誰も知らないカーテンコール。
「やはり貴様が、あのメルツェデス・フォン・プレヴァルゴか!!
くそっ、何故だ、何故ここがわかった! ……いや、違う、そうか、そこの間抜けを追って来たか!」
問いかけておきながら、男は自分で答えに至ったらしく即座に言を改めた。
それを見たメルツェデスは少しばかり目を細め、彼だけに目を取られないようにしながらも、その動きを注視する。
どうやら目の前に居る男は、少なくとも判断力や思考能力においては油断ならぬ相手らしい。
観測されたその事実が……彼女の口角に、笑みの形を作らせる。
「あらあら、ご明察。仰る通り、そこな男爵様の後を追って参りましたの。
何しろ、あれだけめでたい現象が起きている会場から出て行こうとしている人間は、とても目立ちましたからねぇ」
楽しげに答えながらメルツェデスが視線を向けた先では……殺されかけたからか、メルツェデスの登場で完全にキャパオーバーとなったか、男爵が白目を剥いて倒れていた。
もちろん、目立つから見つけられた、だけではない。
昨日ミラがキャプラン子爵を助けた際に、おおよそのあらましは聴いていた。
そうなれば、この男爵から進言があったと聞いたミラが、そしてメルツェデスが勘付くのはそう難しいことでは無い。
後は男爵位にある者とその家族達が座る区画を見張っていればいいだけのことである。
そうして、『精霊の祝福』を目の当たりにして失敗を悟った男爵が逃げ出したところを追いかけた、というわけだ。
「はっ、そのまま何食わぬ顔で座っていれば良かったものを、これだから肝の細い惰弱な文官は!」
吐き捨てるように男が言うも、まさにその肝の細さを発揮して男爵は気絶中。
憤懣やるかたない風情の彼へと、更なる追い打ちがかかる。
「ならばあなた達は、読みの悪い間抜けな工作員、というところでしょうか?」
「何ぃ!?」
メルツェデスが軽く煽れば、男達は一気に吹き上がる。
先程までの動揺はどこへやら、殺意を剥き出しにした男達が、それぞれの得物を構え直してメルツェデスへと向き直った。
じわり、じわりとメルツェデスを中心とした扇形に少しずつ広がっていくのは、彼女を包囲するためだろうか。
そんな動きは当然見えているのだが……メルツェデスは動じた様子も無く。
「あらまあ、この程度でムキになるだなんて、少々堪え性が足りないのではなくて?
工作員と言えば、冷静沈着であることが第一条件でしょうに」
「やかましい! 事ここに至って、今更冷静ぶるなどできるものか!
せめてそこの男爵と、こうなれば貴様の首を持ち帰らねば立つ瀬も無い!」
男が叫んだと思えば、ばっとその手下らしき男達は広がる。
その動きは鋭く、あるいはプレヴァルゴの騎士達もかくや、と言わんばかりのもの。
いや、鋭さだけでは、ない。
メルツェデスとの間合いの計り方、包囲の進め方。
それらの練度もまた、プレヴァルゴの騎士団に負けず劣らず、と言えるだけのものを垣間見えさせていた。
「まずはお前だ、メルツェデス・フォン・プレヴァルゴ!!
貴様の首をせめてもの土産にしてくれん!!」
叫びを受けて、男達の前衛三人が動く。
右から、左から、中央から。
不規則なようで、互いにタイミングを計りながらの、吶喊。
無謀とも言えるその動きは、防御をかなぐり捨てた必死の一撃。
そして、その三人に遅れること一秒にも満たない、というタイミングで、中衛の三人がまた少しずつタイミングをずらして仕掛けた。
前衛が一人でも手傷を負わせたのならばトドメを。
そうでなくとも、前三人の動きで手が塞がれたところへ、あるいは逃げるために引いたところをへと攻撃を。
人間が一度に把握出来るものは、四つが最大だという。
であれば、六人がかりで繰り出された攻撃は、人間の反応を超えたもの。
必ず誰か一人は一撃を入れ、残る後衛三人が間違いなく仕留める必殺の仕掛け。
これをかわせる人間などいるはずがない。
ないのだ。
だから彼らは、目を疑った。
「な、ぁ……?」
水が流れていくように、男達が繰り出した剣の切っ先を掠めながらメルツェデスがすり抜けていく。
前衛三人はもちろんのこと、中衛三人の攻撃まで。
そして抜けた先には、状況を見て仕掛けようと待機していた後衛三人。
決して、油断していたわけではない。
ただ、完全に想定外だった、というだけのことだ。
そしてそれは、この場において致命的だった。
「まずは、一人」
小さくメルツェデスがつぶやけば、抜き打ちで右脇腹から左肩へと斬り上げられた真ん中の男が崩れ落ちる。
何事か、と理解したその瞬間、メルツェデスから見て右手に居た男が、返した刃で脳天を割られた。
「二人、三人っ」
やっと後衛最後の一人が構え直したところへと、地面を滑るように飛び込んだメルツェデスの横薙ぎの一撃が襲いかかる。
防御しよう、とは試みた。反応できただけ、まだこの男は優秀だった。
ただ、それよりも早くメルツェデスの刃は届き、防ごうとした小剣ごと男を叩き斬ってしまったのだが。
そしてそれらは、飛び込んだ男達が勢いを殺して踏ん張り、振り返るわずかな刹那のこと。
振り返った男達は、いずれも信じられないものを見た顔をしていた。
「これが……これが、エデュラウムの黒獅子、ガイウス・フォン・プレヴァルゴの血を引く者なのか……奴の血は、更なる修羅を生んだというのか!」
思わず声を上げてしまったのは無理も無い。
部下達に仕掛けさせながら後ろで見ていたリーダーは、その全てを見ていた。
その彼ですら、工作員を束ねて王都に潜入する任務を任されるだけの技量と修羅場を潜った経験がある彼ですら、メルツェデスの動きを全ては追い切れなかった。
呆然としたのは一瞬のこと。何事かと理解した途端、ゾワリと背筋が凍る。
畏怖、恐怖、困惑。
様々な視線を受けて、メルツェデスは当たり前のような顔をしてそこに立っていた。
「今更ですが、投降するのであれば命までは取りません。大人しくお縄に……とは、無駄のようですわね?」
呼びかけられ、男達の顔色がまた変わる。
命が助かるならば、と思った者がいなくはなかった。
だが大半は、捕らえられた後のことを思い、顔色をなくす。
彼らとて様々な情報は持っており……もしも捕まればガイウスが尋問をするであろうこと、その苛烈さまで把握していた。
死よりも惨いものが待っているのならば。何よりも、国を裏切るような真似をするよりは。
残念なことに、そう考える程度には男達のモラルはまだ高かった。
「ここまで来て、命など惜しむものかよ! 死なば諸共、貴様を地獄への道連れにしてくれん!」
叫んだリーダーが、メルツェデスへと向かって突進する。
三人斬り伏せられたとはいえ、今は後ろで待機していた彼と、突っ込んだ六人とでメルツェデスを挟んだ形。
いくら修羅のごとき令嬢であろうとも、後ろに目があるわけではない。
悟られぬよう、目配せすらしなかった。
それでもリーダーの意を汲んで、部下達は彼が突っ込んだタイミングからわずかにずらし、メルツェデスへと一斉に背後から襲いかかった。
……メルツェデスが、後ろへと飛んだ。
向き合っていたはずのリーダーの刃は、いつの間にか身を翻していた彼女の背中を数センチのところでかすめるのみ。
その向こうで、銀の光が無慈悲に踊る。
「四、五、六」
予想を遙かに超えた速度で振るわれた刃は、男達をあっさりと捉え、致命の一撃を叩き込んでいく。
一秒にも満たぬ間に一人、また一人と斬り伏せられて。
いまだ四対一だというのに、男達の脳裏には、絶望の二文字しかなかった。
「なんだ……お前は、なんだ!? その剣、最早、人のそれではない!
その歳で、なぜそんな剣が振るえる!?」
まだそんな声を出せるだけ、彼はリーダーとしての胆力を備えていたのだろう。
ただ、ひたすらに相手が悪かっただけで。
問われたメルツェデスは、はて、と小首を傾げて考えること一秒かそこら。
「鍛えておりますから」
「答えになってない!」
ある意味当たり前、しかし言われた方からすれば理不尽な返答に、男は叫ぶ。
そう、理不尽なのだ。
目の前にいる彼女は、理不尽が人の形をしたもの。
それを、やっと理解した。
そんな相手を前に、あるいは逃走しても誰も責める者はいないだろう。
……真に彼女を知る者であれば。
だが、遠く離れたチェリシアに居る上層部に、そんなことは期待出来ない。出来るわけがない。
であれば、彼らに取れる行動は、一つしかなかった。
「最早これまで、せめてこの命を捨ててでも、貴様の首だけは!」
と、叫んでリーダーへと意識を向けさせた上で、仕掛けようと見せて。
その言葉の途中で、残った部下三人が、先に仕掛けた。
意識と時間、両方で間隙を作った攻撃、のはずだった。
だというのに、メルツェデスはまるで見えていたかのごとく横へと跳び、彼らの包囲から抜け出てしまう。
そして、端の一人を斬り倒し。
「あら」
キィン、と響く金属音。
彼女が斬り倒したその僅かな時間でリーダーが間合いを詰め、斬りかかったところをメルツェデスの剣が弾いた。
その踏み込みと斬撃の鋭さに、零れたのは賞賛の色を帯びた声。
同時にそれは、届かなかったという証左でもあって。
「がふっ!?」
構え直すよりも先に振るわれたメルツェデスの刃が彼の身体を捉え、くぐもった悲鳴と共に倒れ臥す。
どくり、どくりと心臓が脈打つ度に失われていく熱と血。
力の入らない身体、少しずつ鈍くなっていく頭。
薄れ行く意識の中、残った部下二人の悲鳴が聞こえて。
「ふぅ。……流石、中々の腕と連携でしたわね」
言葉とは裏腹に涼しげな呟きに続いて、ひゅんと刃から血をふるい落とす音がする。
パチン、と納刀する音を最後に、男の意識は完全に失われた。




