アンコールは未来へ。
人知れず陰謀に幕が下ろされた夜から、数日後。
王城の一室に、モンテギオ子爵は呼び出されていた。
緊張した……いや、今から処刑台に送られるかのごとき顔をした彼の対面に座っているのは、落ち着いた顔をした国王クラレンス。
呼び出した側であるクラレンスが、まずは口を開いた。
「モンテギオ、先の豊穣祭はご苦労だった。実に見事な演奏……というのは、今の君には皮肉に聞こえるだろうか」
「……いえ、どうぞお気になさらず。私としても、色々と折り合いを付けられましたので」
労いの言葉に、言葉通り折り合いを付けられたのか、表情を動かすこともなくモンテギオ子爵はゆるりと頭を下げる。
そして実際に彼は、折り合いを付け……覚悟を決めてやってきた。
結果としては大成功に終わったが、一歩でも間違えれば決して訪れることのなかった結果。
むしろ王国にとっては最悪の事態も招きかねなかったのだから、どうしても表情は色のないものになってしまう。
そんなモンテギオ子爵の表情が意味するところを汲み取った上で……クラレンスは、敢えて笑って見せた。
「さて、今日君に来てもらったのは、いくつか伝えることがあるから、なのだけれど。
まずは、君の伯父上や親戚達の領地に関してだ」
「……はい? いや、その、事情はお聞きになられたのかも知れませんが、一体何が……?」
困惑しきりのモンテギオ子爵へと向けたクラレンスの表情は……どうにも、感情が読めなかった。
言うまでもなく子爵とクラレンスは敵対関係などではない。
だから、敵対的、あるいは攻撃的な感情でないのは確かなのだが。
戸惑っているモンテギオ子爵の様子を見ながら、クラレンスは一つ息を吐いてから、言葉を続ける。
「君の親戚関係の領地が不作がちになっていた原因なんだが……どうも、肥料のやり過ぎだったらしい」
「……なんですと?」
余りに予想外だった言葉に、モンテギオ子爵は聞き返すことしか出来なかった。
てっきり精霊の不興を買ったが故、だと思っていたところにまさかの言葉。
呆気に取られているモンテギオ子爵へと、クラレンスは苦笑を見せる。
「信じがたいのはわかるし、実際、信じがたい程に時間を掛けた策謀だったのだけど……」
そうして、クラレンスは説明を始めた。
不審に思ったエドゥアルド達が調べたところ、事の起こりは数年前。とある行商人がやってきて、肥料を勧めてきたらしい。
試しに使ってみればとても効果が高く、翌年の収穫はかなり良好なものになった。
なのでそれを言われるままに使っていたのだが、ある年から収穫に陰りが見え、商人に相談。
助言に従い肥料を多く使っても減少傾向に歯止めが掛からなかったのだとか。
「肥料の使い過ぎが良くないっていうのは、意外と知られてなかったらしくてね。
昔ながらのやり方だと、そもそも使える肥料の量に限りがあったから自然と適量になってたみたいなんだけど、その商人が持ち込んだ肥料は割と安価で購入できたから、結果として使いすぎになっていた……と、そうなるように仕組まれていたみたいだ。
これがもっと大規模に行われていたなら気付く者もいたのだろうけれど、範囲を絞っていたから、明るみに出なかったらしい」
「それはまた、随分と念の入った……むしろ執念のようなものを感じますが」
「うん、実際、執念に近いもの、あるいはそのもの何じゃ無いかな。何しろそれは、チェリシアの策謀だったんだから」
「なんと!? それ、は……なるほど、連中は未だ敗戦の恨みを晴らさんとしていたわけですか」
予想することなどできるわけもない真相に、モンテギオ子爵は額に浮かんだ汗を拭う。
それに対してクラレンスは……頷き返さず、小さく首を振って見せた。
「敗戦の恨みを晴らす、というレベルではないね、奴らの考えていることは。
いずれも不発に終わったけれど、こちらの切り崩し工作も見られたし、今回の策略が成功していれば我が国は空前絶後の大不作、そうなれば当然、兵糧だって足りなくなる」
「再侵攻の布石だった、と……まさか、そんな陰謀に巻き込まれていたとは……」
信じられない、という顔でモンテギオ子爵は呟く。
これが、例えば軍部の総責任者であるガイウスを狙ったものであれば、納得もできよう。
だが、一介の音楽家、それも領地を持たぬ彼を狙うなど、誰が考えようか。
「つまり、まあ……チェリシアと内通している人間がいる、ということだ。それも、かなり上の人間に。
だから豊穣祭の意味もわかっていたし、それを利用しようとも考えた。
ただ、その首謀者は、どうにも王都の事情に明るくなかったようだけれど。協力者達から何も聞いていなかったのか、聞き流していたのか」
冗談めかして笑うクラレンスに、子爵はしばし言葉もなく瞬きをして。
それから、納得したように息を吐き出した。
「左様でございますね、あの方のいるこの王都で、などと……とてもとても」
この王都で名を馳せ、様々な偶然に助けられながらも、全ての策略を打ち払った少女。
彼女がいる場所で悪事を企むなど自殺行為に等しいと、今のモンテギオ子爵ならわかる。
そして、そんな判断で、彼らは腕利きの工作員達をドブに捨てる羽目になったのだが。
「多分、どうにか出来る自信があったんじゃないかな。普通じゃない連中の協力もあったみたいだし。
……モンテギオ、ピスケシオス侯達に調べてもらった結果、君には微弱ながら闇属性魔術による精神支配の影響が認められた。
例のあの男爵が君に勧めていたシガリロにその効能があったと、本人が自白したよ」
「そう、でしたか……」
それはつまり、魔王崇拝者の関与もあったということ。
幸いにしてその支配は、クララの光属性によって強化されたユリアーナの歌声によって打ち砕かれたのだが。
クラレンスの、ある意味衝撃の暴露とも言える言葉に、しかし子爵は神妙な顔つきで頷くばかり。
これにはむしろクラレンスの方が驚いてしまう。
「思ったよりも驚かないね?」
「ええ、こうして諸々が片付き、頭が明瞭になった今となっては、あの頃の私がおかしかったことはよくわかりますので……むしろ納得する、と言いますか」
どうにもおかしかった自分の言動が、歪められたが故のものだったと聞いて、最初に浮かんだのは安堵だった。
不本意な楽曲、言動。それらは自分から生まれたものでなかったのだったのだから。
しかし、それでも。
「それでも、私がやったことは、音楽家として恥ずべき事。国家を揺るがす陰謀とはまた別の話でございます」
「生真面目なことだねぇ……ただそれなんだけど、君がやったことは法律上何も問題はない。
だから、こちらから公式の処断を下すわけにはいかないんだよねぇ」
今回の、盗用といっていい楽曲の使用は、貴族家の当主権限の範囲内。
もちろん、音楽家としてどうかと言われればそれはそうなのだが、それはあくまでも矜持だとか誇りだとかいった精神面の話。
明文化された法律上は、問題は無いのだ。そしてそのことは、一度振りかざしてしまったモンテギオ子爵もよくわかっている。
だから彼はクラレンスの招集に応じ、処断を望んでいた。それが救いであるとばかりの顔で。
しかしそれは、現行法の上ではどうにもし難いのだ。
「ということで、モンテギオ子爵。こちらから公式な裁きは下せないのだけど……一ヶ月ばかり自主的に謹慎するのはどうだい?」
「はっ、それはもう、こちらとしてはいやも応もなく。……少々軽すぎるのでは、とも思いますが」
クラレンスのお沙汰……というには緩いものに頭を下げながら、モンテギオ子爵の顔はまだまだ納得したとは言いがたいものだった。
そしてきっと、納得出来ることはないのだろう。
「別に、二ヶ月でも三ヶ月でも、好きなだけ謹慎してくれて構わないけどね。
そして、その間は作曲に没頭すること」
「……は?」
「素人の直感でしかないんだけど、きっと今の君なら、今までに無い曲が書けると思うんだ」
言われて、モンテギオ子爵は絶句するしかなかった。
様々な失態を犯し、もはや音楽家として見切られても仕方がないだけのことをした、と思っていたところにこれなのだ、動揺しないわけがない。
そして目の前のクラレンスは、冗談など欠片も無く、本気でそう言っているように見えた。
「あの短時間であれだけのアレンジをまとめて、さらには指揮を執った君の音楽的才能はやはり間違いない。
そんな君であれば、この苦い経験だってきっと糧に出来ると信じている。……どうだい?」
「それはっ、それは、もうっ! この身命を賭しましてでもっ!!」
ここまで言われて引き下がれるわけがない。覚悟は決めてきたが、そこまで枯れてもいない。
苦い経験を積み、若かりし日の情熱を思い出した彼は、己の内側にまた新たなる炎が宿っていることを感じているのだから。
涙ぐみながら叫ぶように言うモンテギオ子爵へと、クラレンスは笑いかけた。
「信じているよ、モンテギオ子爵。来年の次回作が、君の最高傑作であることを」
「はいっ、必ず、必ず! 必ず、ご期待に応えてご覧に入れます!」
その笑顔へ向けて、彼は誓った。
その数ヶ月後、モンテギオ子爵は今までに無い楽曲を発表することになる。
人生の苦悩や後悔を詰め込んだかのような重苦しい、それでいて諦めることのない不屈の精神を描いたかのような曲は、エデュラウム王国の音楽界に大きな衝撃を与えた。
その有り様は文学的であり、情緒的でもあり。
苦悩に満ちた一人の男の生き様を描ききったかのようでもあるその楽曲は、新たな潮流を生み出すことになるのだが……それは、まだ少し先の話である。
こうして、豊穣祭の裏で進行していた策略は紆余曲折の末に叩き潰され。
「良かったですわね、ユリアーナさん。本格的に音楽の道へと進むことを、キャプラン子爵がお許しになられて」
「はい、ありがとうございます、メルツェデス様。あの日の光景といい、何だか夢のようですけども……」
豊穣祭も終わり、普段の生活へと戻った学園の中で、それでもいくつかのことが今までと大きく変わった。
一つは、言うまでもなくユリアーナの進路。
いずれはどこかに嫁ぐしかなかった未来が、別の方向に舵を切ることが出来た。
それだけでも、貴族令嬢達の間では充分センセーショナルな話題である。
「おまけに、モンテギオ家との確執も薄まり、ロジーネさんと組むことも正式に認められて……というか、あれで認めないわけにはいかないでしょうし」
「あ、あはは……あたしとしては、まだまだユリアーナにふさわしい所にいけているかはわからないんですけども」
長らく続いていた、古典派と革新派の確執。
それが、二人の少女を軸に解消されつつあるのだから、音楽に通じた者ほどその影響の大きさに驚かずにはいられない。
あの日の豊穣祭は、色々な意味で歴史的な出来事だったのだろう。
それは、あの場に居た全員がそれぞれに、あの日の興奮が過ぎ去った後にこそじわじわと感じていた。
音楽史の転換点となった、その場に居合わせた。
きっとそれは、末代までの語り草になろうというもの。
柔軟な年若い層だけでなく、老境にある人間までもがそう感じたのだから、やはりあの光景は、きっと奇跡のようなものだったのだろう。
ただ。
多感な年頃の少女達にとっては、それだけでは終わらなかった。
「それにしても、あの最後の演出……ユリアーナさんがお父様に導かれてロジーネ様へと歩み寄られる場面、素敵でしたわよねぇ」
「ええ、ええ。少しずつ音が消えていく中、本当に世界に二人だけのようで……」
助っ人として参戦していた侯爵令嬢、モニカとエミリーがうっとりとした顔で言い合う。
そう、その場面は確かに、他の令嬢達も話題にしていた。
あれはまるで。
「まるで、結婚式の時に新郎へと向かう新婦と介添えのお父様、みたいでしたもんね……」
同じくうっとりとした顔で、クララが呟く。
それが耳に入ったロジーネとユリアーナは、途端に、そして同時に、顔を真っ赤にしてしまう。
まさにそれこそが、乙女達の琴線に触れた場面だった。
荘厳と言っても良い構成で描かれる喜びに満ちた空間が、少しずつ、少しずつ終わりへと向かって。
最後に描かれたのは、ただ二人の光景。
互いに互いを思う歌声とピアノの音色は、これ以上無くロマンティックであり……令嬢達の心を揺り動かさずにはいられなかったのだ。
「確かにあれは、衝撃的だったわよね……」
「おまけに、誰にも何も言わせないだけの力もあったから、批判も起こってないし」
エレーナがそう言えば、フランツィスカも頷いて応じる。
二人の胸に去来する思いは同じ。
『羨ましい』である。
正式には難しいだろうが、いわば公の場で疑似結婚式を行えたのであるから、羨ましくないわけがない。
更には、そこへ『精霊の祝福』までもが降り注いだのだから。
「我ながら不覚……見蕩れていて、分析が出来なかった……」
一人ロマンの欠片もないことを言うのは、やはりというか何と言うか、ヘルミーナである。
もちろん彼女自身も豊穣祭の結果には達成感を感じているのだが、後から絶好の研究機会だったことに気がついて大荒れ。
リヒターに八つ当たりをしたのはつい最近のことである。
ちなみに、思っていた以上に防がれて更に機嫌を悪くしたりしたのだが、それはそれとして。
「それは気にしなくてもいいんじゃないかしら」
「なんで? あんな機会、滅多にあることじゃないのに」
軽く応じたメルツェデスへと、ヘルミーナはじっとりとした目を向ける。
クララであれば背筋を震わせるところだが……生憎、彼女にそれは通用しない。
むしろ、楽しげに笑って返して。
「だって、きっと何度も見られるもの。今のモンテギオ様とキャプラン様なら。
それに、ロジーネさんとユリアーナさんもいるのだし」
「ちょっ、流石にそれは期待が重たいですよメルツェデス様!?」
慌てて応じるロジーネなのだが……その表情は、ただ慌てているだけでなく。
少しばかり自信も滲んでいたのは、きっと気のせいではないのだろう。
そんなやり取りの中、少女達の語らいは続く。
きっと来年は、そしてその次も、明るいに決まっている。
疑うこともなく信じている彼女達を見ているメルツェデスの胸には、『その未来を守らなければ』という思いが改めて沸き起こるのだった。




