挑む者達。
「ふぁっくしょん!」
一人用の狭いテント内に、大きなくしゃみが響く。
くしゃみを放ったクリスは、ずず、と鼻をすすりながら指で鼻の下をかいた。
ストーブの前で時折手を擦り合わせる彼は、火の側とはいえ冬山にいる人間としては随分な薄着。
見れば、先程まで着ていた訓練用の服はすっかり濡れそぼり、テントの隅で干されている。
あれから1時間ほど泉の中央に立ち、精神集中を行おうとしていたクリストファーだったが、集中しきれない内にとうとう寒さが限界を超えたため、テントへと戻って来たのだった。
「一体なんなの、あれ。集中できそうって思った瞬間にまた噴き上がって……しかもそれが、何度もって。
姉さんの時にはあんなのなかったのに、なんで僕の時だけ……」
ぼやきながら、クリストファーは広げた手をストーブへとかざす。
手のひらを通じてじわじわと熱が身体の中に戻ってくるようで、その感覚が先程まで凍り付くほどに冷たい泉の中に立ち続けていた彼には随分とありがたい。
それならばもう少し厚着をすればよさそうなものだが、鍛えられた彼の身体にとっては、ストーブの熱もあるテントの中では水気さえ拭き取れば大丈夫なようだ。
細身に見えるが、その実しっかりとした筋肉をその身に纏っており、薪を握った時など前腕にくきりと筋が浮かぶ。
今の彼の姿を見れば、年頃の令嬢などは頬を染めながら思わず見蕩れてしまうかも知れない。
もっとも、本人はまだまだ色恋方面には興味がないようだが。
「は~……僕の時だけ、か。やっぱり、人それぞれに泉の荒れ方が違うってことなのかな。
ってことは、僕って泉の精霊様に嫌われてるってこと? いや、そんな失礼なことを考えたらだめか」
そう呟きながら薪の具合を調整したクリストファーは、ストーブの上で湧かしていた湯を使って砂糖を多めに入れた茶を淹れ、口に含んだ。
消耗し冷え切った身体には、糖分多めの暖かい液体は何物にも代えられないご馳走だ。
幾度かそれを口に運び、熱と糖分が身体に回り出したところで、ふとクリストファーの脳裏によぎる考えがあった。
「……もしかして、あの泉の荒れ方って、足を踏み入れたものの内面を映したもの、とかだったりして。
いや、それはそれで、僕の内面が随分と性格悪いやつみたいだけど……でも、そう考えたら姉さんとの違いも説明できる、かも知れない」
考えを巡らせながら、クリストファーはまたカップを口に運ぶ。
冷え切った身体に熱が注ぎ込まれ、血の巡りと共に頭の巡りも良くなってきたような感覚。
実際、身体が冷え切っていた時にこんなことは考えられなかった。
「こうなったらもう、僕の本性が性悪だっていう前提で考えよう。
だから、僕が集中出来そうなタイミングで水が噴き上がる。何しろ自分自身なんだから、集中の状態だってわかるわけだし。
となると、それを逆手に取れば、いつ噴き上がるかわかるはず」
そこまで考えを進めて、しかしすぐにクリストファーは首を横に振った。
「いや、だめだ。そこを気にしてたら、多分そもそも集中出来ない。
こうやってあれこれ気にさせて雑念を生むのが狙いだとしたら……ほんとに性格悪いな」
呆れたように言いながら。同時に、腑に落ちるものも感じていた。
例えばカウンター技である『水鏡崩し』を持ち、守備的な立ち回りも出来るメルツェデスは、そのくせ常に絶対強者として力を振るうような戦い方をする。
だから、あれだけ常に力を見せつけるような荒れ方をしていたのかも知れない。
対してクリストファーは、そんな姉の稽古相手だったせいか、耐えながらも機を見て反撃をする癖がついていた。
もしも、その癖がこの水面にも反映しているのだとしたら。
「なるほど、これはまさに自分との戦い、か。
相手の隙を狙う、隙を作る、そのためには色んな手段を使う……言われて見れば、まさに僕って感じだ」
納得したように呟けば、クリストファーは飲み終えたカップを床に置いた。
少々お行儀は悪いが、一人のテントだ、咎める者は誰もいない。
ならいっそ、と行儀悪ついでにごろんとそのまま寝転んだ。
到着時に丹精込めて設営したテントの床は、しっかりと地面からの冷えを遮断してくれながらクリストファーの身体もしっかり受け止めてくれる。
すると楽な姿勢で身体が緩むと共に気も緩んだか、急に疲れと眠気が襲いかかってきた。
「って、やばいやばい、こんな格好で寝たら流石に風邪引くって!」
慌てて身体を起こすと、荷物の中から着替えを取りだし、ばたばたと手早く身に付けていく。
程なくして寒くないよう着込んだクリストファーは、改めてごろりと横になった。
短時間ではあったが、あれだけの寒さの中だったのだ、体力の消耗は想像以上に激しい。
となると、明日以降はどうするか。
朝、午前中、昼、午後、何をすべきか頭の中で考えていくと、ふと思い出す。
「……そういえば、明日からうちと近衛の合同訓練なんだっけ。
姉さん、良い笑顔で準備してるんだろうなぁ……」
一人旅立つ前に見たメルツェデスの顔を思い出せば、思わず苦笑が滲み。
同時に、近衛騎士団の面々に同情の念が湧いてしまう。
ガイウスはああ言っていたが、プレヴァルゴの騎士団には及ばずとも、なんだかんだ近衛騎士団とて精鋭部隊ではある。
そんな近衛騎士団相手に思う存分力を試せるとあって、メルツェデスはそれはもうワクワクしていたのだから。
「近衛の人達も悲壮なくらいに覚悟完了してそう。ジーク殿下は直前まで作戦を練ってそうだなぁ」
メルツェデス被害者友の会の栄えある会員番号1番を持っていると言ってもいいクリストファーは、明日には被害者友の会入りをしそうな近衛騎士団の面々に少しばかり同情する。
そして、ギュンターと共に剣の相手をしているジークフリートを思い浮かべ……ボコられるんだろうなぁ、などと容赦の無いことを思ったりしているのはここだけの話し。
ちなみに、長く稽古相手を務めている間に愛称呼びを許されていたりするくらいの仲の良さだったりはするのだが……こと姉が絡むと、こうである。
「まあ、みんな怪我しないように……は無理だろうし、クララさんがいるだろうから治してもらえるだろうし……死なない程度に頑張って欲しいなぁ」
穏やかな声で物騒なことを呟くと、クリストファーはうとうとと微睡みに身を委ねた。
一方その頃。
「っくしゅんっ」
王城の一角、ジークフリートの私室に響く小さなくしゃみの声。
その声の主はもちろんこの部屋の主であるジークフリートだった。
「おかしいな、何やら寒気が……誰か嫌な噂でもしてるのか……?」
軽く肩をさすりながら、ジークフリートは暖炉の方を見た。
火属性である彼の部屋では、彼の魔力を込めた魔石が赤々と輝き、暖房としての熱を供給している。
見たところ魔力はまだまだ充分であり、寒さを感じるはずもないのだが。
となると、迷信だが誰か噂でもしているか。
「明日が明日だし、プレヴァルゴ家の作戦会議で私の名前が出たりしたかな?」
などと苦笑を零しながら、手元の書類に目を落とす。
そこに書かれているのは、明日の合同訓練で行われる模擬戦の作戦案。
クリストファーが想像した通り、つい先程まで近衛騎士団との会議で練り上げたそれに、再度目を通している最中だったのだ。
「これが、今の私と近衛騎士団で出来る最大限、かな……」
幾度も見直し、頭の中でシミュレーションをして状況に応じての対応を考え、イメージを作り上げる作業を延々繰り返し。
恐らく、余程の奇策を打たれない限りは迷うこと無く指揮できるだろう、というところまではきた。
「後は実際にどうか、だが……こればかりは、やってみないことには、か……」
作戦は頭に入っており、シミュレーションも出来ている。
だが、プレヴァルゴ家相手に、備えはいくらやっても、しすぎということはないだろう。
後は何をすべきか。
そう考えだしたところで、コンコンとドアをノックする音がした。
「ジーク、私だ。今いいかい?」
「兄上? 大丈夫です、お入りください」
扉の向こうから聞こえたエドゥアルドの声に、断る理由もないジークフリートは即座に快諾する。
許可が出るや否や扉が開き、護衛の騎士を二人伴ったエドゥアルドが部屋の中へと入ってきた。




