彼の決意。
ある意味楽しい、そしてクリストファー的には胃の痛い夕食も終わり、夜。
クリストファーは、一人でガイウスの私室を訪れていた。
「こんな時間にごめん父さん、ちょっといいかな?」
「クリスか、こんな時間に一人でとは、珍しいな。構わんぞ、遠慮せず入れ」
「うん、ありがとう」
ノックと共に声を掛ければ、すぐに了承の返事が返ってくる。
それを受けて、クリストファーは真剣な面持ちでドアを開けた。
「……ふむ? 何やら込み入った話のようだな」
「あ~……込み入ったといえばそうだけど、用件自体は凄くシンプルなものだったりもするというか……」
「一言で言い表しにくいのなら、それは込み入った話というものだ。まあ座れ、何なら茶でも淹れようか。それとも酒の方がいいか?」
「いやいや、僕は成人前だよ? 流石にまずいでしょ。急に押しかけてきたんだし、お構いなく」
書き物用の机へと向かって座っていたガイウスは、クリストファーに座るようソファを指し示しながら立ち上がる。
遠慮するクリストファーだったが、いそいそとガイウスは私室に付属するミニキッチンへと向かった。
普段は使用人が彼のために使うスペースのはずだが、慣れた様子で紅茶を淹れる辺り、普段から自分でもやっているのだろう。
「丁度休憩用に湯を沸かしていてな、だからついでと言えばついでだ、気にするな」
「そういえば、何か書き物をしてたみたいだもんね。こんな時間までお疲れ様」
流石にそれを見れば、クリストファーとて断れない。
大人しく座って待っていれば、程なくして湯気を立てるカップが目の前に置かれた。
「あ、ありがとう、いただきます」
「ああ、味はあまり期待せんでくれ。……それで、どうしたんだ?」
振る舞われた紅茶を手にし、口を付けるクリストファー。
流石に使用人達が淹れる洗練されたそれとは違うが、これはこれで。
暖かい紅茶にほっと一息吐いたクリストファーは、促されて口を開いた。
「うん、今度の冬のことなんだけど。父さん達が近衛騎士団との合同訓練に参加してる間、別行動をさせて欲しいんだ。
というか……あの山の訓練場で、『水鏡の境地』習得に挑む許可が欲しい」
「なんだと?」
思わぬ言葉に、ガイウスはカップを口から離し、テーブルに置いた。
クリストファーの顔を見れば、至って真面目な顔。冗談やおふざけで言っている顔では、ない。
考え込んだのは数秒ほどだろうか。ガイウスは答えるために口を開く。
「今のお前の鍛え方を見れば、早すぎるとは言わん。
だが、そこまで焦る必要はない、とも思うがな。どの道来年の夏には挑ませるつもりだったぞ?」
淡々とした口調は、それが親心故の過大評価でもなければ過小評価でもない、事実を述べているだけの印象を強める。
実際の所クリストファーは、メルツェデスと比べるのが悪いのであって、同じ年齢の令嬢令息の中では突出した力を持つといっても過言では無い。
ゲームよりも随分と強化されている一つ年上のギュンターとすら互角に斬り結び、魔術においても同年代と比べて頭一つ二つ抜けているほど。
ガイウスのあずかり知らぬところではあるが、能力だけならばゲーム『エタエレ』において『水鏡の境地』を取得する頃のクリストファーよりも強いくらいだ。
だから、習得に挑ませること自体はいいのだが。
「そもそも、冬にあの試練へと挑むのは勧められん。確かに俺達水属性の人間は寒さにある程度強いが、それでも夏と違って雪の降りしきる中で泉に足を浸し続けるのは、体力の消耗も激しすぎて一人で挑むには危険すぎる。
それでも挑もうというのか?」
ガイウスの問いかけに、間髪入れずクリストファーは頷いて見せた。
「うん。……危険性は、僕もわかってるつもり。だけど……ただの勘でしかないんだけど。
夏だと間に合わない。そんな予感がしてならないんだ」
ぎゅっと膝の上で拳を握りながら、クリストファーはガイウスと視線を合わせる。
論理的な根拠もなく危険度の高すぎる挑戦をしようとするクリストファーへと向ける、ガイウスの視線はいつになく強い。
しかし、ここで折れてはなるまい、とクリストファーも目に力を入れる。
「今の情勢を考えると、春から夏にかけて何か大きなことが起こる可能性が高いよね。
そして、父さんはもちろん、姉さんだって間違いなく首を突っ込んでいくだろうけど。
その時に、今の僕じゃ力になれない。下手をしたら、足手まとい、邪魔にしかならないんじゃないかって」
そう言いながら、クリストファーは眉を寄せて眉間に皺を作る。
例えば同じ前衛タイプのギュンターと比べても、剣の腕では確かに互角と言っても良いくらいだ。
しかし彼は、クリストファーよりも遙かに防御力、持久力があり、盾役として見た場合には比べものにならない。
まして姉のメルツェデスとなど比べるべくもない程。その事実は、クリストファーの心に重くのしかかっていた。
ただ。そのことで己を蔑み引き下がるほど弱くもないのだ、彼は。
「もしかしたら、父さんと姉さんの手が塞がってしまうような状況になるかも知れないよね。
そんな時に、まだ若いからって、年下だからって、何もせずに引きこもってるなんてしたくない。
父さんの留守を、姉さんの背中を守れる程度には強くなりたいんだ」
宣言するようにそう言い切ると、じっとガイウスの目を見つめる。
相変わらず向けられる視線は強いものだけれど、クリストファーは怯むことなく受け止めて。
にらみ合うこと、数秒か、あるいはもっとか。
クリストファーを見るガイウスの目から、つぅ……と涙が一筋落ちた。
「え、ちょ、父さん!?」
「大きく……大きくなったな、クリス。
はぁ……メルティだけでなく、お前までこうも早く大人になっていくとは……もう少し子供でいてもいいんだぞ?」
「そう言ってくれるのは嬉しいけど……でも、それが許される状況じゃない気がするんだよね、色んな意味で」
「そこは俺達大人が不甲斐ないせいもあるのが、心苦しいところだがな……。
お前だけでなく、メルティだって、本当はもっと子供らしくしていて欲しいくらいだというのに」
涙を零しながら、クリストファーを見つめるガイウスの目は、優しい。
子供の成長を喜び、同時に切なさも感じている、親の目。
それは何とも気恥ずかしく、クリストファーは少しばかり視線を逸らしてしまう。
「だがそれでも、子供は勝手に育っていくものなんだろうな、親の都合などどこ吹く風で」
「それ、姉さんは特にそうだと思うけど。僕もそうでありたい、なんて思っちゃったから」
「そう思うのなら、仕方のないことだろう。これで能力的に不十分であれば、まだ止めもしたが……今のお前を止める理由を、俺は持たない」
ふぅ、とガイウスは息を吐き出した。
それから、一瞬天上を見上げ、沈黙すること数秒。
ゆっくりと視線をクリストファーへと下ろす。
「わかったクリス、『水鏡の境地』に挑むことを許そう」
「……ありがとう、父さん」
その視線を受け止めて。クリストファーはゆっくりと、そして深々と頭を下げたのだった。
許可を与えたクリストファーと、その後も少し話をして。
時間も時間だからと送り出した後、ガイウスはまた机へと戻った。
引き出しに入れている一枚の絵姿……明るい茶色の髪を長く伸ばした貴婦人の描かれたものを取り出し、愛しげな視線を向ける。
……その貴婦人の面影は、どこかクリストファーに似ているかも知れない。
「ディア。……俺達の息子は、本当に大きく育ったぞ。もちろん、娘もだ」
そう呟いて、指先で絵姿を撫でる。
途端、先程までは抑えていた涙が、滂沱と溢れてきた。
その溢れ出る涙を、拭うこともせず。
いつまでもいつまでも、ガイウスはディアと呼んだ絵姿を撫で、語りかけ続けていた。




