がちキャン。
チェリシアの奸計も潰え、大成功の内に豊穣祭も終わって二ヶ月余り。
エデュラウム王国に、冬がやってきた。
日本と同じく冬に年が改まるとあって、年末年始の行事のために王都は、祭りとはまた違う賑やかさに包まれている。
はずだ。
だが、ここにそんな賑わいは一切ない。
聞こえてくるのは、遠くで巻いている鋭い風の音。
そして、それに揺られる、いや、振り回されるような木々の枝が立てる悲鳴。
人の気配など絶えて久しく、獣すらほとんどが冬ごもりをしていそうな雪の山。
そんな中でザシュ、ザシュ、と聞こえる、雪を踏み分ける音。
見れば、地元の猟師が着そうな雪山でも雪に濡れない毛皮のコートを着て大荷物を背負った人間が一人、雪の積もった山道を登ってくるところだった。
青年というには若く、まだ少年と言っていい年頃の彼は、山道にも慣れているのかその細い身体に似合わぬ大荷物をものともせず、一歩、また一歩と着実に歩みを進めていく。
見れば足には『かんじき』のようなものを履いており、最初から雪原に入ることを想定していた様子。
こんな人が踏み固めた跡もない場所だというのに、迷うこと無く一つの方向を目指して彼は歩いていく。
やがて森に足を踏み入れ、その中にある開けた場所に辿り着いたところで、彼は足を止めた。
「着いた……」
そう呟きながらコートのフードを脱げば、現れたのは緩くウェーブのかかる茶色の髪。
茶色の目をした、ここまでのタフな山道を一人で踏破としたとはとても思えぬ優しげな面立ちの彼は、クリストファー・フォン・プレヴァルゴ。
メルツェデスにとって一歳下の実弟である彼が、一人で雪山の中を歩いてきたのだ。
目的地を目にした彼は、少しばかりほっとした顔になりながら、荷物を近くにある木の根元に置く。
それから荷物にくくりつけていた大振りのシャベルを手に取り、比較的広くて平らな場所へと向かった。
ちなみに、この国では両手で扱うような大きなサイズのものをシャベル、片手で扱う移植ごてをスコップと呼ぶ。
それはともかく。
クリストファーは、地面に積もっている雪に、まずはシャベルで縦2m横1mくらいの長方形の形にラインを引いた。
ついで、その四角の内側に積もる雪を、シャベルで掻きだしていく。
シャク、ザク、と規則的な音。
気が滅入りそうな単純で力の要る作業を、淡々と黙々と。
まだ年若い彼が、愚痴の一つも弱音の欠片も零さずにこなしていく。
やがてラインに沿って長方形の形に地面が表れたところで地面にシャベルを突き立てて、また森の方へ。
来る途中で目星を付けていた、日当たりが悪かったのだろう立ち枯れた細い木が多い場所に着いたところで、腰に佩いた剣を抜く。
フォン、と小さな音と共に魔力を纏ったその刃が走れば、根元近くから直径20cm前後の木々がスパンスパンと斬られ、倒れていく。
それらの内2本ほどを肩に背負って先程の開けた場所へと戻り、長方形に雪を取り除いた場所へと転がし、枝を払った後にサイズを横幅に大体合わせながらまたスパンスパンと木を横に斬って丸太状にしていく。
普段姉を化け物扱いしている彼だが、本人も大概規格外なのである。比較対象が悪すぎるから自覚がないだけで。
更に、1m程に切り分けた丸太をスコンスコンと縦半分に斬っていく。斧でも鉈でもなく、片手剣で。
魔力を纏わせているとは言え、その光景はやはり異様なのだが……今ここに、ツッコミを入れてくれる人は誰も居ない。
いや、彼以外誰もいないのだから当たり前だが。
そうして縦半分に割った丸太を長方形の区画に間を開けながら並べ、その上に丈夫な麻紐で出来た網を掛け、その上に先程落とした枝や拾ってきた枯れ葉を敷き詰めていく。
もう一枚網を掛け、その上にテント用の敷き布を敷いて四隅を下に並べた丸太に釘状の道具で打ち付けて固定。
折りたたまれていた金属製のロッド2本を伸ばして交差させアーチ状に張って骨組みとし、その上に天幕を張ってやはり四隅を固定して、簡易のテントが出来上がった。
「これでとりあえず雪と風は凌げる、かな。ほんとはもう1枚張りたいとこだけど、まあ、何とかなるかな?」
出来映えを確認したクリストファーは、うん、と一つ頷く。
なお、ここまで全く以て手付きが淀むこと無く作業を終えた辺り、野営の心得も随分としっかり仕込まれているようだ。
張ったテントが風に吹かれても大丈夫そうかをしばらく観察していたクリストファーは、問題無いと判断して中へと入る。
「……うん、地面からの冷えも大丈夫そうかな。後は、っと」
一度外に出た彼は、大荷物の入った背負い袋を軽々と手にして戻り、テントの入り口付近に置いた。
中から毛布で出来た敷物や寝袋を取り出し、中へと入れて。
さらに、金属板で出来た何かを取り出す。
それをテントの隅でカチャカチャと慣れた手付きで組み上げ、さらに細長い筒状のパーツもいくつか連結して繋げ、天幕の小さな穴から外に通した。
出来上がったのは、外へと簡易煙突で排煙する小さな組み立て式のストーブ。
一度外に出て先程の丸太の残りをさらに細く斬り、一部をスティック状まで割った後ナイフで中途半端に削り、削った部分がスティックの残った状態のフェザースティックと呼ばれるものを何本か作る。
テントの中に戻ってストーブに枯れ葉やフェザースティックを入れ、火花を飛ばす魔道具で着火。
空気を送り込んで行けば徐々に火が大きくなっていき、生じた上昇気流で煙が煙突へと流れ始める。
こうなると、火を絶やさない限りは空気の流れが生じて、燃やすために吹き入れる必要もなくなるのだ。
すぐに燃え尽きないように少し太めの薪を何本か入れた後、クリストファーは小さなヤカンに『水生成』の魔術で水を入れ、ストーブの上面に置いた。
ちなみに、こうして水をその場で調達出来ることは戦略上とても有用であり、故にプレヴァルゴ家が軍部の上位に位置し続けていたのではあるが。
それはともかく。待つことしばし、湧いた湯で簡単なお茶を作り、それを一口。
ここまで歩いてきた上にその後適度に作業をしていたからか身体は冷えていなかったが、それでも体内に暖かいものが入ると少しばかりほっとする。
ゆっくり、じっくり、その温かさを堪能して。
人心地ついたクリストファーは、テントの外へと出た。
雪はさほど降っていないが、それでも天幕には雪がちらほら乗り始めているし、風も吹いてはいる。
しかし、どうやらテントはそれにも耐えられそうだ。
薪となる枝や木はまた調達してこなければならないだろうが、それさえしっかりと集めてくれば、このテントは拠点として問題無く機能しそうである。
そこまで確認したクリストファーは、すぅ、と大きく息を吸い込んで。
「ここをキャンプ地とする!」
と、大きな声でそう宣言した。
その声が響き、森の中や山間へと消えて。
数秒の沈黙の後、クリストファーは大きく溜息を吐き出した。
「姉さんから、キャンプする場所を定めたらこう宣言しろって言われたけど、意味わかんないよ……なんでこんな宣言、わざわざしなきゃなんないのさ。
それも、僕以外誰もいない、寄りつかなさそうなこの冬山で」
ぶちぶちと零すのは、照れくささを誤魔化すためか。
ならば実行しなければいいだけなのだが、言われたことに従ってしまう辺り、まだまだシスコンは抜けていないようである。
しばらく羞恥心と戦っていた彼は、気を取り直して顔を上げ……振り返った。
「まあ、こんなこと言ってる場合じゃないっていうか、言ってたら会得できないよね。
まさか、度胸付けのためにこんなことさせたわけじゃないと思うけど」
その視線の先にあるのは、小さな泉。それは夏に姉が修行し、『水鏡の境地』を会得した場所。
プレヴァルゴ家の人間が修練の果てに挑む、己の内にある暴力性と向き合いそれを制御する術を身に付ける試練。
その試練に立った一人で挑むために、クリストファーは冬となり雪で閉ざされたこの山へとやってきたのだった。




