令嬢達は、覚悟を決める。
あまりのことに呆然とし、ろくに眠ることも出来ずに翌朝を迎え。
放課後の音楽室にてロジーネは、ことの次第をメルツェデス達へと報告した。
その顔は寝不足もあるが、何よりも常軌を逸した父の行動による衝撃が一番大きいのだろう。
未だに、起こったことが信じられないような顔をしている。
「もうほんと、あたしには何が何だか……」
力無く首を振るロジーネ。
彼女に寄り添うユリアーナは心から心配そうな顔をしているが、掛ける言葉が見つからない。
父親の奇行、いや、暴挙。それによって奪われた楽譜。
二重三重に、どうしたら良いのかわからない、というところだろう。
「申し訳無いけれど、話を聞いた私達も正直なところ、何が何だか、だわね……。
モンテギオ子爵様は、そんなことを……他人が作った楽曲を使うことをよしとする方でないと思っていたのだけれど」
居合わせた全員の意見を代表して、フランツィスカが同じく困惑した顔で言えば、メルツェデスやエレーナも頷いて同意を示す。
気難しいところもあるようだが、こと音楽に関しては真摯な人間だと思う。思っていた。
だというのに、よりにもよって娘の楽曲を強奪するなど。
「そこは、本当にそうなんです。父があんなことをするだなんて、今でも本当に信じられなくて……」
ロジーネが呟けば、一瞬皆が口を噤む。
何をどう言えばいいのか。しばし考えた後に、口を開いたのはメルツェデスだった。
「正直なところ、今年だけでなく一昨年や去年の演奏を聴くに、スランプなのかとは思っていたのよ。
けれど、こんなことになるということは、それどころじゃないみたいねぇ」
退屈だと酷評したのはつい先日のこと。
その時はまさか、子爵がこんなことをしでかすほど追い詰められているとは思いもしなかった。
「私としては、メルが怒り心頭になってないのがちょっと意外なのだけれど。あなた、こういう卑怯なやり口って好きじゃないでしょう?」
「もちろん、唾棄すべき行為だと思うわ。だけど……今回のこれは、あまりに異常すぎて困惑の方が先に来てしまっているのよ」
貴族派だからか、あるいは子爵をよく知らない故か、比較的衝撃が少なかったらしいエレーナが言えば、メルツェデスはため息を吐きながら答える。
一言で言えば、理解しがたい。
何がと言われれば、子爵の行動もそうだし、どうしてそんなことにという原因もそうだ。
音楽からも伺えるモンテギオ子爵の性格を考えるに、彼は計画的に動く合理的なタイプのはず。
後先を考えない、衝動的な行動をするとはとても思えない。
「ということは、彼以外の要因がそうさせているということでは?」
困惑しきりな空気の中、ぽつりとヘルミーナが呟いた。
一瞬、しんと静まり返り。
その意味するところを理解した途端、全員の視線がヘルミーナへと集中する。
「まってミーナ、まさかこれが、何者かの手によるものだと言うの?」
「や、確証どころか状況証拠すらないけど。
あんな楽曲構成を設計出来るくらい理論的な人間が、私ですら呆れるくらい衝動的で後先考えない行動を取るのは不自然。
自然で無いならば、人為的な何かがあってしかるべき」
「……言われてみれば、そう、ね……」
反射的に問いかけたメルツェデスは、ヘルミーナの返答にしばし考え、頷いて返す。
今までは単にモンテギオ子爵自身の問題だと考えていたのだが、もしそこに、他人の関与があったのだとすれば。
そしてそこに、何某かの意図があったのだとしたら。
思い当たる節は、当然あった。
「その、他の要因というか人為的な何かは、わたくしの手の者を使って探ってみるわ。
だからそちらは一旦これまでにして、今後どうすべきかを考えましょう」
まさか令嬢達をその思い当たる節……魔王崇拝者やチェリシア王国の工作に関与させるわけにはいかない。
顔には一切出さず話題を切り替えたメルツェデスに、微妙に察したフランツィスカやエレーナは何も言わず、であれば気付かなかったクララ達が反論があるわけもなく。
それぞれ顎に手を当てたり腕を組んだりしながらも、考える。
「出場を辞退するのは」
「却下。ミーナ、まだ逃げるのを諦めてなかったの?」
真っ先に口を開いたヘルミーナの意見に被せて、エレーナがすっぱりと断ち切った。
いまだ隙あらばと狙っているヘルミーナの内心など、エレーナはとっくにお見通し。
ぐぬぬとヘルミーナは口惜しげな顔になるも、エレーナは全く動じた様子が無い。
「そうね、もし辞退なんてしたら、それこそクララさんのダンスをどうするのかっていう最初の問題に戻ってしまうし」
「そ、それは……お気遣いいただいたところに甘えるようで大変申し訳ないですけど、その、できれば群舞の方がまだ……」
フランツィスカが悩ましげに言えば、今更気付いたらしいクララがびくっと肩を振るわせ、小さくなりながらぽそぽそと希望を口にする。
それを聞けば、メルツェデス達はもちろんのこと、クララと同じ下級貴族向けダンスレッスンの授業を受けていたロジーネとユリアーナも納得したように頷くこと幾度か。
そんな周囲の反応にクララは顔を赤くし、ますます小さくなってしまう。
「出るところに出て楽譜を取り返す、も難しい。手続きに時間がかかる上に、当主権限を行使しての召し上げと主張されたら、こちらの訴えが却下される可能性すらあるし」
「それをわかった上でやったのだとしたら大分悪辣だけど……いえ、流石にそれはないわね、聞いた状態では。
とは言え、結局そちらの対応では難しいことに変わりはないのだけれど」
淡々としたヘルミーナの意見に、眉を寄せながらメルツェデスも頷かざるを得なかった。
下の意見にも耳を貸す国王クラレンスの人柄もあって開明的な空気のあるエデュラウム王国だが、やはり基本は貴族制。
その当主の権限は一家の中においては強く、基本的には一家一門が産みだしたものの権利は全て当主の物となってしまう。
そうすることで政治的な力を持たない人間が生み出したものの権利を、外部の人間に奪われることをある程度防ぐことが出来る、という面もあるが、今この場合においてはデメリットしか感じられないところ。
となれば。
「取り返せない、しかし出場はこのままするとしたら、楽曲をどうするか……ロジーネのストックはまだまだあるとは思いますが……。
ロジーネ、編曲とか間に合いそう?」
「それは、いけなくはない、けども」
ユリアーナの問いに、返すロジーネの言葉は歯切れが悪い。
確かに、楽曲はあるし、質も然程見劣りする物ではない、とも思う。
ただ、編曲は出来たとして、充分な練習時間はあるか。
その短時間の仕上げで、メンバーの力を充分に発揮出来るか。
何よりも。
ちらり、と横目でユリアーナを見る。
「……? ロジーネ、どうかした?」
「ううん、何でも無い」
視線に気付いたユリアーナが問うも、ロジーネは誤魔化して視線を外す。
何よりも、ユリアーナの歌声を最大限に活かしたものに出来るかどうか。
それは、どうにも悩ましい。
ロジーネにとっては、やはりユリアーナの声を知らしめたいというのは、それでもまだ譲りたくない事項なのだ。
だが、それならばどうすべきか。
膠着しかけた空気を断ち割ったのは、やはり彼女だった。
「だったらもう、決まったようなものね。当初の予定通り、あの楽曲でいきましょう」
メルツェデスがきっぱりと言い切れば、皆の視線が一斉に集まる。
浮かんでいるのは驚愕の表情、ばかりではない。
フランツィスカとエレーナには、呆れが滲んでいた。
「ちょっとだけ、メルならそう言い出すんじゃないかと思ってたわ……つまり、正面から殴り合うってことね?」
「え、正面からって……ええええええ!?」
最近かなりプレヴァルゴ汚染が酷くなってきているフランツィスカが少しばかり楽しげに言えば、理解したらしいクララが悲鳴を上げる。
どうやら、身体能力はまだしもまだまだメンタルは一般人の良識を残しているらしい。
そして、そんなものは欠片も残っていないかのように、メルツェデスはあっさりと頷いて見せた。
「ええ、正面から正々堂々と打ち合いを挑みましょう。
ロジーネさん、楽譜は奪われたけれど、恐らく頭の中に入っていますよね?」
「は、はいっ、今すぐにだって書き出せます!」
問われて、ロジーネは思わず背筋をぴしっと伸ばしながら答える。
何となく。何となく、覚悟を問われたような気がした。
いや、きっとそれは気のせいでは無い。
「結構。であれば、今まで通りに練習し、本番までに練度を上げていきましょう」
「ちょっとメル、本気でやりあうつもりなの? 相手は、本職で、かつその中でも一流の音楽家と楽団なのよ?」
そう、本職の楽団相手に、そして作曲はスランプに陥ってしまったけれども、指揮者としての腕は十二分に一流なモンテギオ子爵を相手に。
技術面はもちろんのこと、もっと単純に、そもそも数で勝っていないから、ボリュームでも勝てっこない。
そんな相手を向こうに回して挑もうというのだ、生半可な覚悟で出来ることではないだろう。
当然そんなことはわかっているエレーナが問うも……メルツェデスもまた、わかっているとばかりに頷いて返す。
「ええ、生半可な相手ではないわ。けれどこちらにだって、向こうに負けていないものだってあるのよ。
ユリアーナさんの歌声は唯一無二と言っていいものだし、そもそも作曲者がこちらにいるのだもの、曲の解釈とそれにともなう表現はこちらが上。
であれば、全く勝負にならない、なんてことはないはずよ」
「そこは、充分に勝算がある、と言って欲しかったけれど……まあ、仕方ないわね」
はふ、とエレーナは小さく吐息を零す。
相手は本職、準備期間こそ同じではあるものの、本来であれば全く以て歯が立たないだろう。
だというのに、そこを『ご免』と押し通そうというのだ、メルツェデスは。
そして。
比較的常識人であり、普段であればツッコミに回るエレーナですら、何とかなるような気がしてしまう。
「相手はもちろん強大、なかなかに勝ちを拾えるものではないわ。
けれど、ここは意地の張りどころ。『勝手振る舞い』にて押し通してしまいましょう!」
そうメルツェデスが高らかに告げれば。
聞いていた令嬢達は、皆それぞれに、力強く頷いて返したのだった。




