風属性が中心で、火属性が皆無。
つまり、水属性魔術のダメージが通りにくい相手が多く、通りやすい相手がいなかった。
普通であればあまり攻撃魔術のイメージがない水属性への対策を取っていたということは、ヘルミーナの火力を知っていて警戒していた、ということだろう。
となると、今後大規模な攻勢があった場合にも同様の手段が取られる可能性は高い。
「だから、もやし野郎をボコるついでに連中を一掃出来るようになればwin-winというもの」
「誰とのwin-winだよ。そもそも優先順位逆だろ、せめてそこは取り繕え」
「ふ、貴様相手に取り繕う必要などない」
「なんでそこでドヤ顔なんだよ、威張るようなことじゃないぞ、おい」
『ドヤァ』と背後に擬音が描かれそうな顔で得意げに言うヘルミーナ。
呆れるべきか反論すべきか、迷うリヒターは額に手を当ててため息を吐く。
強いて言うならば、今回の派遣費用を出したり、書庫閲覧の許可を取り付けた王国とヘルミーナのwin-winにはなるだろうか。
実際、有事の際にヘルミーナの火力が活きるようになれば、王国にとっても大きい。
それはリヒターにもよくわかるのだが。
「しかし……確かにミーナの魔術が風属性に効くようになれば大きい、大きいんだが……」
「なに、文句でもあるの、もやし野郎」
「そりゃ、僕個人の身の安全っていう意味では文句もあるけど。それだけじゃなくて」
そこで一度言葉を切ったリヒターは、しばし手にした本へと視線を落とす。
それから、ヘルミーナの持つ本へと視線を巡らせて。
数秒ほど考え込んだ後、口を開いた。
「……いや、今はまだやめておこう。これはまだ、憶測の域を出ないし」
「何それ。隠し事とか生意気」
「いや、隠し事の一つや二つで生意気とか言われるのも理不尽だと思うんだが?」
口を尖らせるヘルミーナへと声を抑えながら言い返した後、リヒターはコホンと小さく咳払いをする。
「ただ、僕の考えた通りで、それを裏付ける資料が見つかれば、必ずミーナには教えるよ。
……むしろ、教えないといけない、かも知れない」
「どういうこと? よくわからないのだけど」
「僕だってはっきりとはわかってないんだ、そこは勘弁してくれよ」
怪訝な顔をされても、リヒターはヘルミーナへと苦笑を返すしかできない。
何しろこれは、出来れば外れていて欲しいと思っている仮説なのだから。
「一先ず仮定の話はここまでにしておかないか? ミーナだってそっちの本を読み解いた方がいいだろうし」
「くっ、それは確かに。ここにもやし野郎打倒の秘策がきっとあるに違いない」
「いや、もうとっくにボコボコに打倒されてるんだけどな……」
早速本へとのめり込み始めたヘルミーナを見ながら、かなり情けないことを苦笑いしながら零して。
リヒターもまた、本腰を入れて本を読み始めた。




