狙われたのは。
そんな一幕があった翌日。
「あら、今日は馬車でいらしたのですね、ユリアーナさん」
学園の正門から入ってすぐのところにある馬車返しにて、馬車から降りてくるユリアーナを見かけたメルツェデスが声を掛ける。
気付いたユリアーナはそそくさと馬車から降り、若干照れたような微笑みを浮かべながら頭を下げた。
「はい、今日から馬車で通学するように、と父が申しつけてきまして……」
「今日から、ですか。普段は確か、徒歩で通学なさってますものね」
豊穣祭まで一ヶ月を切ったこのタイミングで。
おまけに、学園内にまでは入ってきていないが、気配から察するに護衛もそれなりの数がついてきていたようだ。
それは、子爵家当主ならばありえる数だが、令嬢につけるとしたら少々大げさと言えるような数。
そもそも子爵家以下の令嬢令息は、よほど家が遠くない限り歩きで来る者が多いくらいである。
……まあ、ここに一人、ハンナ以外の共をつけずに歩いて通う伯爵令嬢もいるのだが、彼女は特例中の特例と言っていいだろう。
なお、フランツィスカも徒歩通学を希望していたのだが、流石に公爵令嬢ともなれば外聞が悪すぎるため、渋々馬車で通学することになっていたりするのだが。
ともあれ。どうにもキャプラン子爵令嬢ユリアーナの通学風景としては、何とも違和感があって仕方が無い。
「……昨日、何かございましたか?」
メルツェデスの問いかけに、ユリアーナは驚いたように目を瞠り。
それから、ゆるりと首を横に振った。
「いえ、私の身には何も。ただ、帰宅した際の父の顔色が、あまり良くなかったような気はするのですが……」
「なるほど。ということは、キャプラン子爵様には何かあった可能性が。それも、ご自身でなくユリアーナさんの心配をするような何かが」
「恐らくそうなのでは、と思うのですが……父は何も話してくれないのです」
答えるユリアーナの顔は、寂しげでもあり、悲しげでもあり。
何も言わずに全てを背負い込んでしまう姿は、貴族家当主としてはある意味当然ではあるのだが、家族としては何とも寂しい。
そして、頼ってもらえない我が身が、情けなくもある。
「殿方というものは、往々にして一人で抱え込むことがございますらかねぇ……もどかしい気持ちになるのもわかります。
また、無理に聞き出すのも得策でない、となると……話してくれるまで待つか、自分で調べるか、しかないのですが」
「流石に、私ではメルツェデス様のように調べるなど出来ませんから……大人しく、話してくれるのを待つことにいたします」
当たり前だが、普通の令嬢は自身で動かせる密偵など持ってはいない。
もちろんメルツェデスのような個人の武力も持っていないユリアーナであれば、取れる手段など限られてくる。
この場合であれば、つまり待つしか無い、ということでもあった。
感じた寂しさを未だ残した顔でユリアーナが頭を下げ、校舎へと向かっていく。
その後ろ姿を見やりながら。
「ミラ、いるわよね?」
「はいな、ここに」
「なら、やって欲しいことがあるのだけれど」
虚空に向かって問いかければ、姿は見えないのに確かに密偵であるミラの声がする。
返答に小さく頷けば、メルツェデスは彼女に向かって指示を出す。
それは少々予想外だったのか、一瞬だけ反応がなく。
しかし、すぐに了承の声が返ってきた。
そしてそれからは特に何事も無く時間は過ぎ、ついに豊穣祭の前日となったその夜。
キャプラン子爵は、最後の練習を終えて馬車に揺られながら帰路についていた。
自身に付けていた護衛をユリアーナに付けるようにして一月足らず。
彼女への襲撃は起こっていないが、行き帰りに不審な人物は幾度も目撃されていた。
ユリアーナに護衛を厚くつけたことで牽制し、襲撃を未然に防げたのであれば何よりのこと。
「男爵には感謝せねばならないところだな……これで、いよいよ明日、か……」
不穏な空気はあれど、何とか豊穣祭まではこぎつけた。
楽曲の練習も、問題無いレベルに仕上がってきている。
これならば、少なくとも精霊達の不興を買うことはないだろう。
終わったからといって油断は出来ないが、少なくとも貴族としての責務を果たし、国へと大きな被害を出すことは避けられそうだ。
とにかく、まずは明日精一杯歌うこと。今後のことを考えるのは、それからでもいいはずだ。
そんなことを思いながら、疲れからか、ついうとうとしかけた、その時だった。
ガクンと突如馬車が揺れ、悲鳴のような馬のいななきが聞こえる。
ただならぬ様子に意識はすぐさま覚醒し、何事かと外を窺おうとすれば、護衛が声を上げた。
「閣下、お出になりませぬよう! 狼藉者にございます!」
「なんだと!?」
返した声は、不意を突かれたからか、随分と響くもの。
往来で張り上げるには随分と無作法な程の声量を轟かせてしまったのだが、キャプラン子爵はそんなことには気が回らない。
今まで、男爵からの忠告を受けて護衛をユリアーナにつけ、自身のそれは薄くしてからというもの、彼の周辺には不審者が出たことがなかった。
だというのに、よりにもよって本番前日に。
「……いや、前日だから、か? 代役を用意することが出来ない、このタイミングで……」
呟いて、背筋をぞっと震わせる。
例えばこれが昨日であれば、子爵に万が一があっても、練習を共にしていた者が一日かけて調整して代役を務めることは不可能ではないだろう。
しかし今、となれば、とても出来たものではない。少なくとも、まともなものには仕上がらない。
「まさか……ユリアーナの周辺に出没していた不審者は、陽動か? 今、この時のための」
もしもユリアーナが誘拐されて脅迫の材料とされても、その時は貴族として責務を果たす覚悟はあった。
だからといって本当にそんな状況にするわけにはいかないから、彼女の守りを固めた。
そして、それが正解だと思った。だが、それが思わされていたのだとしたら。
額に冷たい汗を浮かべながら、キャプラン子爵は外の気配を伺う。
外に居るのは、それなりの腕を持つ御者と、専門家として充分な腕を持つ護衛が、それぞれ一人ずつ。
この王都で遭遇する可能性のある数人の追い剥ぎだとかの類いであれば充分に撃退することができる戦力なのだが……どうも、相手の数が多い。
おまけにキャプラン子爵の鋭敏な耳は、連中の立てる足音が、破落戸の類いでない整然としたものであることを捉えていた。
これは、訓練された刺客が待ち伏せていた、としか思えない。
「ならば、私も打ってでるしか……いや、しかし……」
戦力は、どう考えても足りない。
しかし、馬車から飛び出せば攻撃は子爵に集中するだろうし、護衛も想定を崩されてしまえば動きが鈍るだろう。
かといって、援軍の来ない籠城はじり貧になるしかない。
迷っている間にも状況が動いているのは、気配で、音でわかる。
護衛だけでなく、御者も抜剣した。二人並び、馬車を守ろうと剣を構えている。
そこに刺客共が殺到して……数秒後には。
思わずキャプラン子爵が頭を抱えた、その時。
「ぎゃぁ!?」
悲鳴が、聞こえた。
ただそれは。
御者のものでも、護衛のものでもなかった。
「な、なんだこいつは!?」
「ぐぉっ!? い、いってぇ!? う、腕が、俺の腕がぁ!?」
立て続けに聞こえてくる困惑した声、悲鳴。
それらはいずれも、ならず者達のもの。
よくよく聞けば、何やら鈍く背筋が寒くなるような音も時折聞こえてくる。
「なんだこの女、一体どこから……あぎゃぁ!?」
一人、また一人、と地面に倒れていく音。
数分ほどだろうか、もっと短かっただろうか。
聞こえてきていたそれらがいつしか途絶え、辺りに沈黙が降りて。
「な、何がどうしたんだ……?」
呟きながら扉を少しばかり開け外を伺えば、呆気に取られたまま立ち尽くしている護衛と御者。
どうやら彼ら二人とも怪我は無いらしいと見て、子爵はほっと安堵の息を吐く。
それから、何事かと周囲を見回せば、昏倒しているらしい破落戸共を縛っていっている一人の女性。
長い黒髪を首の後ろで一つに縛った、動きやすそうな服装をしている女性は、慣れた手付きで男達を縛り上げていた。
そのうちに全員を縛り上げ、一仕事終えたとばかりに額を拭う仕草を見せた女性は、キャプラン子爵に気付いたらしく、にこりと笑って頭を下げてくる。
「キャプラン子爵閣下でいらっしゃいますでしょうか。私はプレヴァルゴ家に仕えるミラと申します。
このような状況ですので、こちらからお声がけする無礼をお許しください」
死すらも覚悟した状況だったというのに、彼女は余裕に満ちた様子で。
それを見て、キャプラン子爵は肩から力が抜けた。
いや、足腰からすらも抜けて、へたり込みそうですらあったのだが、それは何とか持ち直す。
「いや、構わん。ミラと言ったな、助けてもらったこと、礼を言う。
しかし、プレヴァルゴ家に仕える者が、何故こんなところに……」
この通りは、プレヴァルゴ邸に向かう方向では無い。
であれば、帰り道にたまたま、などではないはず。
そんなキャプラン子爵の困惑した視線を受けて、ミラはどこか悪戯な笑みを見せる。
「まあその何と言いますか、うちのお嬢様は、小悪党連中の考えることは大体お見通しでして」
その返答に、キャプラン子爵や護衛達はぽかんと呆けたような顔になる。
つまり、ユリアーナへと護衛をつける誘導自体が罠であり、致命的なタイミングで子爵本人を襲撃することが、彼らの目的だったのだ。
しかしそれを見抜いたメルツェデスは密かにミラを子爵に張り付かせていた、というわけである。
「ということで閣下、こうなっては身を隠しておく必要もないですし、このままご自宅までお送りさせていただきますね」
完全に呑まれてしまった空気の中、にこやかな笑顔でそう言われてしまっては、キャプラン子爵もただ頷いて返すことしか出来なかった。




