弟と兄と。
「すまないね、失礼するよ。……ああ、もしかしてそれは、明日の作戦案かい?」
部屋へと入ってきたエドゥアルドは、ジークフリートが机の上に置いた書類を目敏く見つけた。
特段隠す必要性も感じないジークフリートは、こくりと頷いて見せる。
「はい、先程近衛騎士団との打ち合わせを終えて、今は読み込みをしていたところです」
「それはちょっとお邪魔してしまったかな。……見せてもらっても?」
「構いませんが、ガイウス殿には教えないでくださいよ?」
「はは、もちろんだとも。こう見えても私だって、ジークの勝利を願っているんだからね?」
エドゥアルドが問えば、冗談めかした答えが返ってきた。
だからエドゥアルドも、軽く答えたのだが……ジークフリートはすぐには答えを返してこない。
おや? と訝しげに思うも、エドゥアルドは書類に目を落とし。
程なくして、ジークフリートが返事を返してこなかった理由を理解した。
「なるほど、勝つためではなく、負けない方向に舵を切るわけか」
「はい。……近衛騎士団の皆には申し訳ないのですが……」
納得顔のエドゥアルドへと返されるのは、言葉通りに申し訳なさげな声。
見れば、普段はキリッとしている眉も、情けなげに垂れてしまっている。
生真面目なジークフリートからすれば、この作戦を選択すること自体が後ろめたいのだろう。
だからエドゥアルドは、小さく笑ってみせた。
「気にすることはないんじゃないかな。近衛の仕事を考えれば、守るための戦いを磨くのは有用なこと。
まして相手は天下のプレヴァルゴ騎士団なんだ、彼らを相手に凌ぎ切ることができれば、どこを相手にしたって守り切れるという自信になるだろうしね」
「それは……確かに、そうなのですが。彼らの誇りや名誉を考えると、それでもやはり迷ってしまって」
一度頷くも、悩みが深い分、そう簡単には納得してくれないようである。
さてどうしたものか。一瞬だけ考えたエドゥアルドはジークフリートに問いかけた。
「ジークは、そのことを確認したかい? この戦い方で、彼らの誇りを傷つけないかと」
「え。……いえ、確認は、してないです。……てっきり、そうなのだとばかり……」
問われて、ジークフリートは虚を突かれた顔になって。
考えても、彼らにそれを聞いた記憶が出てこなくて困惑してしまう。
「なんなら明日、模擬戦の開始前、最後のミーティングの時に確認してみるといい。
近衛になろうっていう騎士であれば、己の武勲よりも主の無事を何よりの誇りとする者も少なくないだろう?
そもそも、打ち合わせをした上で彼らもこの作戦を受け入れたんだ、意に沿わないものならちゃんと反論してくれたはずさ」
「それは、確かにそうですね。打ち合わせでは、忌憚ない意見をいくつも言ってもらいましたし」
先程までの打ち合わせを思い出せば、確かに意見が盛んに飛び交っていた。
あれだけ直言してくれた騎士達が、ことこの部分だけに意見を控えた、などとは考えにくい。
「だろう? 彼らとて貴族であり騎士である。こういう時に筋道立てて話せるくらいの教養と良識は身についている。
そして、だから彼らもまた、この作戦の意図するところはわかってるはず。
後は明日それを確認すればいいだけさ」
「……やはり兄上には敵いません。私ではそこまで考えが至りませんでした」
ふぅ、と小さく溜息を零すジークフリート。
少しばかり消沈する彼の肩を、エドゥアルドはぽんと軽く叩く。
「そりゃそうさ。一年だけとは言え年上、それに何よりも、私は当事者じゃないからね。
一生懸命になっているジークに見えないものが見えてもおかしくはない。
まあ、逆に渦中に居るジークだからこそ見えるものだってあるのだろうけどね」
「私だからこそ見えるもの、ですか。……見えるかどうかはわかりませんが、見いだせねばならぬと思います。
でなければ、こうして参加してくれる騎士達に申し訳ないですし」
噛みしめるように言いながら、先程の打ち合わせで見た近衛騎士団の面々の顔を思い出す。
まだ学生であるジークフリートの、指揮官としての練習に付き合わされるとあって文句の一つや二つある者もいただろうに、誰一人として顔には出していなかった。
それどころか積極的に提案し、彼らの経験も語ってくれた。
どれだけそれが有り難いことか、ジークフリートは改めて思う。
そして、彼らの供してくれた時間と労力に報いるだけの成果を上げねば、とも。
「明日は、全力で守ります。守るための戦いに徹し、まずは背骨となる戦い方を身に付けなければ。
一本取るために打つ奇策の類いは、それが身についてからにしようかと」
「そうだね、その方がいいんじゃないかな。変な色気を出しても中途半端に終わりそうだし、あのガイウス殿相手に通じる手なんて、そうそうあるものじゃないしね」
「むしろ変な小細工をすれば、要らぬ不興を買いそうですからね……」
言いながら、ぶるりとジークフリートは背筋を震わせる。
彼も時々ガイウスが訓練している様子を見学しているのだが、普段は合理的な指示を出すというのに、手を抜くだとかした途端に鬼と化していた。
特に、まだまだ基礎が出来上がっていない段階の騎士見習いが奇襲技などを使った時には激しく怒り、地味な基礎練を延々とさせるなどしていたものだ。
父クラレンスの教育方針をよく知るガイウスであれば、当然ジークフリート相手に忖度することなどありえない。
むしろ、他の兵士、騎士達よりも厳しく見られることだろう。
「ま、だからと言って何も考えずに正面からぶつかる、っていうのもだめだろうけどね。
……この作戦案なら、まあ悪い評価はされないんじゃないかな。きちんと指揮が出来れば、だけど」
「そう言っていただけるとありがたいです。きちんと出来るかは、それこそ自分の責任なので、まだ気が楽なくらいというか」
「うん、それくらいの考え方でいいと思うよ。自分でもどうにもならないことは、どうしようもない。
なら、自分の責任範囲をしっかりやりきることだね。多分その方が、ガイウス殿の覚えもよくなるだろうし」
不意に、エドゥアルドが揶揄うような笑みを見せた。
その意味するところを察しないほどジークフリートは鈍くはなく、困ったような顔になってしまう。
「確かにその方がいいでしょうが、今はそんなことを考えている余裕はないですよ。
そもそも、その前にまず本陣を落とすのが筋でしょうに」
「将を射んと欲すればまず馬を射よ、とも言うよ? ま、これ以上は野暮ってものだ、余計なことは言わないでおこう。
明日は私も応援にいくよ。頑張れ、ジーク」
「はい、ありがとうございます、兄上。明日は全力を尽くします!」
エドゥアルドの励ましに、すっきりと吹っ切れた顔で応じるジークフリート。
その目の輝きに、エドゥアルドはうん、と頼もしげに頷いて見せた。
「楽しみにしてるよ。……私としては、是非ともジークには近衛騎士団の団長に足る器があると示して欲しいしね。
何せジークに近衛をやってもらえるなら、これ以上なく安心だもの」
「そう言っていただけるのは嬉しいですが、足るかどうかは流石に自分では。しかし、そうであるよう精進します!」
真っ直ぐに向けられる目が、少々ひねたところのあるエドゥアルドには、何とも眩しい。
だが、だからこそジークフリートの前途が輝かしいものであって欲しいとも思う。
「ああ、ジークならきっとなれるさ、素晴らしい近衛騎士団長に」
願うこと半分と、信じることもう半分。
珍しく裏も含みも持たせずに、エドゥアルドは心からそう返した。




