奪われたお楽しみと。
どうしてクリストファーが、一人で過酷な山ごもりをすることになったのか。
ことの始まりは、一ヶ月ほど前に遡る。
「まあ、今年は冬山キャンプがないのですか?」
プレヴァルゴ家の夕食の席で、メルツェデスが驚いたような声を出した。
ちなみに夏でおわかりのように、キャンプと言っても雪中行軍などを含めた軍事訓練なのは言うまでもない。
もちろん普通は貴族令嬢が参加するようなものではないし、メルツェデスは普通ではない。
キャンプがないと聞いて残念がる令嬢は彼女くらいのものだろう。
「夏のキャンプが良かったのか、フランが冬も参加したいと言ってましたのに。
ミーナはミーナで、雪山で実験がしたいとか言ってましたし……」
……いや、彼女の友人もまた、常識の外に出てしまっていたらしい。
確かに夏のキャンプでフランツィスカは最終的に全く問題無くついていけるようになっていたし、ヘルミーナはヘルミーナで最大の問題である5km走を彼女らしいやり方でクリアしてしまった。
だから、体力面では問題がない、と言えばないのだが。
「いや、流石に公爵令嬢や侯爵令嬢が冬山に入ることは許可できんぞ。
あのお二人なら確かについてこれるかも知れんが、雪山では何が起こるかわからん。
万が一雪崩に巻き込まれでもしてみろ、我が家が取り潰される程度では終わらん話になってもおかしくない」
「あの二人でしたら、雪崩くらいは何とかしてしまいそうな気もしますが」
ガイウスの正論に、小首を傾げるメルツェデス。
確かにフランツィスカの火力であれば雪崩の中で生存することが可能かも知れないし、ヘルミーナであれば雪崩そのものを凍り付かせて止めることすらやりかねない。
思わず納得しそうになったガイウスだが、いやいや、と首を振って我を取り戻す。
「いやいや、それでも、だ。お二人が雪崩に巻き込まれた、というだけでまず俺の管理責任になるからな?」
「まあ、それは確かにそうですけれど……雪崩なんて私が知る限り訓練場の近くでは起こったことがありませんよね?」
「訓練場に行く途中はわからんし、吹雪に巻き込まれて前後不覚に陥る可能性だってあるだろう。いや、ヘルミーナ嬢だったら何とかするかも知れんが、とにかくわずかでも可能性がある限りだめだ、こればっかりは」
普段は娘に甘いガイウスだが、ここは頑として譲らない。
軍部の最高責任者であり、高位貴族でもある彼としては、色々な意味で無責任なことは出来ないということなのだろう。
『え~』と言わんばかりに不満そうな娘の顔を見てぐらぐら揺らぎはするが、しかし、何とか堪えている。というか堪えねばならない理由があるのだ。
「そもそもの話、今年のキャンプは中止、ということ自体が覆らん。
何しろこの冬は、近衛騎士団の連中と合同訓練をすることになったからな」
「近衛騎士団、ですか? 合同訓練とは珍しいですわね」
ガイウスの言葉に、メルツェデスは不思議そうに小首を傾げた。
近衛騎士団とは、国王や王族の身辺を守ることは勿論、王城、そして王都を防衛するために組織されたものだ。
その性質上ガイウスの直接指揮下にはなく、人員は最精鋭の騎士や兵士が揃っている、とされている。
これがゲーム『エタエレ』の世界であれば本当に王国最強の騎士集団の設定だったのだが……ゲームよりも遙かに強い状態にあるガイウスが率いるプレヴァルゴ騎士団の方が、質においては上回っていたりするのは公然の秘密である。
ガイウスとしても色々言いたいことはあるが、声高に『うちが最強!』だとか言って回りでもした日には、最悪叛意ありと見なされかねない。
そのため、最精鋭は近衛騎士団、と一歩引いた姿勢を見せていたりする。
そして、そんな現状である故に、ガイウスと近衛騎士団の関係は微妙なもので。
「確か以前、『金にあかせて装備だけは充実しているボンボン騎士団』とかおっしゃってた相手とだなんて」
「姉さん、もうちょっと表現を抑えよう? 例え父さんがほんとに言ってたとしても」
昔聞いた言葉をそのまま口にするメルツェデス。
年頃の令嬢が使って良い表現とは言いがたいそれに、クリストファーが呆れたような口調でツッコミを入れた。
そして、娘でこうなのだから、色々抱え込んでいるガイウスはさらに歯に衣を着せない。
「確かに、あのヒョロガキ連中と合同訓練なんざ、お遊びにしかならないとは思うんだがな」
「父さん待って、人に聞かれたら政治的問題になりそうな発言はやめよう!?」
焦った声で止めに入るクリストファーへと、ガイウスが返すのは不思議そうな顔。
このプレヴァルゴ邸に侵入して、盗み聞きをすることがどれだけ至難の業か誰よりも知るガイウスからすれば、この場においてそんな心配をすることが不思議でならない。
もっともクリストファーからすれば、実際に聞かれる聞かれない問題ではなく心がけの問題だと言いたいのだが、子の心親知らずである。
「実は今回、模擬戦をすることになってな、誰に憚ることなく、遠慮容赦なく近衛の連中をボコれる機会をいただけたというわけだ」
「一応建前だけでも憚ろう!? 確かに今ここには身内しかいないけど、何て言うか教育上よろしくないよ!?」
にやりと楽しげに……というか獲物を前にした肉食獣のような笑みを見せるガイウスに、クリストファーはツッコミを入れる。入れ続ける。
彼が入れなくなれば、他に誰も入れられる者はいなくなるのだから。
しかし奮闘虚しく、ガイウスが止まる気配はない。
「それがだな、陛下からも直々にボコっていいとお許しをいただいていてだな」
「なんで!? なんでそんなお許しが出ちゃうの!?」
もっともなクリストファーの悲鳴にも似た問いに、やはりガイウスは楽しそうで。
「ああ、今回の模擬戦、ジークフリート殿下が指揮を執られるんだ。つまり、殿下の指揮訓練も兼ねている、というわけだな。
だからこそ全力でボコって鍛えてくれと言う親心なんだよ」
「その親心はちょっとよくわかんないなぁ!? ……いやでも、そうでもない、かな……?」
常識に基づいてツッコミを入れた後に、ふと迷うクリストファー。
何しろまさに自分達こそガイウスに扱かれて鍛えられてきたのだ、身に覚えがないわけがない。
そもそも、幼い頃に容赦なく鍛えてくれと望んだのは彼自身であり、ガイウスはそれに応えただけとも言えるのだし。
悩むクリストファーのツッコミが途切れたところで、今度はメルツェデスが小首を傾げる。
「殿下が近衛騎士団の指揮を、ということは……殿下はいずれ近衛騎士団に?」
「ああ、正式決定ではないが、その方向で調整をしているそうだ。今回はそのための下準備も兼ねている、というところだろう」
メルツェデスの言葉に、ガイウスが頷いて返す。
このエデュラウム王国においては、基本的に軍務に就けるのは伯爵家の人間までである、と以前に述べたが、そこにはいくつかの例外もある。
その内の一つが近衛騎士団であり、その団長職には王族が就くことも時折あった。
何しろ職務が職務だ、可能であればトップは国王の身内である方が何かと都合が良い。
もちろん、その人物が国王に対して含むものがなければ、の話だが。
そして、現国王クラレンスや次期国王であるエドゥアルドとジークフリートの関係は、傍目にも良好に見える。
「確かに、『魔獣討伐訓練』での指揮ぶりを見るに、適性は充分そうですものね。
殿下ご自身が望まれているとあれば、近衛としても早く取り込みたいでしょうし」
「そして、陛下としては早い内から揉まれて鍛えられて欲しい、と三者の思惑が合致したわけだ。
ということで、我がプレヴァルゴ家としても陛下のご意向もあって合同訓練を断れなかったんだよ」
「わかりました、そういうことでしたら仕方ありませんわね」
ガイウスの説明に、メルツェデスも納得したように頷く。顔はいまだに残念そうなままだが。
しかし、しばしの沈黙の後、はたと何かに気がついた顔になった。
「あの、お父様。ちなみにその模擬戦、わたくしも参加させていただくことは可能でしょうか?」
「ああ、もちろんだとも。というか、キャンプもなし、参加もさせないでは申し訳ないしなぁ」
「まあまあ、お気遣いありがとうございます。……ふふ、これならこの冬、退屈せずに済みそうですわね」
当たり前のように頷くガイウスと、先程とは打って変わって実に楽しげな笑みを見せるメルツェデス。
それを見ていたクリストファーは内心で『逃げてー近衛騎士団の皆さん逃げてー』と避難を呼びかける。
もちろん、その心の声が届くことはないのだけれど。
これはもう、諦めて色々と受け入れるしかあるまい。
そう思い至ったクリストファーは、小さく吐息を零したのだった。




