かすかな綻び。
こうして、豊穣祭という同じステージで、同じ楽曲を用いるという正面からのガチンコを選択したメルツェデス達。
覚悟を決めた彼女らの上達はめざましく、一日、また一日とその動きも歌も磨かれていき、準備は進んでいた。
だが、豊穣祭の準備は決してダンスや音楽の準備だけをしていればいい、というものではない。
「兄上、本日搬入された資材のリストをお届けに参りました。
それから、こちらは目を通していただく必要のある各種報告書です」
「ありがとうジーク、そこに置いといてくれるかい?」
「はい、わかりました」
エデュラウムの王城内にある、第一王子エドゥアルドの執務室。
書類に目を通し、筆を走らせ、と執務にいそしんでいた彼の元に、第二王子であるジークフリートが書類などを届けるためにやってきた。
来年度の卒業を持って立太子することがほぼ確定しているエドゥアルドは、その準備と訓練がてら、既にいくつかの公務を担っている。
当然この豊穣祭の準備においてもいくつか役割は振られており、今は資材関係の確認や調整、追加発注などをしていたところ。
そこに、手伝いをしているジークフリートが追加で書類を持ってきたところだった。
「いやぁ、ジークがあれこれと気を遣って動いてくれるから、正直かなり助かってるよ。
これだけあちこちを気にする視野が広いのなら、噂に聞く『魔獣討伐訓練』での指揮ぶりも納得というものだ」
「そんな、私などまだまだです。あの時は周囲の皆にも助けられたからこそ、ですし」
エドゥアルドが褒めればジークフリートはついつい謙遜してしまうのだが、実際の所、言葉通りにエドゥアルドはかなり助かっていた。
何を為すべきかという目的を把握した上で、そのためにはどう動けばいいのかという状況判断を行い、実行する。
ある程度政務に関する知識があっても中々に難しいその動きにおいて、ジークフリートはエドゥアルドも舌を巻くほどの速さと正確さを見せていた。
「謙虚なのもいいけれど、持つべき自信もちゃんと持って欲しいな。
少なくとも私は、ジークが補佐についてくれるなら安心して政務に勤しめると確信しているのだし」
「そうでしょうか……いえ、そうであればいいと思いますが」
兄の言葉にジークフリートは、はにかむような笑みを見せる。
他国では兄弟間での王位争いなどもよくあることだが、ことこの兄弟においてその心配はないようだ。
歳の近い兄弟、能力的にも見劣りしないとあって、ジークフリートを担ぎ出そうと画策した貴族もいたようだが、当のジークフリートにその気が全く無いのだから、いつの間にやらその動きも立ち消えになってしまったという。
やるべきことはやりながらもこうして屈託無く会話をする二人を見れば、徒に政変を巻き起こそうとすれば自身が破滅するだけのこと、というのは少し賢い貴族であれは一目瞭然なのだから、それも当然と言えば当然なのだろう。
そうして二人で様々に処理を進めて。
そろそろ一息吐こうとお茶と簡単につまめる物で休憩を、となったところで、エドゥアルドは無遠慮に爆弾を放り込んできた。
「そういえば、豊穣祭ではメルツェデス嬢をダンスに誘えなくて残念だったね」
「んぐっ!? な、何をいきなり言い出すのですか、兄上!」
思わずお茶を吹き出しそうになったジークフリートは必死に堪え、顔を赤くしながら抗議の声を上げる。
さてそれは、必死に堪えたせいか、それとも痛いところを突かれたせいか。
……部屋の中で静かに護衛についているギュンターが思わず口元を抑えて堪えているのを恨めしげに見ていると、エドゥアルドが更に追い打ちを掛けてきた。
「何って、心配してるんだよ、これでも。ジークもそろそろいい年頃なのだし」
「いや、それを言うならまず兄上でしょう。誰か気になる人はいないんですか?」
うんうんとしたり顔で頷きながら言うエドゥアルドへと、ジークフリートは反撃とばかりに言い返すのだが。
少しばかり驚いたような顔をしつつも、エドゥアルドは軽く肩を竦めて見せる。
「いないわけではないんだけど、どうしようもないんだよねぇ」
「え、どうしようもないって、兄上のお立場ならば、誰であろうと問題ないのでは?」
「むしろ逆に、というか。何しろ彼女は、平民でそれなりに恋愛経験があり、おまけに十歳ばかり年上ときてるものだから」
「そ、それは、流石に……難しい、と言わざるを得ないですね……」
エドゥアルドが挙げた人物像に、ジークフリートも何とも言いようがない。
王族の伴侶ともなれば、社交どころか外交の場に出ることも多く、かなり高水準な教養と振る舞いが求められる。
平民でそれを身に付けることは当然難しく、仮に身に付けていたとしても身分で侮られては様々な場面で影響が生じてしまう。
「精々愛妾として囲うことが何とか、くらいだけど、彼女はそれをよしとする性格でもないし。
私もそれは望まないからね。彼女にも失礼だし、王族として責任ある振る舞いとも言えないから」
「それは……そう、ですね……これが物語であればまた別なのでしょうが」
あるいは、それこそ物語のような展開を焚きつけることも出来なくはなかっただろう。
だが、既に折り合いをつけたのだろうエドゥアルドの表情を見てしまえば、ジークフリートもそれ以上は何も言えない。
叶わぬ恋もある、ということは、それこそ物語の中にすらいくらでもあり、まして政略結婚が横行する貴族社会においては当たり前のことなのだから。
であれば、きっとジークフリートなどは、まだ幸せな方なのだろう。
「その、何と言うか……お忍びの町歩きも、善し悪しと言いますか」
「まあね、出歩いたから見えたものもあったし、彼女とも出会えた。おかげで、どうしようもないこともある、とわからされたのは……良い勉強をした、と言えるようになるのかな、いつかは」
普段は飄々としているエドゥアルドが見せた、影の差した表情。
一つ年上の兄が、随分と大人びたようにも見えて。
何だか眩しいものを見たような気がして、ジークフリートは視線を下げ、手元のティーカップを見つめた。
「ま、そういうわけだから、是非とも我が弟には頑張って欲しいんだよ」
「はぁ……まあ、そう言われてしまえば、少しは頑張らないと、とは思いますが」
決して押しつけがましくは無い口調。だからこそ、気を遣ってくれているのがわかる。
エドゥアルドの分まで。代わりに。そんな考え方をしてはいけないとは思いつつも、少しばかり引っ張られもしてしまう。
何とも歯切れの悪くなったジークフリートを見たからか、エドゥアルドはくいっとお茶を飲み干して。
「さ、そろそろ休憩も終わり、仕事の続きをしないとね」
「あ、はい、そうですね、もう一踏ん張りというところですし」
応じてジークフリートもカップを開け、侍女達にそれらを下げさせる。
ある程度片付いたところで、政務再開とエドゥアルドは持ち込まれた資料に目を通し始めた、のだが。
「……うん?」
いくつか資料を読んだところで、不意に訝しげな声を上げた。
「何かありましたか、兄上」
「ああ、うん。ちょっと、気になる数字があってね」
そう言いながらエドゥアルドは、国内各地域の収穫量を報告する書類だった。
ぱっと見たところ、地域によって多少の増減はあれども全体の収穫量は平年並み、大きな問題はないように見えるのだが。
「ここと、ここ……それから、ここ。あ、ここもかな。いずれも、数年前からじわじわと収穫量が下がっていたんだ。
今年は特にそれが顕著なのに、その隣接する領地で減少は見られない。むしろ増加しているところもあったりするくらいでね」
「それは……偶然そうなった、と言えなくもありませんが……しかし、数年前から、というのも考えると、偶然で片付けてしまうのも危険かも知れませんね」
少しずつ起こっていた、数字と実地をよく照らし合わせていたエドゥアルドだから気付いた違和感。
エドゥアルドほどはピンときていないジークフリートも、何かがおかしいということは感じ取れた。
それを見てエドゥアルドは小さく一つ頷いて見せて。
「いずれの領地も、領主は不真面目でなく、土地の人柄も決して怠惰ではないと聞いている。
であれば、周辺に比べて自分達のところだけが収穫量が減っているなんてことを放置しておくわけがない。
だというのに、こうして目に見えるくらい差が出てしまっている、ということは……不自然に思えてならないんだ」
「確かに、精霊様のご不興を買ったという可能性もありますが、その場合、こうも綺麗に領地ごとに影響が別れるはずもないですからね。
精霊様方は、人間がちまちまと区切った土地の境界など意に介していないようですし」
ジークフリートの知る限り、精霊の影響による不作は、もっと広範囲を巻き込んだものになるはず。
だというのに、例えば男爵領のような狭い領地であっても、他が巻き込まれた様子も無くそこだけが不作に陥っている。
「これは、父上に奏上しよう。どうにも、人為的な……それも、大規模な工作の気配がしてならない」
「そうですね、これはもしかしたら、由々しき事態かも知れません」
「ああ。……後はせめて、これらの領地の共通点がわかるとより言いんだけど……考え込んでる時間も惜しい、とにかく報告に行こう」
そう言うとエドゥアルドは、侍従を先触れとして向かわせた。
時間をもらえるかの返事を待つ間、エドゥアルドは書類を凝視し、頭をフル回転させるのだが……流石の彼でも、それらの領地に共通することを見いだすことは出来なかった。
まさかそれらの領地が、モンテギオ子爵の親類縁者が治める土地だ、などとは。
それでも。それに気付き、アクションを起こしたことが後々に影響を与えることになるのだが、そのことを、まだ誰も知ることはなかった。




