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そして、冬山に一人。

 こうして、メルツェデス達もそれぞれに冬の予定を決めたりがあったりしつつ、決意と共にクリストファーは一人で『水鏡の境地』を会得するために泉へとやってきたのだった。

 ただ、一人で、というのはあまり正確ではない。


「なんだかんだ言って父さんも甘いよなぁ……宿泊棟に留守番の人を一人派遣してくれたおかげで、食料が尽きても山を下りずに済むし。

 ……もっとも、ここで倒れても助けが来ないのは一緒だし、危険度はさして変わらない、か」


 宿泊棟は暖炉も完備で薪の備蓄もしっかりとしており、温泉まで引いてある宿泊棟であれば、余程のことがない限りは凍えることはない。

 そこに食料などを運び込んであるため、2時間ほど歩けば食料の補給が出来る、というのは恵まれた環境だ。

 ……と考える辺り、結局クリストファーもプレヴァルゴなのである。

 普通の人間からすれば、雪の山道を2時間も歩くなど遭難覚悟の所業なのだが、彼にとっては当たり前のことらしい。


 今も、かんじきを履いているとは言え危うさのない足取りで林の中を歩き、スパンスパンと小気味良い音を立てながら細い木を切り払っては数本を麻縄で纏めて引きずり運ぶ、という常人離れした作業をしているのだが、その顔は涼しいもの。

 1時間もすれば、普通は集めるのに数時間かかるだろう量の木々がテントの傍に山積みになっていた。

 今度はそれを、薪として使いやすい長さへと切り分け、更に半分、あるいは四分の一にと割っていく。


 それらを全て、手にした剣で。

 魔力を纏わせて鋭さ、威力が増しているとは言え、斧でも鉈でもなく薪割りに不向きな剣でサクサクとこなすなど、やはり普通のことではない。

 

「姉さんや父さんだったら、もうちょっと早く終わらせるんだろうなぁ」


 そんなことをぼやいているうちに、一晩二晩は充分に過ごせそうな量の薪が出来上がった。

 それをテントの中に運び入れたクリストファーは、小型ストーブに薪を足した後、ほっと一息をつく。

 これだけ備えておけば、そうそう凍えることはないだろう。


 後は。

 テントから出たクリストファーは、泉の方へと目をやった。


 はらはらと雪が舞い散る中、鏡のように周囲の風景を写し取る静かな水面。

 会得すべき心境をそのまま表したかのような情景に、クリストファーはしばし見入る。

 夏に見た時よりも更に静けさが深まったように感じるのは、周囲に生物の気配を感じないせいか、それとも白一色に塗り込められたからか。

 いずれにせよ共通するのは、夏に比べて風の音と葉ずれの音以外には彼の呼吸の音くらい聞こえない静けさだということ。

 そんなことはないはずなのに、この辺りの生命が全て絶えてしまったのかと錯覚すらしてしまう程に。


「この中で試練に挑むのは、集中できそうだけど。……万が一のことを考えたら、ぞっとしないなぁ……」


 何も居ない。誰も居ない。

 そんな場所で気絶でもしてしまえばどうなるか。

 数日分の食料を持ってきているから、宿泊棟の留守番が異変に気付くのも数日後。

 それだけ時間が経ってしまえば、本当の意味で誰も居ないことになってしまうのだろう。


 ふるり、寒さ以外の要因で、クリストファーは身を震わせる。


「だからって、今更引き返すわけにはいかないし、ね」


 覚悟を決めて表情を改めると、一度テントの中にも取ったクリストファーはコートを脱いだ。

 ついで上着も脱ぎ、上半身はシャツ一枚に。

 ブーツも脱ぐと、ズボンの裾を膝の上までまくり上げ素足を晒す。

 秋口に水遊びをするような姿になったクリストファーは、一つ大きく息を吸って。

 それから、テントの外へと繰り出した。


 途端に襲いかかってくる、雪交じりの風。

 普通の人間であれば一瞬で凍えてしまいそうな寒さの中、クリストファーはわずかに眉を顰めた程度で、雪原へと踏み出した。


「これは、水属性だからかな。それとも、鍛えてるから、かな。姉さんだったら、間違いなく鍛えてるからだろうけど」


 まだ軽口を叩く余裕を持ちながら、クリストファーは一歩一歩、素足で雪を踏みしめながら泉へと向かってあるく。

 

 水属性は『氷』を内包するため、その属性を持つものは寒さに強いとされるのがこの国では一般的である。

 実際クリストファーの記憶でも、姉メルツェデスも、父ガイウスも雪山で寒さをものともせず身体を鍛えていた。

 そして彼もまた、普通の人間ではあっという間に冷え切るだろう服装で、雪の中を靴も履かず歩ける程度には寒さに強いようだった。


 そして数十メートル歩いたところで泉の縁に辿り着いたクリストファーは、一度立ち止まり、大きく深呼吸を一度二度して。

 それから、改めて静かに水を湛える泉を見つめ。

 そっと、探るような丁寧さで左足を差し入れた。


「……あれ?」


 拍子抜けしたような声が、思わず零れる。

 

 夏にメルツェデスが足を入れた時には、いきなり泉の水が大暴れしたものだった。

 ところが、今彼が足を入れたところ……泉は、彼の足から生じた波紋が踊るばかりで、実に落ち着いたものだった。

 確かに冬の泉は恐ろしく冷たくなってしまっているのだが、ただそれだけなのだ。


「え、これは一体、どういうこと?」


 顔に疑念をありありと浮かべながら、クリストファーは水面をじっと観察する。

 修行するまでも無く彼の心が落ち着いている、という可能性が一瞬頭をよぎったが、彼はそれを即座に否定した。

 例えば破天荒に見えるメルツェデスだが、訓練や修羅場ではぞっとする程に落ち着き払い、全体を俯瞰して見ている。

 その姉が足を入れた時にあれだけ水面が荒れたのだから、今のクリストファーで、こんな状態になるはずがない。


「精霊が休業中とか、そんなことはない、と思いたい、けど」


 少しばかり目を細めて周囲の気配を探れば、少なくとも夏のように水の魔力は周囲からも泉からも感じ取れる。

 ということは、精霊がいない、ということはないはず。

 であれば、こんなにも水面が静かな原因は。


「……わからないけど、いくしかない、か」


 しばし考えを巡らせども、わからないものはわからない。

 これ以上の情報も得られないのであれば、いって確かめるまで。

 そう腹を括ったクリストファーは、両足を泉に浸けた。


 ふくらはぎ程度の深さしかない泉だが、それでも両足を浸けると身体の熱をどんどんと奪われていくような感覚。

 それでも、一歩、また一歩と泉の中央へと向かっていくも、何も起こらない。


 これはもう大丈夫、などといった油断は欠片もない。

 絶対に何かある。これは罠の予感がする。

 感覚を研ぎ澄ませながらも、泉の中央に到達しようとしたその瞬間。


「くっ!?」


 突然、足下で爆発が起こった。

 いや、そう錯覚するほどに、間欠泉のごとく水が猛烈な勢いで噴き上げた。

 如何に警戒していたとはいえ、何もないところで大量の水を浴びながら足下を掬われたクリストファーは、堪らず体勢を崩し、泉へと尻餅をついてしまう。


 呆然とすることしばし。

 ひゅう、と風が吹いて、その冷たさに我を取り戻したクリストファーは……しばし無言で水面を見つめ。


「は、はははは……」


 その口から、零れたのは、乾いた笑い声だった。


「やってくれるじゃないか! いや、多分原因は僕なんだろうけども!」


 声を上げながら立ち上がれば、その感情の高ぶりに同調したかのごとく、水面が沸き立つように大荒れに荒れる。

 怒り、ではない。

 こうなることはわかっていたし、この有様は己の未熟さ故とわかってはいる。

 わかってはいるが……感情が高ぶらずにはいられない。それを沈めなければいけない、とわかっていても。


「拍子抜けとか思って悪かったよ、僕にも油断があったんだろうさ。

 けど、これだけの歓迎をしてくれたんだ、応えてやらないと男がすたる!」


 荒れ狂う水面を掻き分けるようにしながら、クリストファーは泉の中央へと、一歩、また一歩と踏みしめるように歩みを勧める。

 その顔には、彼が今まで見せたことのない、野性味の滲む表情が浮かんでいた。

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